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術前検査がはじまる(2)「魔女になる日 さよならおっぱい」19

10月28日の手術、前日の10月27日(日)に入院が決定した。

10月16日(水)10時

入院に必要な書類を携えてKM中央病院受付に行く。
X線、心電図、生理検査(肺活量)、採血、生理検査(歯科口腔外科で口腔を洗浄し、手術時に使うマウスピースを造る)、CTと午前中からお昼までの術前検査が続いた。

心電図と肺活量の生理検査は、私自身の体が全身麻酔手術を受けることに耐えられるかどうかの確認のためである。
歯科口腔外科の生理検査は、全身麻酔で人工呼吸器が口から気管にから挿入されるときに、口腔内の細菌の侵入感染を防ぎ、歯を食いしばって損傷しないための準備だった。

当初乳がんを発見していただき、手術予定で直前でキャンセルしてしまったP病院では、CT検査はあったものの、上記のような検査や準備はなかった。
KM中央病院のサポートや検査体制が丁寧なのだろう。

まるで生物の授業のように、心電図エコーで自分の右心房、右心室、左心房、左心室、心臓の弁が、一生懸命に活動しているのを、検査技師の方に説明していただいた。
この病院の検査では、何のためにその検査が行われ、今、何を確認しているのか、見えているものは何か、患者、当事者にわかるように説明をしようとしてくれる。
患者に対して丁寧というだけでなく、自分の体のことはしっかり自分で理解するという自立、リテラシーを伝えてくれているようにも思える。
「よく、半世紀以上休まないで働き続けていますよね」
私は、自分の心臓に感動して検査技師さんに伝えた。

歯について


歯科口腔外科では、丁寧に口腔と歯の洗浄をしていただき、虫歯がひとつもなくてきれいだとほめられた。歯と歯茎の型を取ってマウスピースを造る。
私は下前歯が欠けている。小学校4年生のときのことだ。あのとき切れた口の中は、今でも傷痕が凸凹している。血が止まらず激しい痛みが続いたが、病院に連れていってもらうことはなかった。
歯科医師によると、この前歯の欠損も修復できるとのことだった。
「もう半世紀近く、これで生きてきてしまったから」
私はそう言って笑った。

歯で思い出すことがある。
2016年の女性活躍推進法制定のころ、和歌山にほど近い大阪のとある市に依頼を受けて、女性たちの再就職セミナーの講師とカウンセラーを引き受けたことがある(私は、国家資格キャリアコンサルタントと、キャリアコンサルティング技能士、公認心理師の資格を保持している)。
当時の私と同世代の40代半ばの女性の方がセミナーのあと相談に来られた。
その方は、古びた白いひらひらのフリルのワンピースを着て、髪の毛は脱毛し、歯がなかった。口腔崩壊である。
90年代に働いていたが、パワハラで具合が悪くなって離職し、ずっと家にいた。その後親の介護をしているが、残金がなくなったから働きに出なくてはならないのだという。
パソコンが普及する前に離職したからパソコンはできないが、事務の仕事がしたい。40代以降の求人は、清掃などの肉体労働が多いが体力がないのだという。就職活動をするためのスーツもないとのことだった。

私は、目の前の同世代の女性の姿と切実な相談に、ショックを受けすぎて泣きそうになった。本人が懸命に働こうとしているのに、泣くのはプロではない。私は、求職より先に福祉サポートが必要なのではないか、と市役所の福祉窓口に紹介をすることになった。一日だけの講師にできたことは、そこまでだった。溶けてしまった歯を保険診療で治すことはできるのだろうか。
京都に戻ってから、その女性のことが気になって、貧困とストレスと歯について調べているうちに、「社会的困難はまず口に現れる」と書かれた全国民医連の『歯科酷書』にたどり着いた。

私の歯がきれいだと褒められたとき、あの女性の口腔が崩壊していたことを思い出したのである。もし、京都にあの女性がいたら、この病院に連れてきてあげたかった。あの女性は必要なサポートにたどり着けたのだろうか。

CTスキャンで輪切り

CTの前に造影剤を点滴する

その日、最後の検査はCTだった。造影剤を点滴すると体が少し熱くなる。
CTで体中を隠すところなく撮影される。臓器としての私のすべだた。
魂や思考や意識は映らない。
CT終了後、体の負担を考慮して、しばらく生理食塩水を点滴してくださったのも、この病院が初めてのことだった。

診療室にて解説

乳腺外科の診療室にたどり着いたのは、13時過ぎである。
N先生は、CTの画像を見て乳がんの転移がないことを確認した。
そもそも非浸潤がんなので、理屈的には転移や浸潤はしないということも念押ししてくださった。しかし、非浸潤がんでも、しこりがしっかりしている場合は、2割くらいの割合で浸潤がんの可能性もあるので、センチネルリンパ節生検や病理検査で確認をする。

