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差額ベッド代なし、美味しい病院食「魔女になる日 さよならおっぱい」20

今回は、私が乳がんで入院手術をしていただいたKM中央病院のことを書こうと思う。

いのちの平等を掲げる病院

2024年10月27日 日曜日の10時、KM中央病院の救急外来受付に声をかける。日曜なので、救急外来受付に来てくださいと言われていたのである。
事務の方に保険証と診察券を預けると、早速3階の病棟に連絡をしてくださる。病棟看護師の方が迎えに来るまで、高額療養費制度による医療費自己負担限度額を調べてくださった。
詳しくは以下のWEBサイトをご覧いただきたい。
高額な医療費を支払ったとき | こんな時に健保 | 全国健康保険協会

この制度があるおかげで、所得に応じた保険医療の負担限度額が定められているため、安心して必要な医療を受けることができる。

しかし、災害、失業、疾患、様々な理由で困窮する方にとっては、3割負担の保険医療が難しいだけでなく、高額化する社会保険料の支払いすら滞ることがある。そうした方のために、無料低額診療事業というものがある。

全国福祉医療施設協議会 - 無料低額診療事業
上記の全国福祉医療施設協議会のWEBサイトによると、
「無料低額診療とは、経済的な理由によって必要な医療を受ける機会が制限されないように、無料または低額な料金で診療を受けられる制度のことです。社会福祉法第2条第3項9号で規定されており、低所得者、要保護者、ホームレス、DV被害者、人身取引被害者などが対象となります」とある。

KM病院は、この無料低額診療事業を実施する病院である。

8年ほど前のこと。子どもがまだ小さいため、私はフリーランスのライター、編集者、講師をしていた。
そのとき、広告会社の依頼で、KM病院のリクルート冊子のための取材ライティングをさせていただいたことがある。

驚いたことがある。
この医療法人の医療従事者たちは、病院の外に出て、患者さんのところに出向き、場合によっては薬害裁判や労災の支援もするということだった。
「患者さんのところ」に出向くだけでなく、「苦しんでいる人間のところ」に出向くのである。

病院として、ホームレスの方たちに炊き出しを行い、京都の鴨川の河川敷にいらしたホームレスのご夫婦を病院にお連れして、がんの最後の看取りをなさったというお話をしてくださった看護師の方。
子宮頸がんワクチンの被害について、患者の側に立って裁判支援しているという薬剤師の方。

高齢化した西陣や福知山エリアで、訪問医療に携わる医師や看護師、薬剤師の方たちの後ろについて、患者さんのお宅を訪れ、取材をしたことがある。
老々介護の苦しみを聴き、独居の高齢者の薬を管理し、対話をする医師、看護師、薬剤師の方の後ろで、私は静かに感動的した。
この図は、日本全体に起こりうる困難で、その時に必要なのは、AIではなく、人間性にあふれ、信頼できる専門職の方たちである。

そこに在ったのは、高額給料だったMRを辞めた友人から聞いていたような、製薬メーカーと病院の利益を追求した医療とは正反対の現場だった。
KM病院は薬局も運営されているが、できるだけジェネリックを使用して、患者自身や医療費全体の負担を減らそうとしていることも承知された。
この病院の綱領に記された「いのちの平等」という血の通う理念を見て、私が目撃した現場の底に流れるものについて考える。

差額ベッド代なしの病室

この病院が、差額ベッド代を患者に負担させないということは知ってはいた。4人部屋の一般病棟だけでなく、入院当日、私が案内された立派な個室も差額ベッド代は不要だというのである。

KM中央病院の個室

手術前日だからと、個室を準備してくださった。7日間の入院のうち、計5日間は個室にいただろうか。次に手術をされる方がいらしたので4人部屋に移ることになった。

費用を払える方にではなく、病状に応じて必要な方に病院個室は準備される。考えてみれば当たり前のことだが、このような経験は初めてだった。

16年前、私が東京の総合病院で出産をしたときは、個室は1日3万円。
13年前、京都の総合病院で子どもが鼠径ヘルニアで手術をしたときは、個室しか空いていなかった。その時は、1日3万円、2日間の入院で6万円の差額ベッド代がかかった。
差額ベッド代は医療費ではないから、保険対象外の自己負担である。
一般的には、1週間でも3万×7日=21万円の差額ベッド代がかかることになる。このKM病院は、それを一切負担させない。

日々の生活に余裕のない方は、民間の生命保険会社と契約することもできない。医療費のために、受診や入院手術を控えることになるだろう。

数字や査定や雇用を競わされ、幸福感がすり減らされ、人間性が信頼できなくなる社会で働いてきた者にとって、「いのちの平等」が実現され、医療に新自由主義が介入しないKM病院で過ごした1週間は「幸せな入院ライフ」だった。

休みなく働き続けなければ、生きられない。働きつづけなければ、居場所もない。無理をして頑張らされ、結果を出しても無視される。
それが、私が生きて働いてきた大半の環境だった。
勝ち負け、優劣、嫉妬、査定、数字で、人間や他者との関係をはかる環境は、他者や女性は愚かでいてくれた方が都合がよい。
そんななかで、同じ釜の飯を食べるような、背中を預け合う関係が貴重だったとしても、それは炭坑労働やラーゲリーと同様、共生しなくては生きられない過酷な環境には違いなかった。

美味しい病院食


「病院の食事がまずい」というのは、入院した方からよく聞く定説だった。
私にはこれまでの数少ない入院生活で、「まずい」と言うような経験はない。

若いときから自活生活をしてきた者にとって、食事は自分で用意しなければならないものだった。最後に母親の作ったものを食べたのは、30年以上前のことである。
人様に作っていただく食事を3度もいただいて過ごすことは、出産入院以来のことだった。

結婚すれば、夫や子どもの食事も準備する。それが大半の女性たちの現実である。私もたいていの場合、そのようにしてきた。
1週間、3度の食事を作っていただけるなんて、ゴージャスな生活!
病院の食事には栄養士の方がいらして、しっかりと栄養素が計算され、あたたかい状態で食べられるような配慮もされている。

ということで、私は毎回食事を完食し、手術をしたのに、退院後は2キロ増量していたのである。

手術日の夜、初めての食事 ひな祭りのようでうれしい。

煮魚、きのこ、酢のもの、大学芋、ご飯。
煮物は自分で作ったら手間がかかることは、ご存じか。


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