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天涯客 引用古典籍 56章〜57章

ようやくnoteでルビをつける方法を学びましたw
そのうち過去の分も直していこうと思います💦


56章 「月上柳梢、樹影婆娑」

56章冒頭。一人宿に置いて行かれた張成嶺が寝付けないでいる様子。

 張成嶺回了房、翻來覆去地睡不著、窗边新发了枝芽的树影打在窗上、風吹起來的時候“沙沙”的動靜不止、往日裏覺著是“月上柳梢、树影婆娑”、這一宿便成了“張牙舞爪、妖魔鬼怪”。
(張成嶺は部屋に戻ったが、度々寝返りを打ってなかなか眠れなかった。窓辺にある新芽が出たばかりの樹影が窓に映り、風が吹くたびにさらさらと音を立てていた。いつもなら「月は柳梢に上り、樹影婆娑たり」のように感じられるものが、今夜に限っては「妖怪変化が凶悪な牙を剥く」かのように思えた。)

Priest 天涯客

*出典*
①歐陽脩 『生査子』
(10章にも引用あり→天涯客 引用古典籍 10章~23章をご参照下さい)

②版本『嫦娥奔月』正版

*原文*
后羿外出回来,不见了妻子嫦娥。他焦急地冲出门外,只见皓月当空,圓圓的月亮上树影婆娑,一只玉兔在樹下跳来跳去。啊,妻子正站在一棵桂樹旁深情地凝望着自己呢。“嫦娥,嫦娥”后羿連声呼喚,不願一切地朝着月亮追去。可是他向前追三步,月亮就向后退三步,怎么也追不上。

*私的意訳*
后羿が外出から戻ると、妻の嫦娥の姿が見当たらなかった。焦って外へ飛び出すと、澄んだ夜空に丸い月が浮かび、月面には木々の影がゆらめいていて、その下では玉兔がぴょんぴょんと跳ねていた。なんということか、妻は(月にある)一本の桂の木のそばに立ち、こちらをじっと見つめていたのだ。「嫦娥! 嫦娥!」と后羿は何度も呼びかけ、必死で月へ向かって駆け寄った。しかし彼が三歩進むと、月は三歩遠ざかり、どうしても追いつくことができなかった。

※樹影婆娑=樹木の姿がまるでシルエットのように風に揺れ、舞っている様子を表す表現。


56章 「憶梅下西州,折梅寄江北」

温客行と周子舒が蠍子の拠点を探っている時に聞こえてきた妓女の歌声。

前院伝来的歌声便清晰起来、嬌滴滴的女声軽軽地唱道。「憶梅下西州、折梅寄江北……」
(前庭から歌声がはっきりと聞こえてきて、女性らしい甘美な女の声がかろやかに歌い上げている。「梅に憶ふ 西洲に下りしを、梅折りて 江北に寄す……」)

Priest 天涯客

恋の歌なので、妓楼で歌唱されるのに相応しい曲と言えるでしょうが、これを温周が聴いていて、このあと老温がね〜🤭 この西洲曲から長江つながりで卜算子を持ってくるP大の粋さ!!
南北朝(魔道祖師のモデルとなった時代)の曲なので、メロディは伝わっていませんが、現代になってから曲をつけて歌われているものがあるらしく、例えば↓などがあるようです。舞台が華やか~♬
张雪迎、二十四伎乐《南风知我意》,演唱南北朝民歌《西洲曲》【经典咏流传第六季】_哔哩哔哩_bilibili

