【しろまる先輩は距離感がおかしい。】3話「最終列車には先輩が乗っている」
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◆ ◆ ◆
「……いさん、……川井……さん」
混濁した意識の中に、聞き覚えのある声が降ってくる。雪音は再起動中の脳細胞を総動員して、状況整理に努めた。
金曜日。
仕事でトラブルがあった。
遅くまで残業した。
終電に乗った。
とにかく疲れていた。
熊谷を出たところまでは記憶がある。
つまりこれが意味するのは……
寝 過 し た 。
電流が流れたかように全身がカッと熱くなり、すべてを察した意識が覚醒する。
一体どれだけの時間眠っていたのだろうか。自分が降りる予定だった深谷を、どれだけ過ぎてしまっただろうか。窓の外に駅名が書かれた看板を捉え、目を細めてピントを合わせる。
終わった……
乗っていたのは終電だ。当然、引き返すための折り返し列車はない。
雪音は絶望した。が、
……………………
……………………………
……………………………………
とある重要事項の見落としに気がついた。
(——私を起こしたのは、誰?)
雪音は自分に声をかけていた人物に向き直った。
見覚えのある栗色ショートヘアーと、大きなリュックサック。そこには確かに、職場の先輩がいた。
「えっ……しっ、しろまる先輩!?」
「おつかれ」
「どどど、どうしてここに?」
「こっちが聞きたいよ」
驚いて目をまわす雪音とは対照的に、先輩はとても冷静沈着だった。雪音の手を引いて次の行動を促す。
「とりあえず降りるよ」
車内を見回すと、あれだけ混雑していた車内が閑散としていた。同じように寝過ごしたと思われる何人かの乗客らが車掌に起こされている。
ホームに降り立つと、深夜だからか、だいぶ北上したからか、少し肌寒かった。とりあえずエスカレーターに乗り、上の階へ向かう。改札階のコンコースには思いのほか沢山の人がいた。
速足で家路を急ぐ者。
誰かに電話をかける者。
乗り過ごして精算機に並ぶ者。
これから夜間の設備工事をおこなうのであろう作業員の姿も見受けられる。
雪音は普段見ることができない光景を物珍しく思いながら、先輩と一緒に駅舎の外へ出た。
「あ、あの」
「?」
「しろまる先輩も高崎線方面だったんですね! お互いご愁傷さまです、、、、、?」
彼女を寝過ごし仲間だと断定した雪音は、藪から棒に言い出した。気丈に振舞ってはいるが、いわゆる詰みの境遇に自棄を起こしている。
しかし、返ってきた返答は否定だった。
「あれ……先輩も寝過ごしたんじゃ……なかったんですか……」
仲間だと思っていた存在に裏切られ、思わず消え入りそうな声になる。
………………。
「前から乗ってみたかったから」
「乗ってみたかっ、た……?」
「高崎線の、下り最終、高崎行き」
ややあって理由を語り出した先輩の言葉に、雪音は自分の耳を疑った。
終電に乗りたかった?
こんな真夜中に関東平野の果てまで強制連行されるだけの終電に?
意味が分からない。
すると雪音の混乱を察した先輩は捕捉をはじめた。
「東京駅を23時19分に発車する高崎線の終電はね、日本でもっとも遅い終電のひとつで」
「は、はぁ」
突然始まった解説に戸惑いが増す雪音だが、興奮気味に語る先輩が珍しかったため、耳を傾けてみた。
「今の日本で一番遅い時間まで走っている電車は東武野田線の七光台1時16分着なんだけど、これは平日限定の運行だから、毎日運転されている中だと関西の西明石行きと、高崎線の高崎行きが、1時14分着で一番遅いんだよね。で、きょうはたまたま残業で帰りが遅くなっちゃったから、前から気になっていた高崎線の終電に乗ってみようと思ったわけで」
急に饒舌になった先輩の力説を、雪音はポカンと口をあけた状態でしばらく聞いていた。彼女が自分の意志で終電を乗り通した事実は伝わってきたが、その行動の本質はまったく理解できていない。
「それで、川井さんはこのあとどうするの」
一通り話し終えて満足げな先輩から尋ねられ、雪音は我に返った。
そうだった。自分は終電で寝過ごし、あろうことか群馬県まで来てしまったのである。当然夜を明かすための当てはない。雪音が燃え尽きたように棒立ちしていると、
「わたし、宿とってるけど、一緒に泊まる?」
「ふぇぇっ!?」
先輩の思わぬ提案に、雪音から随分と腑抜けた音が出た。彼女とは職場の先輩後輩関係だが、プライベートでの関わりは一切ない。急に詰められた距離感に雪音がたじろいでいると、追撃が飛んできた。
「今夜、いくとこないでしょ?」
耳元で囁かれた言葉には、妙な説得力を孕んだ先輩の圧と、甘美な熱がこ込められていた。図星を突かれた雪音は、背に腹は代えられぬと覚悟を決め、彼女の提案を呑んでしまう。
「……わかりました。そうします……」
「よろしい」
こうして雪奈は先輩社員のあすかと一晩を共にすることになったのである。
群馬の夜は、まだ長い。
(つづく)
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