【しろまる先輩は距離感がおかしい。】5話「熱海は遠いです」
前のお話▼
◆ ◆ ◆
「川井さん、明日空いてる?」
突然の問いに、雪音は目を丸くした。声を掛けてきた相手がミステリアスな先輩社員、白丸あすかだったのだから当然である。
明日は土曜日。休日だ。これといって趣味がない雪音の休日は、家の手伝い以外基本的にダラダラと過ごすだけだ。質問の意図が汲み取れず返事に窮した雪音であったが、根の真面目さゆえに正直に答える。
「いや……とくに予定はないです、けど」
「ほんと!?」
その言葉を聞いた瞬間、先輩の顔色が変わった。ポケットから何かを取り出して、興奮気味に続きを語る。
「じつは、両親が地元の福引きでホテルのビュッフェのペアチケットを当ててわたしにくれたんだけど、どうも一緒に行ってくれる人がいなくて。川井さん……どうかな?」
なるほど。ペアチケット消費作戦の協力依頼……ラブコメとかでよくある展開だ。しかし、気になることがある。
「なんで雪音なんですか?」
「……他に頼れる人がいなかったから」
投げかけられた問いに、先輩は少し首を傾げつつも当たり前のように答えた。
「あー、なるほどです?」
彼女の交友関係が広くないことは知っていたが、一度同じ部屋で寝泊まりしたというだけの関係で食事に誘われたことに、雪音の戸惑いが増幅した。ランチを一緒に食べる程度から段階を踏むならまだしも、いきなり休日に2人で出かけようというのだ。
雪音が考え込んでいると、状況を邪推した先輩は顔色を曇らせはじめた。
「迷惑だったかな……無理に誘っちゃってごめんね。ビュッフェは諦めるよ」
「え?あ、別に嫌ってわけじゃ……」
しゅんとして肩を落とす先輩に、雪音は慌てて何かフォローを入れようと試みた。しかし、それよりも先に先輩が次の独り言を吐く。
「うちの両親は家から出たがらないし、わたしその、友達とかあんまいないし」
(ちょ、ちょ、ちょ何言って……?)
「恋人も、いないし……」
(なんか雪音が悪いみたいになってる……?)
「一人旅は手練れでも、誰かと出かける勝手がわからない……どうせわたしはブツブツブツブツ」
「はいはい分かりました!行きます行きますっ!ホテルビュッフェお供させていただきますっ!」
自虐暴走モードに突入した先輩が見るに堪えず、雪音は半ば反射的に誘いを受け入れてしまった。先輩の表情が再び柔らかくなったのを確認し、少し安堵する。
先輩は意外と表情が豊かだな。と思う。
「———で、ビュッフェってどこのホテルのやつですか?」
話の流れを変えるため、雪音は場所の確認をした。
「熱海。」
あすかの即答に、思わず約束を破棄したくなる。
「熱海って……確か静岡ですよね?」
「そうだよ。東京基準で考えた時に熱海を近いと感じるかどうかは、その人の距離感覚を推し量るのにちょうどいい基準なんだけど、川井さんはどう?」
「熱海は遠いです」
一般人、川井 雪音は、至極真っ当な意見で返す。先輩は少し驚いた表情を見せてから、
「そっか……熱海は関東の玄関口って感じだし、近場だと思ってたんだけどな。西のほうを旅行して熱海まで戻ってくると、実家のような安心感がない?」
さらにたたみかけた。
「全人類が熱海に行ったことがあるような言い草ですけど、そもそも私、熱海行ったことないですよ」
「!、そうなんだ……川井さんは深谷から毎日通勤してるって聞いたから、ある程度距離感が狂っててこっち側の感覚が養われてると思ったんだけど、熱海を遠いと感じるならどうやら正常みたいだね……」
(同類だと思われてたんかい……!)
雪音は謎の仲間意識をもたれていた事実に驚くと同時に、先輩の狂った距離感を再認識した。
彼女曰く、名古屋、新潟、仙台程度なら近場だと認識しているそうだ。深谷と東京を毎日往復するだけの雪音には、到底理解できない次元の話だ。
さて。
熱海が近いか遠いかはさておき、結局雪音は先輩と休日に出かけることになったのだ。距離感が掴みにくい年上と行く一対一の外出に、一抹の不安が残る。
◆ ◆ ◆
いつも通り先輩が定時退社した後、一連のやり取りを静観していた上司の唯がヒソヒソと絡んできた。
「川井ちゃん川井ちゃん、いつの間にあすかと仲良くなったん?」
「私が知りたいですよ」
本人は他に候補がいなかったからと言っていたが、なぜ誘われたのかは未だによく分からない。ひょっとしたら、厄介な先輩に目をつけられてしまったのかもしれない。
ただ、独自の行動原理で動く白丸あすかという存在に、より一層心を惹かれている自分がいるのもまた事実であった。
(つづく)
次のお話▼