天涯客9章(及び43章)「青山不改、緑水長流」の典拠
さて、山河令、陳情令のみならず、武侠ドラマではお馴染みの台詞
「青山不改、緑水長流」
ご多分に漏れず天涯客にも2箇所使用されています。
意味は別に難しくはなく、「青山はいつまでも変わらず、緑水は永久に流れ続ける。また会う時があるだろう」ほどの意味でよいと思います。
が、これの典拠はどこかというとそれが意外と難しい。
というわけで、色々調べてみました。
結論を早めに述べておきますので、その後は読まなくてもなんら問題ありません(笑)。
せっかく調べたのでどこかに載せたかっただけです(笑)。
9章、43章
周絮から成嶺へ手紙(9章)、老温の台詞(43章)
青山不改、緑水長流。
実はこの文言については中国でも情報が錯綜しているようです。管見の及ぶ範囲の中で最も詳しいと思われた説明が以下のリンク先にある回答(この質問に対する一つ目の回答)。下にその回答の日本語訳を示します。
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百度百知より(この質問に対する一つ目の回答)
**以下引用の日本語訳**
これは白居易の詩《離別》に由来するもので、原句は「原句是青山不改,绿水长流,后会有期」である。
《离别》 作者:白居易
原文:
深秋时节话别离,冷风瑟瑟叶满溪。
胸中无限慷与慨,转身欲语泪沾衣。
青山不改水长流,明月依旧星渐稀。
天长地久有尽时,此恨绵绵无绝期。
この言葉の寓意を辿ると、南宋時代の詩人・釈行海による《送清上人帰苕渓》にまで遡ることができる。原文は「何処何時又相見、青山長在水長流」(どこかでいつか再び会うだろう、青山は長くあり、水は長く流れる)というもので、送別する相手への別れの惜しさと再会への期待を表現している。また、送別する者が二人の深い友情を信じ、初心を疑わないため、再会の時期については心穏やかでいられる様子を示している。さらに、『三国演義』の中にも類似の表現があり、「青山不老、緑水長存」(青山は老いず、緑水は永く存する)という言葉が登場する。
原文を追溯すると、金庸の『神雕侠侶』の中で何度も言及されており、江湖の侠士たちの飄々とした自由奔放で豪放な気質を存分に表現している。この一句は初心、信念、友情へのこだわりと、人生そのものに対する飄々とした態度をよく表現しており、現代の作家である南派三叔などの作品にもこの句を見ることができる。
**引用ここまで**
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これ以外でもあちこちで「青山不改……」の文言の出典とされている白居易の『離別』(唐代)ですが、実はこの詩は全唐詩や白氏文集(白氏長慶集 (四庫全書本))などに見当たりません。
百度などで示されている「離別」の詩全文を以下に再掲します。
深秋時節話別離,冷風瑟瑟葉滿溪。
胸中無限慷與慨,轉身欲語淚沾衣。
青山不改水長流,明月依舊星漸稀。
天長地久有盡時,此恨綿綿無絕期。
また、台湾市立図書館がレファレンス回答に示しているのもこの詩(離別)ですが、出典が百度知道(上記の物とはまた別の質問・回答)です。
しかしながら先に述べた通り、この詩は全唐詩にも白氏文集も見当たらない詩です。この詩の中にある「天長地久有盡時,此恨綿綿無絕期。」の句は、語順が違う箇所(有尽時→有時尽)があるものの、ほぼ同じ表現が長恨歌(白居易)のラストにあり、一方で「明月依舊」「星漸稀」の表現などは唐以前に用例がなく、これは後世の人間が白居易に寄せて創作したものではないかと思います。少なくともネット上でこの詩を収録している写本・版本などの例も見当たらず、これでは白居易の作とする根拠がないと言わざるをえない。それゆえ現代のドラマ作品などに使用される「青山不改、緑水長流」の典拠をこの詩とすることはできないと筆者は考えます。
というところで先に結論を述べますと、天涯客に限らず現代の武侠作品(小説・ドラマ・映画等)に見られる「青山不改、緑水長流」の直接的な出典は、金庸作品に度々見られる同種の表現であると筆者は考えます。
理由としては、
①文言とシチュエーション(別れの場面)の一致
②現代武侠作品における金庸の影響の大きさ
が挙げられます。
