ICC アニュアル2024 とても近い遠さ アーティスト・トーク木藤遼太氏に参加
今週10月27日(日曜)、「ICC アニュアル 2024 とても近い遠さ」出品作家によるイヴェント アーティスト・トーク 木藤遼太氏に参加してきました!(以下敬称略)
司会:畠中実 (ICC)
ゲスト:沼野雄司(桐朋学園大学教授)
木藤遼太
作品《M.81の骨格——82番目のポートレイト》
この作品、すごいです。このスピーカ群からわずかに音が聞こえます。
住吉はこの作品に触れたとき、「死」を感じた
死んだ先で触れている音楽、ああオレは死んでしまってこの曲を聞いているのだ、という感覚
なぜだろう、とずっと考えていたが、作品鑑賞後にアーティスト・トークで語られたことで、腑に落ちたところがあったので紹介しよう。
ICC畠中氏の解釈はこちら。
我々が聞いているラヴェルのボレロは、ラヴェルが作った譜面を、各指揮者&演奏者が各々の解釈で奏でているもの
そんな小澤征爾節、カラヤン節などの解釈を削いだ、そもそもの「ラヴェルのボレロ」が今回の作品で表されているのではないか
それはまるで贅肉を削いだ、極限まで削いで骨になった、今回の作品の見た目のよう
その話を聞いて、住吉はこう思いました。
「なるほど死んだ後は住吉はどこかに行くが、そこで聞く曲というのは、誰かの解釈や贅肉がついたものではない、制作者が無からたぐりよせて作られた作品そのものを感じることができるようになるのか」
「だから死を感じたのか」
などの思考と体感が交差する、刺激的な展示&アーティスト・トークでした。
切り刻んで再構成する、は、住吉もフリーライター時代に実験&発表していました。ウィリアム・バロウズの「カットアップ」をコンピューターで再現したのは、たぶん日本では住吉がはじめてじゃないかな(たぶん^^)。
音楽のカットアップも、「森のくまさん」などでやってみたことも。文章のカットアップと同様に、「意表をつく表現が生まれ」ながらも「全体は世界観が壊れない」という結果になっていた。
木藤氏も、今回の作品に至る試みで、「前後のシャッフル」もやってみただろうから、その様子も聞いてみたいな。
その他、木藤氏トークで面白かった発言を抜粋。
彫刻は空間に何かを作るもの
空間に何も無い状態がある、として、「なにもない」の「何」ってなに?
そこに音を作り出すことも一つの彫刻
彫刻は一般的に叩いたり削ったりと暴力的だが、自分も曲を切り刻んでいる、これは暴力なのか
楽しかったです。沼野雄司さん、畠中実さん、そして木藤遼太さん、ありがとうございました。
おまけ。フランス生まれのラヴェルは、フルネームだと
とのこと。おお、ジョジョ一族のお方であったか!
(おしまい)