生物の授業のように臓器をひとつひとつ説明してくれた。胃袋の後ろにある自分の膵臓を初めて見せていただいた。
数か月前に、連れ合いの職場の同僚で同世代の女性が膵臓癌で亡くなったことを思いながら、私はN先生の説明を聴いていた。
続いて、心臓や肺活量のこと、血液検査でわかることを説明をしてくださった。私はがん患者なのに、ほかは大変健康なのであった。

N先生は、右乳房を切除する手術の方法について、説明をしてくださった。
乳頭をとり、その傷から皮膚の下の乳腺をとる。ギロチンのように乳房を落とすのではないので皮膚は残り、真一文字のような傷が残る。
手術中の出血は多くとも30CCくらいとのことだった。
術後は5日間ほど内部の出血を取り除くドレーンをつけておく。
術後2週間は腕をあげるのは90度まで、傷がくっつくのはひと月ほどはかかるとのことだった。
そのほかにも、麻酔のことも含めて、30分ほどの丁寧な説明をうかがい、書面と同意書をいただいた。

「手術に関して、質問はありますか」
N先生の質問に、私は患者ではなく取材者のような質問をしてしまった。「手術はあおむけで実施するのですか。斜めでなくとも切除できるんですか」
N先生は少し笑って答えた。
「ギロチンではないですからね、できます」
「手術室には、ストレッチャーで運ばれるんですか」
「いつの時代! 自分で歩いて手術台に載ります」
N先生はまた笑った。

「手術はドラマでしか見たことがないんです。切り落とされた乳房は、医療廃棄物になるんですか?」
私がそう訊くと、先生は答えてくれた。
「ホルマリンに漬けられてから組織病理検査をして、今後の治療方針を決めます。その後、今は10年以上保管されます。癌ゲノムの診療で、もともとのがんはどうでしたか、という確認で使われることがあります」

私は、浅草で旅館を営む夫妻が、次女と夫の姉に不凍液を飲ませて殺害したとして逮捕された事件のことを思い出した。夫の姉の臓器片が保管されており、調べた結果、エチレングリコールを飲まされたと判断された。
なるほど、臓器が証左になることもあるのだろう。
しかし、保存の理由は、殺人事件のためではなく、次にその人が病気になったときのためなのだろう。
私は、鍵のかかる地下室に、切除された乳房が瓶に入って棚に並べられた壮大な光景を想像した。
「見たいです」
私は思わず言ってしまった。

癌に寄生され、女たちに大きなショックを与えた乳房、女たちが切除することを悩んだ乳房は、どんな沈黙を呑み込み、何を証明しようとしているのだろう。
癌細胞は死なないというから、切除された乳房をまだ攻撃しつづけるのだろうか。何のために。
ごめんね、私のおっぱい。

長い夢

半日がかりの検査が終わり、病院を出たのは13時50分ごろ。
私はKM中央病院のある京都の洛西から地下鉄に乗って、洛東の東山駅に降り立って白川筋を散歩をした。
10月半ばとはいえ、まだ夏日だった。
その日は、17時半から大学の授業で、19時半に出版社の編集者の方とお会いすることになっていた。

東山駅より南の白川筋

14時26分、落語家の立川談慶さんから、メッセージが届いた。
「ご無沙汰です。今日が里美がいなくなって丸30年であります。その節はいろいろありがとうございました」

談慶さんは、30年前に24歳で亡くなった大学時代の私の親友の里美の彼氏だった。

1994年。里美の行方がわからなったときがあった。
談慶さんは「一人暮らしの純ちゃんの家にいないか」と電話をしてきた。
里美が発見されたのは半年後。山道をバイクでツーリングしていて滑落したのだ。私も勤め先が酷い状態で、自身も死にそうになっていた時期だったが、里美が先に逝ってしまった、そう思ったことを記憶している。

「30年。嘘みたいです。 人生は、肉体を借りて見ている長い夢なのかもしれません。 里美は、今、誰かの体で、新しい夢を見て、旅しているはずです。 私は今日、乳癌の術前検査でした」

談慶さんにそう返事をすると、またメッセージが届いた。

「嘘みたいな夢の中のようなこの時間で、自分は歩き続けて来たというよりは、もがき続けて来たような感じです。 あの直後、純ちゃんに、里美が守ってくれますよ、と言われた言葉忘れていません。救われました。 兎にも角にも、どうぞご自愛下さい。また里美が守ってくれるはずです!」

京都に来て12年。長い夢を見ているような苦しさは続いているけれど、人生はそもそも肉体をかりた短い夢みたいなもの。
嘘みたいだ。勇敢に世界を旅していた里美が24歳で逝ってしまい、あのころ死にかけた私が、あれから30年も生きるなんて。

この道はずっと昔からあって、この道を歩いた方たちは、夢のように通りすぎていったにちがいなかった。


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