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誕生日占いで深淵を覗いたらポケモンだった【エッセイ】

誕生日占いに気軽に手を出したことから、
まさか人生の深淵を覗くような感覚を味わうことになるとは思わなかった。


四柱推命――生まれた年、月、日、時刻からその人の運命や性格を読み解くという東洋の占術は、手軽な「占い」のカテゴリに収まらない奥深さを持っていた。

きっかけは、友人が何気なく話した一言だった。

「誕生日占いって意外と当たるんだよね。特に四柱推命はすごいらしいよ。」

そんな軽い誘い文句に乗せられた私は、ネットで四柱推命の無料鑑定サイトを開く。
気軽な気持ちで生年月日と生まれた時間を入力。

生まれた時間はわざわざ、母親にLINEで聞いた。
母親は不思議がっていた。

しかし、画面に表示された結果に目を通すと、その内容の詳細さに息を呑んだ。

「あなたは、自己表現を重んじる一方で、時折孤独を好む性格です」

「人生の転機は23歳頃に訪れるでしょう。その後の選択があなたの未来を大きく左右します。」

といった文言が、やけに具体的で、どこか私の心の奥底に突き刺さるようだった。

さらに、五行――木、火、土、金、水の要素が示す「運勢のバランス」を読み解く解説を見ていると、まるで自分の心の地図を広げられているような気分になった。

私は火の要素が強く、木の要素が不足しているらしい。
それは、「情熱的だが、支えとなる根が弱い」という暗示だった。

確かに、思い返してみれば、何かを始めることに対しては熱心なのに、いつも途中で息切れしてしまう自分の性格に心当たりがある。

この五行の要素を知ったとき、ふと「自分がポケモンみたいだな」と感じたのだ。

タイプが決まっていて、それぞれの性質や相性があるというのは、どこかゲーム的で面白い。

「自分は土タイプか。じゃあどんな性質があるんだろう?何に弱体化するんだろう?」
と、つい遊び心で考えてしまった。

こんなふうに、自分の特性を少しゲーム感覚で楽しむことができたのも四柱推命の魅力だと思う。

読み進めるうちに、気づけば「もっと知りたい」という衝動が抑えられなくなっていた。

無料鑑定のページだけでは満足できず、専門書を取り寄せたり、有料のオンライン鑑定に手を出したりしてしまった。

まるで未知の深海に足を踏み入れたかのような感覚で、私は自分自身を探求し続けた。

四柱推命について調べているうちに、この占術を本格的に習得するには5年もかかるという事実を知った。


占いといえども、これは立派な学問なのだと気づかされた。

統計学的な要素も含まれているため、単なる直感やスピリチュアルとは違う、深い知識と訓練が必要とされる世界。

占い師は学者のような存在なのだと思うようになった。
そして、「もう少しだけ自分も学んでみてもいいかもしれない」と、新たな興味が芽生え始めている。

四柱推命の面白さは、単に「当たっている」「当たっていない」という次元ではなく、自分の特性や運命の流れを考えるきっかけを与えてくれるところにある。


人は誰しも、自分という存在を知りたがるもの。
その欲求に四柱推命は、言葉を尽くして応えてくれる。

けれども、深く知れば知るほど、そこには思いがけない問いが生まれる。

「本当に私の運命は、こんな風に決まっているのだろうか?」と。それはまるで深淵を覗き込むような行為だ。

答えがあるようでない、けれども確かに何かがそこにあるように思える――そんな不思議な感覚。

最終的に私は、四柱推命を人生の天気予報のように捉えることにした。

それは「絶対的な答え」ではないが、自分の在り方を見直すヒントになる。
降水確率が60%だから、傘を持つような感覚に近い。

そして、深淵を覗くという行為もまた、自分自身と向き合う勇気をくれるものだと思う。

誕生日占いに軽い気持ちで手を出した私が、今こうして深淵の縁に立っている。

人はどこまでも自分という存在に惹かれ、探求したくなる生き物だということを強く感じた。

自分の知らない学問を覗いてみると、今までの見方と違う側面が発見できて、また自分の日常を彩ってくれる。

例えば、四柱推命のように、一見スピリチュアルに思えるものが、実は膨大なデータと理論に基づいていると知ると、それまでの偏見や先入観が覆され、新たな興味が湧いてくる。

この「発見」は、自分の世界を広げ、日常に小さな冒険心を与えてくれるのだ。

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飛鳥井はる
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