『望三郎インターン完』
突然ですが、
11月半ばで、私は望三郎インターンを辞めました。
卒業?出発?
いろんな言葉があるけれど、
事実なので今はそのまんま書こうと思います。
(この文章は4000字ほどあるので最後まで読むには10分ほどかかります)
*
高校3年生。その先を決めた時
「とにかく色んな人と出会って、たくさんの体験をして
そのすべてを材料に学んで、吸収して
そのすべてを自分のものにするんだ!!!!!
未熟な私から成長していくんだ!!!!
私の人生でやりたいことを見つけるんだ。」
私は望三郎インターンにこの気持ちをいっぱいにして意気込んでいたし、
「どんな風に生きていきたいか」っていう問いに対する、私なりの答えを、ここで出したいと思っていた。
あれから7ヶ月。
思い描いていた通り、毎日たくさんの人と出会って初めての体験をいっぱいした。
ゲストさんに出すお料理をつくる。宿の掃除とお部屋のセットをする。大人数で自己紹介をしてご飯を食べる。ゲストさんと語らう。ウーファーさんと英語で話す。お隣さん家のお茶会に行く。種を蒔く。田植えをする。虫取りをする。収穫する。小学校に1週間ボランティアに行く。マルシェのお手伝いをする。りんご農家さんにWWOOFに行く。放課後の子どもの遊び場にお手伝いに行く。週一のラジオに出る。新聞の取材を受ける。SNSで呼びかけをしてきんじょの本棚をつくる。産後スティで赤ちゃんのいるファミリーと1ヶ月暮らす。フリースクールのネットワークを見学するジュニアヘルパーのみんなと夏を過ごす安曇野社会見学に参加する。シェア農園の子守りをする。サマーキャンプのスタッフをする。議会の傍聴に行く。会派室で議員さんと話す。市民相談に参加する。色んな会議・打ち合わせに参加する……文には書ききれないので、7ヶ月の活動の記録を載せよう。
色分けと月分けをして整理すると
黄色…情報を知っていたらインターンでなくてもできた活動。
紫…望三郎インターンじゃないとできなかった活動。
赤…自分主導で動いたり、見つけたり、声をかけてもらってできた活動。
どれも貴重な体験で、かけがえのない時間だった。望さんの人生の話や今考えていることや夢をいっぱい聴かせてもらった。安曇野内外の多くの人に応援してもらったり、活動に声をかけてもらったり、受け入れてもらったりした。出会う人出会う人、心から向き合ってくれて、その度にあったかい愛をもらった。
それでも、大きく3つの理由から、私はインターンを辞めようと思った。
①無理をし過ぎた。
目まぐるしくすぎる日々。
例えるならビュッフェにて…
レタスサラダ、カツ丼、オムライス、きつねうどん、ステーキ、麻婆豆腐、グラタン、ちらし寿司、チョコレートケーキを、
「せっかくの機会なんだもん!食べないのは勿体無い!これが私の体の栄養になるんだから!!」
って全部食べたら、一つひとつはすごく美味しいのに、キャパオーバーすぎて、お腹が破裂しそうで消化が追いつかない。
胃もたれしていることにも気が付かず
頭は食べたい(食べないと)と食べる 🔁
体に合う食べ物や食べるスピード、味わい方、消化の時間は人それぞれ違うのに、尊敬する大食い選手(望さん)のペースに合わせていこうとして、ペースを上げていったら
ある時突然、胃腸がギブアップして食べられなくなった。
この話のテーマを【食】から【学び】に置き換えると、まさにこれだった。
それくらい自分の心とからだの声を顧みるゆとりもなく、修行のつもりで自分の限界を試そうとしていた気がする。
どこまでやれるんだ?自分って。
すべてが学びの材料だと思うと、休むことに罪悪感が出てきて、予定をどんどん入れて空いた時間は宿のお手伝いに行こう、という感じでフル活動した。
やりたいことをやっているといえば、その通り。
けれど、そうするためには安心してリラックスできる環境が必要だった。
地球宿に住み込みをしていた頃は、まだゲストさんやウーファーさんもいない夜が多く、望さんは自宅に帰るので、スタッフのまっちさんと2人きりだった。
私にとっては、とても心休まる環境ではなく、正直怖くて、無意識のうちに常に緊張している状態だった。
オンオフがつけられないことで、精神的にも、体力的にも負担が大きくなって、生理が3ヶ月止まったり、抜け毛が増えたり、体がパンパンになったり(最初の2ヶ月でズボンのサイズがSからLに…)という形で体に表れた。
だから私は6月に住み込みインターンを辞めて、
通いのインターンに切り替えた。
②望三郎インターンってなんだ?
去年の年末に発信された望三郎インターンの募集文には「人生観、仕事観、社会観、まちづくり観、家族観など、とにかく望三郎のすべてをお伝えする、みなさんの方から言えば学んでもらう」とあった。
私は、望さんや地球宿、安曇野、「すべてを材料に学ぶ望三郎インターン生」として7ヶ月活動してきた。
ある時、そもそものインターンシップという言葉の定義が気になって、調べてみると、一般的にインターンシップとは、働く体験を通して、仕事や社会への理解を深めるためのもので、短いものは1日、1週間から1ヶ月は短期インターン、1〜3ヶ月以上のものは長期インターンになるとのこと。
長期インターンでも会社の指示で社員と同様の業務を行っていたり、社員の仕事の補助を行っている場合は労働(=給料が発生する)とみなされると書いてあった。
今までずっと「学ばせてもらっている」という気持ちで全部のインターンに向き合ってきたし、それは宿のお手伝いに関しても同じだった。
でも改めて考えてみると、
まっちさんが1時間、宿の掃除と部屋の準備をしたら時給が発生するところを、私がやったら0円。
学びになっていれば、よい体験になっていれば、無給で良いなら、世の中のやりがいを感じて働いている人は全員無給、ボランティアということになる。
WWOOFは宿食費代とお手伝いをお互いの合意でトレードしている関係。
有給スタッフは、働きに応じて対価がある雇用の関係。
望三郎インターンは月3万円の学費を払って、学びとしてタダ働きをする関係…?