正直これはもう間違いないと思っています。おそらくですが、たとえ金庸作品を読んだことがなくても、金庸作品原作のドラマを見たことがなくても、中国の多くの人はこの文言自体は知っているのではないかと思うのですがどうでしょうか? 日本人の一定世代以上の人が、水戸黄門を見たことがなくても「この印籠が目に入らぬか」は知っていたり、遠山の金さんを見てなくても桜吹雪の台詞を知っていたりするようなものではないかと思っているのですが、違うでしょうか(例えが時代劇ばかりでスミマセン。筆者は時代劇が好きなのです)。
少なくとも武侠ドラマに馴染んでいる人は知っている文言だろうと思います。それゆえ特に金庸作品のどこに出てきた文言だという意識がなくとも、武侠もののドラマや小説でこの文言を使用するのではないかと思うのです。
✻✻ここより下は壮大な?余談です。一応最後にまとめがありますが、そこまでするっと読み飛ばして頂いて一向に構いません(笑)。金庸作品からさらに遡るとどうなるの?という疑問をお持ちの方はお付き合いください。✻✻
というわけで、現在の(金庸より後の)、武侠作品に直接影響を与えたのは金庸であるとは思うのですが、この表現は金庸のオリジナルというわけではありません。以下に示す清代の公安小説『彭公案』に文言とシチュエーションが完全一致する例があり、その作品の性質・ジャンルから考えてもこれが金庸の表現に影響を与えたと考えられます。
また、百度百知の回答にあった通り、明初期に成立したとみられるお馴染み『三国演義』にも同種の表現と別れのシチュエーションという組み合わせの例が見られます。『三国演義』が後年の作品に与えた影響を考えれば、『彭公案』に、また金庸作品にも直接的に『三国演義』の影響がある可能性があります。
そして『三国演義』より遡ると、これまた百度百知の回答にあった釈行海『送清上人帰苕溪』(宋代)(下に示す例⑥)があり、これが「青山」「水」の不変性と人の別離(再会を期す)の場面を組み合わせて表現する初出の例と見られます。というよりも、この詩以外には韻文で同様の表現をする例を見つけられませんでした。他の類例は経年による人の変化と自然の不変性を対比させる表現(もしくは後者のみの表現)です。
経年による人の変化と山水の不変性と対比させる表現としては下に示す中唐の例⑨呂岩『朗州戯笔 其二』まで遡ることが出来ます。例⑧李涉『重登滕王閣』と合わせて、山水の不変性と人の若さや命の儚さを対比させ、人の移ろいを表現するものと言えると思います。
これらの用例は例⑥において人の移ろいの儚さを嘆くことから転換し、たとえ本当に再会できるとは限らずとも、いつか縁があればまた会おうという自由闊達で達観したような姿勢を獲得したように思えます。それが武侠小説の世界観に合っていたために多用されるようになったのではないだろうか……というのが私的な考察です。
※「離別」の詩以外の類例は次の通りです。以下、年代を遡る形で記載します。
例①金庸作品
・『神雕侠侣』第十三回 武林盟主
“郭大侠,黄帮主,今日领教高招。青山不改,绿水长流,咱们后会有期。”
・『笑傲江湖』一二 围 攻
向令狐冲道:“青山不改,绿水长流!”转过身来,踉跄下山。
等複数例あり。
例②贪梦道人『彭公案』(清代)
※著名な公案小説(日本で言うところの推理小説に近いものだが、包拯が主人公の『包公案』等のように行政府が関わる事件を扱うのが基本。近年のドラマ君子盟の原作『張公案』も同じ系統である。これに江湖の登場人物が加わって活躍する作品が出て来て武侠小説になっていく。金庸作品はこの流れの先にあると言える)
公案小説については↓
https://www.lang.osaka-u.ac.jp/~s_aono/zjcidian/cihui/wenxuepiping/gonganxiaoshuo.htm
作中に以下の3例があります。いずれも別れの挨拶に使われるもので、微妙に文字が変えられているものの、大意は変わりません。最初の例は金庸作品・天涯客等の文言と完全一致しています。
・第24回 浮浪子贪淫惹祸 聚盗寇反狱劫牢
“窦胜说:“众位恩兄义弟,你我义气,如同青山不改,绿水长流,我要失陪了,他年相见,后会有期。”说罢,往古北口去了。
・第138回 蒋得芳地坛传艺 马玉龙怒打恶霸
“我二人要上浙江普陀山访友,你我师徒青山不改,细水长流,他年相见,后会有期。”
・第248回 重亲情设法救差官 联新姻赵勇订侠女
“少寨主,你我青山不改,绿水常存,他年相见,后会有期,我等必要报答活命之恩。套言不叙,就此告辞了。”
例③『三国演義』(羅漢中?・編纂 明初期成立?)
