池袋晶葉は夢を見る
私もたまにすることだが、睡眠時に印象に残った夢を日記やつぶやきに残したり、夢を参考として創作をするというのは珍しくない話だと思う。
当然の話ながら、夢というのは往々にして内容が混沌としていて実際にはあり得ない事がさも日常のことのように起こりがちだ。だからこそ、書き起こしたりすることが面白くもあり創作の「ネタ」になり得る。
『アイドルマスターシンデレラガールズ スターライトステージ』のゲーム内でアイドルたちが日々のつぶやきを投稿している『デレぽ』でも、そんな「夢のはなし」がちらほらと投稿されており、なかでもそんな夢の話を繰り返して挙げていた少女がいる。
その少女、池袋 晶葉が先日投稿したつぶやきが上記のものだ。
彼女の話には、我々の生きている現実の時事的な話題にも即したメタフィクションじみて示唆的な話も少なくはない。この投稿も、AIチャットが世間になじみ、機械との自然な会話が現実味を帯びてきた昨今だからこそのトピックとも見て取れる内容だ。
同時にその内容は夢といっても睡眠のそれではなく、"将来の希望"や"展望"という意味での夢に近い話に見える。しかし、実はこの話には前日単とも言える「夢のはなし」が存在していた。
「私の作ったロボが、本当に知性を持ち、話しかけてきた夢を見た。」
こちらは正しく、睡眠時の夢を思い出してつづられた話だ。
晶葉はアイドルとして仕事をする傍ら、もとより趣味と特技を兼ねてロボットを製作することが好きな少女だ。先日の投稿や過去の投稿も、そんな彼女ならではのトピックだといえる。そして彼女はかつて見た「知性を持った自分のロボと会話する夢」と、昨今のテクノロジーの発展を重ねて再び話を続けたわけだ。
この過去の「夢のはなし」だが、現実ではかれこれ4年ほど前の投稿になる。キャラクターの年齢は変わらず、しかし体験したことは確実に年数を重ねる、いわゆる半サザエさん時空的な世界で生きている彼女たちゆえに、過去に見た夢から時が流れて先日の話が生まれたともいえるだろう。
私は晶葉が過去に語ったこの「夢のはなし」が好きで、過去にそれを元にしたショートコミックをアンソロジーに寄稿したりもしている。
というのも、彼女はかつて夢の中で見た光景を語った後、こう続けていた。
晶葉は夢というものに対して、混沌だとか荒唐無稽だとかいうニヒリズムで終わらせることをしない。正しくは、夢は夢と線引きはしつつ、それが現実でなにかを形にする出発点であり、道しるべであると屈託なく語る。他愛もないつぶやきと終わらせてもよい言葉の中に見えるそういう彼女の屈託のなさが、私にはいとおしい。
つくづく、晶葉は自分の欲望に対して正直で、裏表が少ない人物だと思う。尤も、少ない、と表現したのは必ずしもすべてをあけすけにし続けていたわけではなかったからだ。
少し、彼女の昔の話をしよう。
晶葉はかつて、公園で自作のロボットの試運転をしている折にプレイヤー…芸能事務所のプロデューサーと出会った。
その様子に興味を持ったPに、「天才である自分のロボット製作の才能を世界に知らしめる」と、今では馴染みの自信げな表情で息巻く晶葉。試運転のタイマー計測を買って出たPと時間を忘れて計測を続けるが、日が落ちて帰ろうとするPを彼女はこう呼び止めるのだ。
その瞬間の晶葉の言葉と表情は、そこまで彼女が見せる自信に満ちたそれとはことなる、どこか不安げでしおらしいものだった。自身の作る物や将来については力強く語る彼女だが、それをたまたま手伝ってくれた誰かを繋ぎ留めようとしたときには態度が弱まってしまうのだ。
これは別なところで判明することだが、彼女にロボット製作を教えてくれたのは科学者である彼女の父親だ。その父親だが、優秀かつ界隈で有名な人物であると同時に、日ごろから気の赴くままに世界中を転々としていることが晶葉じしんの口から語られる。
そんな彼女のはじめての友達は「もらったロボ」だった、という。
