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辛さを認めぬプライド、腹の中で大暴れ

辛さが分からないまま、腹痛に悶える

「旨辛チキン弁当」という名前には、どこか親しみがある。

旨い…辛い…その順番で書いてあるから、きっと辛さは控えめで旨さが勝つのだろう、と勝手に脳内でバランスをとってしまった。

近所の弁当屋さんで目に入ったそのメニューに、ためらいなく手を伸ばしたのが運の尽き。

パッケージを開けた瞬間、ふわりと香るスパイス。
鼻孔をくすぐる唐辛子の刺激に、一瞬「やばいかも」と思った。


でも、見た目は真っ赤ではないし、どこにでもある“辛口のチキン”だと信じて一口。

確かに辛い。

舌の上でじわりと広がる辛さに、瞬時に水を求めたが、心の中の“普通に辛いものが食べられる自分”がすぐに冷静ぶる。

「まあ、大丈夫だろう」。

二口目、三口目と進むうちに、辛さの沼に足を踏み入れていることに気づかないふりをして、あっという間に完食してしまった。

食後に冷たいお茶を流し込み、満足げにため息をついた。
けれどその満足は、わずか30分後、胃の奥でじわじわと異変に変わる。


お腹が熱い。

いや、熱いだけではなく、ぐつぐつと煮えたぎっているような気がする。

触れても何も起きないけれど、身体の内側で唐辛子の亡霊が暴れている。
お腹を抱えて横になると、その熱はまるで火が通った鍋のようで、休む気配を見せない。

痛い。
けれど、下すわけではない。
ただそこに、未知の痛みが居座っている。


布団の中で、チキン弁当を振り返る。

あの時、なぜ「辛い」と正直に認めなかったのだろう。
普通に食べられた自分を演じず、「辛い!」と口に出して箸を止めていたら、こんなことにはならなかったのではないか。


食べ物に対して謎のプライドを持つ私の中の「辛さ耐性アピール」は、結果として何の役にも立たなかった。


時間だけが過ぎる。
夕方になっても、お腹のぐつぐつは止まらない。

「痛い」と訴えるほどの鋭い痛みではなく、ただ、ずっとそこにいて静かに苦しめる。

ぬるま湯を飲み、うつ伏せになり、息を吐く。
それでも、腹の底にはスパイスの火種が残っていて、じんわりと燃え続ける。

結局、その日は何もできなかった。

何もする気が起きなかった。
腹痛に悶えながら、「自分の限界を知ること」と「素直に認めること」の大切さを、スパイスに教えられた気がする。

次に旨辛チキン弁当を見かけたら、私はきっと笑う。
弁当屋さんの棚の前で、やらかした自分を思い出して。

火が収まるのを待ちながら、私は今日も、辛さの分からない自分を腹の中に抱え込んでいる。

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飛鳥井はる
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