作中に「青山」の用例が2例。
・冒頭の詞 楊禛『臨江仙』(明代)
滾滾長江東逝水 浪花淘盡英雄
是非成敗轉頭空
青山依舊在 幾度夕陽紅
白髮漁樵江渚上 慣看秋月春風
一壺濁酒喜相逢
古今多少事 都付談笑中
*書き下し文*
滾滾たる長江 東に逝く水
浪花 英雄を淘盡す
是非 成敗 轉頭 空なり
青山 舊に依りて在り
幾度か 夕陽紅し
白髪 漁樵 江渚の上
看るに慣れたり 秋月春風
一壺の濁酒 相ひ逢ふを喜ぶ
古今多少の事 都(すべ)て付す 談笑の中
*私的意訳*
滾々と水を湛える長江、水は東に流れていき、浪花の中に英雄たちの生涯は揺すり洗われて消えていく。
物事の是非、成敗、振り返るも虚しい。
青々とした山は昔のまま 夕陽は幾度沈んでいったのか。
白髪の漁師は江渚の上で、秋月春風、季節の移り変わりを見慣れるほど見てきた。
一壺の濁り酒があり、巡り会いを喜ぶ。
これまでの数多の出来事も全て談笑するほどの僅かな間の出来事のようなもの。
※蘇軾の『念奴嬌』(赤壁について詠った詞)と表現が似通っている。この詞は『念奴嬌』の影響を受けている可能性が高い。
・第六十回
松曰:「明公可速圖之。松有心腹契友二人:法正、孟達。此二人必能相助。如二人到荊州時,可將心事共議。」
玄德拱手謝曰:「青山不老,綠水長存。他日事成,必當厚報。(青山は老いず、緑水は永久に流れ続けるもの。他日、事が成し遂げられました暁には、必ずや厚く恩返しをいたします。)」
松曰:「松遇明主,不得不盡情相告,豈敢望報乎?」說罷作別。孔明命雲長等護送數十里方回。
※松=人名。張松(字は永年)のこと。劉璋の配下。演義の中では曹操を怨んで劉備に与したが、そのことを密告されて劉璋に処刑された。
※ここは、張松が主に反して詳細な地図を劉備に渡し、且つ、有能な人材を紹介することで劉備に与し、劉備がそれに感謝を述べてその場を去っていくという場面です。ここでは不変のものの例えとして青山緑水が提示され、劉備玄徳から張松への感謝の念は固く、将来必ず約束を果たすという意思を示そうとしていると見られます。
例④徐熥『幔亭集・卷十三(七言絶句)』「金谷园」 (明代)
聞説佳人此墜楼 青山長在水長流
明珠已与珊瑚碎 尚有香魂夜出遊
*書き下し文*
聞説(き)くならく 佳人 此に楼より墜つ 青山は長(とこし)へに在り水は長へに流る
明珠已に珊瑚と碎け 尚ほ香魂有りて夜に出遊す
*私的意訳*
聞く話によると、かつて佳人がここで楼の上から身を投げたとか。青々とした山は変わらず長久に在り、川の水は長久に流れていく(けれど、人の身は儚い)。明珠(=佳人)は砕かれて珊瑚のようになってしまった(儚くなった)が、今もなおその魂が残っていて、夜に彷徨い出てくるそうだ。
※金谷园(金谷園)=中国、西晉の富豪、石崇が洛陽の西北、金谷に作った別荘。杜牧の同じ題の詩で知られる。詩に詠まれている佳人は石崇の愛妾・緑珠のことで、自分を巡る陰謀から主を守るため、楼から身投げしたという伝承がある。
例⑤長筌子『洞淵集』(『正統道藏』所収)(金元代)
※長筌子は道士。
巻之四「八義禪賦」