明らかに私の思う対等とは違うと思った。
でも当初の募集要項には宿のお手伝いをした場合の給料については書かれていなかったし(反対に完全なボランティア活動だとも書いていなかったけれど)自分も無知で確認しなかったことは反省している。
でも「人を受け入れる」ということをやろうとするならハッキリ明記するところや合意確認が必要な箇所はしっかりと押さえてもらいたかった。望さんはお金や契約、働くことに対してもきっちり、誠実な人だと勝手に期待をしていたが違った。
働いたら対価を得る。
それこそ望さんが言っていた大人になっていく若者に必要なキャリア教育の大切な一要素なんじゃないかと、私は思う。
どれだけ手伝っても真っ当な対価がなく「よい学びになってるね」という上から目線の言葉止まりなら、その人は働くこと、大人になって仕事をすることに対してどんな感情を抱くだろう。
議員でも個人事業主でも地位も名誉も人望もあるように見える人でも、あくまでひとりの人間なんだということに気がついた。素敵だなぁと尊敬する部分も、そう思えない部分もある。望さんに限らず、私も、みんなも持っていて、誰ひとり完璧な人はいないのだと学んだ。(とても前向きな意味で)
これからは、何か一つの物事を自分の想像だけで盲信しないことにした。
私はいくつになっても、どれだけ経験を重ねたとしても、「大人と子ども」、「受け入れる側、受け入れてもらう側」、「教える側、教わる側」じゃなくて、お互いさまの「人間と人間」として、人と付き合っていきたいと強く思った。
これが私の思う、対等な関係だったな。
さらに、
募集要項には学費の表記はなく住み込みの場合は、水道ガス光熱費+家賃+食費で月3万円ということなっていたのに、望さんの頭の中ではいつのまにか下宿代から望三郎インターンの諸経費含む学費にすり替わっていた。(一番最初に9ヶ月分を一括納入していて、ややこしくなってしまった。月々で払えばよかったなぁと今では反省している。)
インターンの定義について知らなかった。
インターンの下宿代の思い違いをしていた。
ということが分かったそのあと対応に、私はがっかりした。
強く信頼していたが故に、落胆が大きく、本当に望さんに期待を寄せ過ぎていたのだと目が覚めた。
(その後、インターン下宿代については、精算をした。)
私は相手が年上でも年下でも、素直に「ごめんなさい」と謝ることができる人間でありたい。
③「対話の場づくり」思っていたのと違った。
地球宿は一般的な企業とは違って、年功序列型・雇い主と労働者という雇用の関係ではなく、一緒に宿をつくっていくメンバーとして対話を大切にした場づくりをしているのだと思っていた。
でも実際に入ってみると、望さん自身も宿も忙しくて対話や擦り合わせの時間がどんどん無くなっていった。思ったことをシェアして、「〇〇について私はこう思うけれど、あなたはどう思ってる?」と話し合いをして、一つひとつを決めていくという私が抱いていた理想とは違うものだった。
地球宿において、望三郎インターン生の位置づけが曖昧なままやってきてしまったので、認識のズレが多かった。
(私は学びの材料として宿があって、メンバーの1人として主体的に参画している感覚だけどまっちさんは、明日歌ちゃんの学びのフィールドはどちらかというと外にあって、空いた時間に来る助っ人という感覚だった。)
一番最初に3人での共通認識を持つ時間が必要だったなぁと思う。
本当にほんとうに、リアルな社会勉強になった。
でも私は会社に雇ってもらっているから、自分の意見よりもリーダーのやり方を優先してリーダーの手足となる働き方ではなくて、
対等に向き合って、違う意見も言い合って、話し合って、お互いに「チカラを貸してくれて」「任せてくれて」「ありがとうございます」と握手を交わせるような!そんな関係で、できる働き方をしたいと思った。
*
以上が私が辞めるに至った経緯です。
アンケートのつもりで、私の視点で感じていたことを正直に書きました。
「あくまでも私の感想です」
*
誰かから聞いたり見たりしても、自分でやってみないと分からない!
ということを体験から学びました。
感じ方もスピードもキャパもやり方も価値観も
みーんな違う。
どちらが良くてどちらが悪いわけでも全然なくて、
私にとっての心地よさは私にしか分からないから、
他の誰でもない自分の声によく耳を傾けてみようと思いました。
そして今までは、大きくてカタチある夢と人との繋がりと刺激的な体験を求めてきましたが、
思う存分楽しんで
今からは、
遠く先の未来よりも、
目に目える誰もが認めるすごいことよりも、
どんな立派な肩書きよりも、
いまの心と体と、
今目の前にいる人と、
今自分が立っているその場所と、
日々の暮らしとを大切に、
地に足をつけて、
自分の人生を手づくりしていきたいなぁと思っています。
この7ヶ月のすべてにおいて悔いはありません。
色んなことがあったけれど、今とても晴れやかな気持ちです。
自分と向き合わせてくれた出逢いと体験に感謝を込めて。
望さん、まっちさん、出逢ってくれたすべての人に。
本当にありがとうございました。
新垣明日歌
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