晶葉にとって、はじめての友達になったロボはきっと彼女が初めて触れたふしぎな世界であり、まさに夢のようなふれあいだったのだろう。しかし彼女は、父からそんな夢とともに才能と技術を与えられながら、ごく普通の子供にならあるはずの「支えになる相手」としての父をずっと失っていたのだ。
だからだろうか、不安げに言葉を漏らす彼女を見たPは、仕事があるからと断りつつ、彼女が尋ねる自身の仕事についてこう返事をした。
「才能を知らしめる仕事」だと。
こうして晶葉は、アイドルになることで自身の才能を世界に知らしめようと、プロデューサーの手を取るに至った。
晶葉はつねひごろから自身をして「天才」と呼ぶことを憚らない少女だ。一方でロボットの製作にも、アイドルとしての仕事にも試行錯誤を怠らない泥臭い人物でもあり、その実自分がごく平凡な少女であることも自覚している。
それでも彼女が「天才」を自負するのはなぜなのか。きっと彼女は、そうせずにはいられなかったのだ。
彼女にはかつて、「天才は誰にも理解されない孤独なもの」と語っていたころがある。甘える相手のいない孤独さは自身が優れたロボットの技術を持つ天才だからだと、そして父もまた、天才だからつねにひとり飛び回っているのだと、逆説的に結び付けていたのかもしれない。そんな中、自分の拠り所になっていたものこそが、最初に与えられた夢であり、才能だったのだろう。
一方で彼女が掲げ続けていた「才能を世界に知らせる」という目標の根源に「そばにいてくれない父を振り向かせる」という欲求があることも晶葉じしんが語っており、彼女はそんな自己矛盾の中で生きてきたことも否定しがたい。
彼女が「夢」を見ることに対して語るときの屈託のなさは、同時に彼女が抱えていた根本的な孤独の裏返しであり、好きなことに真っすぐでいることしか出来ない不器用さの裏返しだ。それはきっと、彼女が夢と同時に与えられた「才能」にも通じるのだと思う。
しかし晶葉は決してそのような自分の不器用さに苦しむ様子も、悲観する様子も見せない。すでに彼女はアイドルになることで誰かと共に歩むことを知って気づいたからだ。
父も自分も、同じだったことを。
父にも自分にもそばで支えてくれる人がいて、孤独ではなくなったこと。
それでも尚、好きなことに真っすぐでいることでしか自分を伝えられない不器用なところ。
そして、「孤独でなくとも天才でいられる」ということ。
だから晶葉は今も夢を見ることを、そしてそこから生まれていく何かを屈託なく信じている。
だから晶葉は人の夢や憧れも嗤わないし、活き活きと賛同してくれる。
そんな彼女だから、その夢の話はたまらなくいとおしいのだろう。
すこし現実の話をすると、最近のシンデレラガールズは間違いなく大きな過渡期を迎えている。この先どういう変化がこのシリーズに訪れるかはまだ何も分からないし、アイドルたちの物語がどうなるのかも分からない。
かつて晶葉が見て、そして道しるべにした夢は、時と共に日常にはかなく溶け込んで終わりになるものなのだろうか。すくなくとも私は、それだけで終わって欲しくないと思っている。
かつては父に気づいてもらうために自身を世界に発信しようとしていた晶葉だが、今では父の感情に寄り添った結果、自分の意思として世界中の探訪を夢に見はじめている。
彼女が夜の夢の中で見た光景も、ただロボットと会話をする訳ではなく、ロボットと語っていたのは科学の未来だった。
夢の先にはまた次の夢がある。晶葉は人一倍、夢に生きる少女だ。
それは突拍子もない夢想で終わる物ではなく、常に彼女を、そして誰かを突き動かす力としての夢だ。
そんな彼女が夢に向き合う姿は、まぎれもなく「アイドル」を体現する姿だ。
きっと晶葉は今回も、そんな夢が少しずつ形になっていくことを喜んでいるのだろう。そして彼女が、あるいは誰かが見た夢は、変わらずそこに残り続けるのだと思う。
願うことは、彼女が夢でロボと語り合ったように、
私たちもまた、彼女が笑って迎える未来の夢をこの目で見届けられますように。