教有頓漸,禪無後先。迷之者遠隔劫外,悟之者薦在目前。無去無來,運六通而自在;不生不滅,超三界以孤圓。(中略)二曰法用。智慧夙稟,靈明頓開。應機時須宜性現,對境處庾要心灰。圓融四象,通達三才。綠水長流,從使嘔生樞滅;青山不動,任他雲去雲來。四曰真空。百一古亙今,不衰不朽。
*書き下し文*(部分)
緑水長へに流れ、従ひて嘔生樞滅せしむ。
青山動かずして、他より雲去りて雲来るに任せん。
*概要*
禅の教えについて論じたもの。「綠水長流,從使嘔生樞滅;青山不動,任他雲去雲來。」は、「(自然の中では)水が流れていくように命が生まれては消えていくものであり、青山は周りに雲が来てまた去って行っても動じることなく、流れのままに任せている」ぐらいの意味と思われます。禅道の教えですので、生じたものは川の流れのようにやがては滅していくものであり、流れのままを受け入れ、山のように動じない精神を持つことが必要だというような意味かと思います。ここでの青山や水流は不変のものを示すのではなく、水流はむしろ移ろいゆく物を示し、青山は目指すべき精神のありようの指標として示されていると思われ、他の韻文の例とは質が違うように思います。ただ、自然に身を任せよといった考え方は武侠の別れの場面に通じる……かも?(こじつけ)
例⑥釈行海『送清上人帰苕溪』(宋代)
※作者は僧侶
尋常送客尚多愁 况是天涯寂寞秋
暁别蛩声黄葉寺 夜分漁火白蘋洲
病余骨肉添新林 帰后風烟憶旧游
何処何時又相見 青山長在水長流
*書き下し文*
尋常客を送るに尚愁ひ多く、況や是天涯の寂寞の秋たるや
暁に別る、蛩声黄葉の寺 夜分、漁火白蘋洲
病余、骨肉に新しき夢を添え、帰りて後、風烟に旧游を憶う
何処何時か又相見えん、青山は長へに在り水は長へに流る
*私的意訳*
普段でも客を見送るのは寂しいものなのに、ましてやこの天涯にあって秋のうら寂しいことは言いようがない。
明け方の別れ、蟋蟀の声が響く黄葉の寺、夜分、漁火が揺れる白苹洲。
病後の身体に新しい夢を持って旅立ち、帰郷してのち風烟に吹かれながらかつて周遊した日々を懐かしむだろう。
いつかどこかでまた会いましょう、青々とした山は変わらず長久に在り、川の水は長久に流れていく。
*語釈*
・清上人=作者の友人の名(僧)か。清溪沅禪師のこととされる。同作者の別の作品に『送清上人归暨阳』がある。
・苕溪=浙江省西北部を流れる河川
・蛩声=コオロギの鳴き声
・白蘋洲=浙江省湖州市霅溪の地名。題にある苕溪は流れの先で霅溪と呼ばれるようになる。
ちなみにこの詩を収めた詩集は日本で1665年に刊行された版本が現存し、国立国会図書館デジタルコレクションで見られる。この詩が載っているのは画像9枚目。
例⑦釈浄端『長興周承事相訪 其一」(宋代)
呉山長碧水長流 水転山湾路更幽
多謝龐公遠相訪 旋焼松火荐茶瓯
*書き下し文*
呉山長へにして碧水長へに流る 水転 山の湾路 更に幽なり
龐公遠くより相訪ねしを多いに謝し 松火を旋焼し茶瓯を薦む
*私的意訳*
呉山は長久にあり、碧水は長久に流れゆく。
蛇行する川の水、曲がりくねった山道は実に幽玄の趣である。
龐公が遠方から訪ねてくれたことに感謝し、松の木を燃やして茶を煮て勧める。
