挑戦記:意思をもってやれているか
今日はじめて、鳥の糞が頭に落ちてきました、小野寺です。
あまりにナチュラルで、雨かと思いました。
そして、爆笑してつつ、一緒に出かけていたダイ(お兄さん)に拭いてもらいました。
そんな小野寺の今日のトピックは、
「私は意思を持ってやれているか」です。
昨日の夜、吉川さんから、こんな言葉をもらいました。
「基礎基本、こだわって、やりきる自分になれてる?
能力とかスキルとかの前に、そもそも意志もってやるかどうか。」
私は、もらったタスクや、今やっていることを「できるか、できないか」ばかり気にしていて、そもそもの最初の「意思」がだんだん見えなくなっていくというか、というか、そもそも最初に意思なんて有ったんだっけ?
となりました。
毎日note投稿も、今週2回しか投稿できておらず、私の意思は何だったのだろうとなりました。
とりあえず続けてみたら、良い習慣になり、自分をそれとなくよりいい方向へ、明るく前向きな方向へ連れて行ってくれるのではないか、と思っていたのでした。
では、「それとなくより良い方向」とは、なんだったのか。
私は、決めないでいた、のです。
曖昧に、「自分で何かを形作ること」と言葉にしていましたが、この目標に向かうための具体化はされていませんでした。
いつもちょっと大変になると、目的を見失って、物事の優先順位を付けられなくなり、目の前のことがどんどんおろそかになっていきます。
そして終着点は、「大変だから休みたい」という言葉です。
この流れは私がずっと繰り返してきたもので、嫌というほどわかっているし、嫌というほど「一人で気合い入れて、なんとかできる」ことでもないとわかっています。
それと同時に、私は私の意思を持つことから始まり、この意思を持って生きていくと決意する自分を信じることはできる。
とも、思っています。
9月末までに、PJマネージャーになっている。
という意思を持ち、目の前のことを淡々と、できようが、失敗ようが、淡々と、挑戦し続けます。
今日も充実していたとこの挑戦記の最後に、心のそこから言えるように、明日も楽しみだと本当に言えるために、今日も明日も生きます。
ここからが本当の挑戦記の始まり、はじまり。
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