熊本大震災ボランティアで感じたもの
震災後に絶対に行きたかったボランティア。
塾のGW休みを利用して小牧空港から福岡へ向かった。
まさに
『できる人が
できる時に
できる事をする。』
ために。
当時はあらゆる交通網が遮断されていたのと、支援物資が熊本では買えないとの情報を得ていたので大牟田に居る友人の家を拠点にさせてもらった。車も出してもらい陸路で向かった。
まずはボラセンに登録するのが基本だが、この時は軽度の被害でボランティアが呼べないような家庭へ直接向かい手伝うことに。
支援物資も普通はもらえないような焼酎やコーラなどをごっそり買い込み向かった(それはそれは歓迎されたのだ)
益城町に近づくにつれ想像を絶する光景が目に飛び込み言葉を失った。
その友人の知り合いの高校の先生に各地案内して頂き、まずは益城町総合体育館に向かう。1000人を超える方が体育館の中で暮らしていた。自衛隊がお風呂を用意し、簡易トイレはいくつも設置されていた。
差し込まれた無数の携帯の充電器。
特に会話も笑顔もない虚無感溢れる空間。
疲れ切った方々の顔を見てさらに言葉を失う。
現地の高校の先生の教え子さんを紹介してもらって事細かに話を聞いた。家は完全に倒壊しここに住むしかない状況。
そんな彼女の口から出たいくつかの言葉に心に刺さるものがあった。
『弁当をもらうために3時間家族交代で並んでる』
人間が生きていくために食事は必ず必要。
人間が必要不可欠なものは『食』
『食』
『食』
…
その時に脳内でひたすら『食』という言葉が繰り返された。
塾は必要なものではあるが、必要じゃない人も居る。けど『食』は100%の人が必要としている。
『食』に関わる仕事に興味を持ち始めた瞬間だったのだ。
そこからいろいろな可能性を考え始めた。
居酒屋?フードサーブがあるバー?…
1番ピカピカしていたワードが
『農家』
だったのだ
ここから農業の勉強が始まる