*語釈*
※長興=浙江省湖州市の地名のことか。
※周承=後漢末~三国時代の武将・周泰の子のことか。
※庞公=龐徳公のこと。司馬徽を「水鏡」、諸葛亮を「臥龍」、そして龐統を「鳳雛」と名付けたとされる人物。
例⑧李涉『重登滕王阁』(晩唐)
滕王閣上唱伊州 二十年前向此遊
半是半非君莫問 好山長在水長流
*書き下し文*
滕王閣上 伊州を唱ひ
二十年前 向(さき)に此に遊ぶ
半ばは是、半ばは非なるも 君問ふこと莫かれ
好山は長へに在り水は長へに流る
*私的意訳*
かつて勝王閣の上で伊州(曲名)を唄った。二十年も昔のこと、この場所で皆と遊んだものだ。
その頃共に過ごした者達のうち半分は今もいるが、残りの半分はもういない。ああ、どうか詳しいことは聞かないでくれ。
(人の命は儚いものだが、)美しい山は長久に存在し、川の流れはずっと変わらず流れ続ける。
例⑨呂岩『朗州戯笔 其二』(中唐)
数年不到鼎城游 反掌俄经八十秋
劉氏宅為張氏宅 謝家楼作李家楼
千金公子皆空手 三歳孩児尽白頭
惟有両般依旧在 青山長秀水長流
*書き下し文*
数年鼎城に到らずして游び 反掌して俄に八十秋を経る
劉氏の宅を張氏の宅と為し 謝家の楼を李家の楼と作す
千金公子皆空手たり 三歳の孩児も尽く白頭たる
ただ有る両般旧に依りて在す 青山長秀にして水長流たり
*私的意訳*
数年鼎城に戻らず周遊しているうちに、あっという間に長い時間が過ぎた。
劉氏の家は張氏の家に変わり、謝家の楼は李家の楼に変わってしまった。
令嬢も若公子も皆すべなく、三歳の子どもとて尽く白髪頭の老人になる。
けれども昔のまま変わらずに存在するものが二つある。それは永久に変わらない青々とした山と、ずっと流れ続ける川の流れだ。
*語釈*
・戯笔=劇筆。劇作の書画。
・千金=ここは令嬢のこと。
まとめ
このほか、「青山不改」「青山不老」だけなら用例多数。「緑水長流」は見当たらず。「碧水長流」は⑦の他に2例、「水長流」「流水長」等は用例多数。山水を組み合わせてその不変性を詠ずるものも多数あります。韻文の場合、一句の字数が七字(七言)のものが多い為、同じ句の中に山と水を両方入れる場合、青山で二字使ってしまうと水の方は一文字にせざるを得ない。「水長流」や「流水長」の例が多いのに「緑水」「碧水」の例が少ないのはそうした理由によるものだろうと思います。ですが散文ではそうした字数の制限がないため、山の文句と水の文句がより対称になるように「青山」「緑水」の形で固定したのではないでしょうか。そして例⑥の用例を発端として、例③、②のように物語世界の中で展開し、自然の山水の不変性、もしくはあるがままの姿といったものに彼我の関係を重ね、
「この山々、この水の流れが変わらずある限り、あなたと私の関係も変わらない。だからいつかまた会うこともあるだろう(たとえ再び相見えることがなくても、互いの関係は変わらない)」
といった江湖を流離う武侠の者らしい台詞として定着したのではないかなあ、というのが筆者の結論です。
長々とお付き合いくださった方がいらっしゃいましたら、心より御礼申し上げます。