1997年12月30日15時14分
1997年12月30日15時14分
妹は天に昇った。地球にいたのは18年だけ。
後の長い月日を天で過ごすことを勝手に決めて、天に昇って行った。
病名は脳ヘルニアというちょっとあまり聞かない病名。なんか脳圧が上がってなんとかかんとか。当時お医者様から聞いた記憶もあるが、しっかり頭に入っておらず、また調べることも出来ず。
発病してから3日。本当にあっという間。
当時僕は浪人生で、その年の最後の予備校に行くのに部屋を出て
いつもは、妹の部屋を覗くことはないんだけど、その時はなんとなく覗いたんだ。
そしたら…ごめんここは書けない。書きたくない。それで冬休みで家にいた親父を起こして、救急車呼んで。
親父は予備校へ行けというが、そんな気にもなれず。でもまぁ仕方なく予備校へ。確かその日は机で鉛筆転がしているだけだった。
予備校終わって、親から電話。当時はまだPHSで、周りが持ってるからって持つようになったPHSが役に立った。指定の病院に来るようにと。急いで向かって、病院の入口。あんなに悲しみと絶望感を纏った両親を見たのは生まれて始めてだった。父はこの3日で髪がグレーから白に。母は看護師なので、特にダメで。この後から数年仕事で患者様が亡くなる時の対応が出来なくなった。
集中治療室で、なんか知らない高度な機械の中にいる妹。昨日まであんなに元気だったのに。それから3日、いろんな人がお見舞いに来た。妹の高校の担任も来た。担任の先生はその年初めて担任を持ったという。始めてでこれは本当に申し訳ない気持ちでいっぱいになったのを覚えてる。みんな応援してくれたけど、
1997年12月30日15時14分
妹は天で過ごすことを決めて、駆け上がって行った。
涙が出たのはそれから1週間くらい経ってからだった気がする。
僕の後悔は、倒れる前日。
風邪引いたと早めに寝た妹が夜起きてきて、「テレビみたい」と。
僕は背中で、「寝てろよ!」と部屋に追い返す。
翌日、あんな発見するなんて思ってなかった。この日から僕はこれを書いている瞬間も、ずっと後悔している。何が正解だったのか。
もし、一緒にテレビ見ていたらどうだったのかなとか。本当にいろいろ考えた、27年近くずっと。でもね答えが出ない。毎年11月が始まるとなんだかその当時に引き戻されて、20の自分に戻るというか。なんかこの季節はちょっと苦手。
なんとかここまで生きてきたけど、これで良かったのかな。戻れるなら、1997年12月26日まで戻りたいけど、まぁ無理だな。
だから、この瞬間・時を進むしかない。でも僕は、多分一生答えの出ない問題をずっと考える。回答は川の向こう側でかな。それまで考え込んで考え込んでおこう。
しっかり考えた結果が出るまで、まだまだここで考え込んでおかないといけないから
僕はどれだけの寿命になるかな。