天涯客 引用古典籍 10章~23章
10章のあと22章まで飛んでいるので、きっと何か見落としています……。
見つけたら補足します。
10章 月上柳梢頭 人約黄昏後
※56章、69章にも引用あり
*出典*
歐陽脩『生査子』(詞牌)
去年元夜時
花市燈如晝
月上柳梢頭
人約黄昏後
今年元夜時
月與燈依舊
不見去年人
涙滿春衫袖
*書き下し文*
去年元夜の時
花市の燈は晝のごとし
月 柳梢の頭に上る
人約す 黄昏の後
今年元夜の時
月と燈は舊に依るも
去年の人見えず
涙満つ 春衫の袖に
*私的意訳*
去年の元宵節の夜、花市の燈篭で街は昼のように明るく、月は柳の梢の上に昇る。愛しい人と黄昏の後に逢おうと約束した。
今年の元宵節の夜、月と燈篭は去年と同じだけれど、去年の人と会うことは出来ない。新春の衣の袖は涙に濡れている。
*語釈*
・元夜 元宵節の夜
ネタバレになるので詳しく書けませんが、ここは血腥い場面でして、こんな切ない恋の詞を引用する場面じゃないのでは……と思ってしまったところ。あえての引用なんだろうなあ、P大。この場面でこのような詞は頭に浮かばないです、私😅
22章 十八摸
客家民謡の1つ。山河令にも出てきたもの。
性的な挑発を含む歌謡の一種で、「摸」は手で撫でる、触ることを意味する。触る身体の部位を歌い上げていく戯れ歌。地域によって内容は異なるようです。
↓に台湾の十八摸の音源があったので、リンクを貼っておきます。
ちなみにこの解説文をChatGPTに翻訳してもらったら、利用規約に違反している可能性を指摘されてしまったw 性的表現がダメだったんだな、たぶんw
https://openmuseum.tw/muse/digi_object/4eaaae53f10c36640d8320c534c4eb06
23章 彼黍離離、彼稷之苗……
老温の台詞
彼黍離離、彼稷之苗、行邁靡靡、中心揺揺。知我者、謂我心憂、不知我者、謂我何求。悠悠蒼天! 此何人哉? 彼黍離離、彼稷之穂…
*出典*
詩経『黍離』
彼黍離離 彼の黍離離たり
彼稷之苗 彼の稷の苗
行邁靡靡 行き邁くこと靡靡たり
中心搖搖 中心搖搖たり
知我者 我を知る者
謂我心憂 我が心憂ふと謂ふ
不知我者 我を知らざる者
謂我何求 我何をか求むと謂ふ
悠悠蒼天 悠悠たる蒼天
此何人哉 此れ何人ぞや
彼黍離離 彼の黍離離たり
彼稷之穗 彼の稷の穗
行邁靡靡 行き邁くこと靡靡たり
中心如醉 中心醉ふが如し
知我者 我を知る者
謂我心憂 我が心憂ふと謂ふ
不知我者 我を知らざる者
謂我何求 我何をか求むと謂ふ
悠悠蒼天 悠悠たる蒼天
此何人哉 此れ何人ぞや
彼黍離離 彼の黍離離たり
彼稷之實 彼の稷の實
行邁靡靡 行き邁くこと靡靡たり
中心如噎 中心噎ぶが如し
知我者 我を知る者
謂我心憂 我が心憂ふと謂ふ
不知我者 我を知らざる者
謂我何求 我何をか求むと謂ふ
悠悠蒼天 悠悠たる蒼天
此何人哉 此れ何人ぞや
*私的意訳*(部分)*
彼の黍の穂はふさふさと茂って垂れ下がり、彼の稷の苗は芽を出して茂っている。歩みは遅々として進まず、心のうちは酔っているようにゆらゆらと揺れている。私を知る者は私の心が憂いていると言う。私を知らない者は、私が何を求めて憂えているのかと言う。ああ、悠々たる蒼天よ、これは一体どのような人なのだろうか。(後略)
*語釈*
・離離 穂が実って垂れ下がること
・靡靡 ぐずぐずと遅滞すること
有名な詩経の詩。
作中でもP大が解説されていますが、この詩は西周の平王が異民族からの攻撃を避けて都を移したあと、旧都を通りかかった西周の臣下が、往時の宗廟や宮室が既に荒廃して穀物が鬱蒼としている光景に触れて悲しみ、そこからこの哀歌が生まれたのだと古注釈で解説されてきたもの。ただし、詩自体にはそうしたことを読み取れる記述はなく、これは後世の人物が勝手に言ってるだけのような気もします。ただ、P大は作中でこの注釈の説に従っていると読み取れるので、少なくとも天涯客を読む際にはこの詩を滅亡に向かう国の中で旧都の荒廃を嘆く詩と読むべきでしょう。
そうすると、日本で言うなら近江京が捨てられた後わりとすぐ荒廃したらしく、それを見た柿本人麻呂が詠んだ近江荒都歌みたいな感じでしょうかね。ただその寂しさの凄さは近江京の比ではない気がするのは何故でしょう。
心に響いてくるのは「知我者、謂我心憂、不知我者、謂我何求」の部分なのですが、淡々と繰り返される「彼黍離離、彼稷之苗……」の部分が、繰り返されるごとに心に寂しさを叩き込んでくる感じがします。この詩を老温が口ずさむ場面の物哀しさといったら……😭
さすがの成嶺も声をかけられないのはやむを得ない。成嶺に阿絮と老温がいなかったら、将来このときの老温のようにこの詩を口ずさんだかもしれない……。