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童謡同様
長谷川カオナシの書く歌詞はなんとなく童謡っぽい。
結構よく聞く。多数派。自分もそう思う。
みんなが抱く童謡に対する感情は統一されているのか?みな同様だってんですか!?
こんなめんどくせーこと考え始めるのは少数派。
ひょっこり出てきた壊れたおもちゃ。
子どものころ、多分もう会えないのに仲良くなりすぎた名前も覚えていない子。
これが自分が童謡に抱く感情と似た感情。
子どもに受け入れられるようにキャッチーに作られた明るい音は数年前に成人した自分にもすっと入ってくる。
話が少し逸れるが、童謡を聴いて歌うくらいの歳のころの自分は兄が叱られているのを見て大人が求めているものを選ぶような、聡明さを気取った狡さを持った子どもだった。(でも今話を聞くと面倒くさい子どもだったって言われる。そんなに評価高くない!)
尾崎さんの著した「母影」の主人公も何となく母親の行為に対し違和感を感じて生きている。
そこまで子どもは無知ではない。意外と敏感で繊細だから。
今も愛される童謡は多分子ども騙しなんて通用しないって理解した上で本気で向き合って作ったもので、だからこそ全年代にすっと入ってくる浸透力がある。と思っている。
閑話休題、言帰正伝。
少し成長した自分にすんなり入ってきた童謡には前述した感情が混じっている。
ひょっこり出てきた壊れたおもちゃ。
子どものころ、多分もう会えないのに仲良くなりすぎた名前も覚えていない子。
あんなに好きだったのに「仕方ない」で捨てられる自分になんだかがっかりした。大切なものが変わってしまうのは当然だけど、今こんなに無感情で捨てられると知ってしまうならもっと昔に惜しみながら捨てたいものだった。
遠くへ出かけたときに偶々公園で会って遊んだ子。多分会うことはないだろうし、会ったとしても顔も名前も覚えていないからきっと再会ははじめましてになってしまう。ならあんなに楽しかった時間はないほうが良かったのかもしれない。寂寥感が自分から遠いと虚しいから。
何が混じり合って童謡を聴いたときにこの感情が湧いてくるのかは分からないけれどとにかくこの気持ち。
カオナシさんの「しらす」を聴いた時に同じ気持ちになったので書きました。
しらすみたいにとても小さな命を見たときに命の大切さをひしひしと感じますね。でもこれは多分ヒト同士に対しても常に持っておかなきゃいけない感情なんでしょうね。天秤にかけたとききっとしらす1匹とヒト1人は釣り合うんでしょうから。
結局童謡について今のところうまく言えるほどの言語化能力がない!悔しい!