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「すごい」と言われることへの違和感

駐妻の私がタイで働き始めてから一番よく言われた言葉、それは
「すごい」だ。

その言葉を噛み砕いて理解すると、おそらくこれ一択だと思う。
「駐妻なのに働いていてすごい」

私はこの言葉に対して、すごく違和感・嫌悪感を覚えていた。
理由はいろいろある。

まず一つ目は、「駐妻=働いていない」という考えがほとんどすべての人にあったこと。

働いていないと予想した上で「タイで何してるんですか?」と聞いたのに、実は働いているという予想を裏切る答えが返ってきたことへの驚きで、「すごい」と言った人も多いと思う。
駐妻でも事業をやっている方もいるし、大学院に通っている方もいるし、私のように働いている方もいる。

多様な生き方があるのに、駐妻になった途端「駐妻=働いていない人」という方程式を当てはめるのはなんだか失礼だよなと思う。
本来働いていないはずの人が働いているからすごい、というのはものすごくおかしな考え方だと思うんだけど、私だけだろうか。
実際、駐在員として働いている男性に対して「すごい」という言葉をかける人はなかなかいないんじゃないかと思う。

二つ目は、働くことよりももっと大変な思いをしている人がいること。

もちろん働くことは大変だ。
顧客から無理難題を求められたり、人間関係が上手くいかなかったり、決められた時間内には全く仕事が終わらなかったり、苦しい思いをする場面がたくさんある。

ただ正直、サラリーマンはめちゃくちゃ守られた存在だ。
パフォーマンスが悪すぎるとクビになる可能性もあるけれど、会社に行けばお給料がもらえる。

先日子供がいる友達と話していた時にこう言ったら「確かに」と言われたのだけど、上司は突然お漏らししたりしないし、奇声をあげながら走ったりしないし、意味の分からない言葉をつぶやき続けたりしないし、せっかく食べたものを口から吐き出したりもしない。
何より、どんなに嫌な上司でも言葉というコミュニケーション手段がある。
(とはいえ全く話が通じない人がいるのも知っている)

私には子供がいないからわからないし、大変さの種類が違うとは思うけど、上に挙げたことがサラリーマンには起きないというだけでも、世の中のお母さんの方が圧倒的に大変だと思う。

さらに異国の地で子育てをするなんて、不安なこともたくさんあるだろうし、当たり前のことができない場面もあるだろう。

異国の地で子育てをしているお母さん方の方がよっぽどすごい、と本当に心から思う。

それにもかかわらず、私に対して「すごい」と言った人の中にはタイで子育てをされている方もいた。
本心はわからないけれど、働いている私と子育てをしている自分を比較して、なんとなく自分を卑下しているように見えた。

おそらく、そう考えさせているのは「社会」なのではないかと思う。
働けない環境や、働きづらい環境が、子育てする駐妻を卑下するような思考に追いやっているような気がする。

働いている駐妻に「すごい」と言うのは構わないけれど、それなら同時に外国で子育てをしている駐妻にも「すごい」と言う社会になりますように。


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