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乳がん前の銭湯の記憶「魔女になる日 さよならおっぱい」35

右乳房を喪って魔女になった今の私なら、銭湯で出会ったお姐さんたちのように、少しは経験を積んだ女の裸の佇まいになれるだろう。
まだ、私に両乳房があったころ、2023年5月2日執筆した原稿をこちらに掲載する。

京都の「エモい」公衆浴場


 観光客が京都にも押し寄せるようになって、疲弊をリセットするために利用していたホテルスパが混雑しはじめた。落ち着いたホテルを格安で利用できたのは、全国旅行支援の地域応援クーポンのおかげに過ぎない。自身の稼ぎにあった生活に戻るだけである。

 今年の三月四月はせわしなかった。前年度から連続して新年度が始まるような業務状況と、ケアの必要な方たちの対応で、四月と思えぬ疲弊状態で五月の連休を迎える。ホテルスパに行かれないのならと、細い住宅路地のなかにある旧い銭湯に凝り過ぎた身体を携えていった。

 錆びのついた鏡は用をなさない。「女性営業員募集二五歳~五〇歳マデ」という地元企業の広告があったが、いつのものだろう。ここに来る女は、ほぼ対象年齢を超えた年齢である。
 先に入られていたのは、七〇代から八〇代とも思われる女性たち。よく似た鼻筋の通った双子の姉妹のような方たちが、静かにぬるい薬草風呂に浸かっている。電気風呂とサウナをひとりで行き来する女性。ジェットバスで体をゆっくりほぐしている女性。水風呂に繰り返し入る女性。顔を真っ赤して高温風呂に浸かっている女性もいた。京都らしく、剃髪の女性があとから入ってきたが、僧籍にある方と思われる。正座をされるのだろう、膝を痛めている。

 住宅街の銭湯は地元の高齢者たちの場所で、毎日同じ時間に入りにくるのであろう。何となく顔なじみのような客のなか、彼女たちの娘世代の私は、見慣れぬいちげんさんだ。こういうときは、それぞれの方の習慣を瞬時に判断し、邪魔しないように空いている湯船に浸かり、彼女たちが入ってきたときは、そっとよそに移る。公衆浴場であっても、それぞれ自分の居場所があり、洗面道具の置き場所、使う水栓も決まっているのだ。すると、彼女たちはだんだんに受け入れてくれて、会釈をしてくれたり、心を許すと話しかけてくれたりもする。

浅草の銭湯の記憶


 そんな私は、一九七〇年代前半のほんの小さなころ、まだ内風呂のないアパートに住んでいたシングルの祖母と一緒に銭湯通いをしていた。銭湯では小さな子どもはアイドルになる。今の私と同年代の若い祖母は、銭湯のアイドルを連れて誇らしく上機嫌だった。子育て時期を過ぎた女たちは、小さな子どもが懐かしかったのだ。銭湯マナーは女たちに教えてもらった。湯船に入る前に体を洗うこと、湯船に浸からないように髪を括ること、一〇数えて温まること、洗い湯をほかの人にかけないようにすること、身体を拭いてから風呂を出ること、風呂からあがったら牛乳を飲むこと。

 女たちの体はそれぞれに個性的だった。体を使って働いてきた下町の女たちには、背骨がくるんと曲がっている者もいる。白い入れ墨が上気して桃色に浮き出る女は、おそらく商売をしていたのだろう。軽石で丁寧に踵を磨くのも、そんな女たちだった。

 祖母の背中を力いっぱいヘチマでこすっても、私の力は弱すぎた。祖母は、三助さんを呼んで力いっぱい背中を流してもらった。三助さんは、銭湯で背中を流す職業の俗称である。
 毎日湯気の中で、人の背中を流して働いていた三助さんは、どこに行っただろう。その銭湯は、奥浅草にあった。

女の身体に記憶される時間


 京都の路地の銭湯の女たちを見遣る。ホテルスパにいる、エステで磨いたマダムのような女性たちの身体とも、スポーツジムのスパにいる鍛えられた女性たちの身体とも違う。働き続けてきた人たちのきしんだ身体だった。

 すると、小さな男の子と三〇代と思しき母親が二人で入ってきた。ピカピカの新しい小さな体の男の子と、妊娠線を携えてはいるけれど、脂肪や皺のないすんなりとした肢体の若い母親。女たちが気付かれぬように、湯気の向こうから、そっとふたりを見ている。転ばないようにしっかりと母親の手を握った、母親といるだけで満たされた幸福な小さな男の子。女たちは多分、これまでの人生で最も愛しさを抱くことのできた、つかの間の時間を思い出している。

 十一年前、京都に来たばかりのとき、私にもそんな時間があった。借家の風呂が寒すぎて銭湯に行った。小さな息子が転ばないように、小さな手をとって、ゆっくり銭湯の扉を開けた。すると、女たちの目が一斉にこちらを向いた。銭湯の入り方を教えると、素直に頷き、うれしそうにしていた小さな息子。水風呂に入りたくて仕方なかった小さな人を、許して見守ってくれた女たち。

 私はこの街で少し老いて、もうあの母親のように若くはない。銭湯に入っても、ほかの女たちにまぶしそうに見られたりはしない。息子はこの街で思春期になって、私や夫の身長をゆうに超えた。あの女たちは、この街で働いて老いたのだろう。異邦人の私は、どこまでこの街で老いてゆくのだろう。


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