*出典*
作者不詳『西洲曲』(南北朝)
※『玉台新詠』巻五及び『楽府詩集』巻七十二に収録

憶梅下西洲 折梅寄江北
單衫杏子紅 雙鬢鴉雛色
西洲在何處 兩槳橋頭渡
日暮伯勞飛 風吹烏臼樹
樹下即門前 門中露翠鈿
開門郎不至 出門采紅蓮
採蓮南塘秋 蓮花過人頭
低頭弄蓮子 蓮子清如水
置蓮懷袖中 蓮心徹底紅
憶郎郎不至 仰首望飛鴻
鴻飛滿西洲 望郎上青樓
樓高望不見 盡日欄桿頭
欄桿十二曲 垂手明如玉
捲簾天自高 海水搖空綠
海水夢悠悠 君愁我亦愁
南風知我意 吹夢到西洲

※書き下し文※(部分)
梅におもふ 西洲に下りしを
梅折りて 江北に寄す

単杉 杏子の紅
雙鬢 鴉雛の色
西洲 何處に在る
両槳 橋頭より渡る
日暮に 伯勞飛び
風は吹く 烏臼の樹

※私的意訳※(部分)
梅の花を見て、西洲に行った貴方を想う。梅の枝を折って、長江の北に届けたい。
(娘の)単衣の色は杏の実の紅、その髪は雛烏の柔らかな黒。
西洲は一体どこにあるのだろう。
二本の櫂を操り、橋のたもとから渡る。
日暮れ時、百舌鳥が飛んでいき、夕方の風が烏桕の木を揺らしている。

※語釈※
・槳=櫂、オール。兩槳で二本の櫂。
・橋頭=橋梁の両端と岸辺に接続する場所。
・伯勞=百舌鳥
・烏臼樹=ナンキンハゼ。落葉樹で、実は胡麻の種のような形をしている。脂肪分が多く、石鹸や蝋燭などの製造に利用される。

※概要※
南朝の民謡。恋の歌。


56章 只願君心似我心,定不負相思意

山河令でも使われたお馴染みのやつですね!
山河令はこの詞をもじって使っていますが、天涯客はそのまま使用しています。
温客行が周子舒の手のひらに指で書いた(エモい……)言葉。
中国ではメジャーな詞。

溫客行便在周子舒掌心,一筆一劃地寫道:“只願君心似我心,定不負相思意。”
(温客行は周子舒の手のひらに、一文字ずつ丁寧に書いた。
「只だ願ふ 君が心我が心に似て 定めて相思の意にそむかざらんことを」 )

Priest 天涯客

※先述の通り、妓女の『西洲曲』を聴いた老温が卜算子の引用をしたのは長江つながりと思われます。いやしかし、これを掌に指で書くとか……。P大素敵。有難うございます🙏

ちなみにこの詞。作者・李之儀晩年の作。50代後半~60代ぐらいの時の作(記憶違いならごめんなさい。晩年なのは間違いないはず)で、その年になってからこんな詞が詠めるって凄いなと思う。政治的に失脚し、妻子を亡くし、色々苦汁を嘗めたあとの人生の終盤にまだこんな詞が詠めるんだねえ。詩経のような素朴さがありつつも、最後は願うだけで終わるのは時代の違いかな。これ、古代なら「(あなたがどうであろうとも)私はあなたに会いに行く!」ぐらいのノリになりそうだけど。或いは作者が男性だからなのかなー?

余談ですが、磐姫皇后の「君が行き日長くなりぬ山尋ね迎へか行かむ待ちにか待たむ」(万葉集)より、軽太郎女(衣通王)の「君が行き日長くなりぬ山たづの迎へを行かむ待つには待たじ」(万葉集・古事記)の方が私は好きです。「迎えに行こうかな、待っていようかな」と、「迎えに行こうかな、そうよ、もう待たないわ‼」っていう違い。

シチュエーションが違うので、同列に考えることは出来ないのですが、山河令で「幸得君心似我心」と変更されているのは老温らしい気がします。阿絮の考えが自分と同じであることを疑わない言い方。まあ、ここは(一応)恋愛的な意味じゃないからさ……。

*出典*
李之儀『卜算子』(北宋)※卜算子は詞牌
 
我住長江頭
君住長江尾
日日思君不見君
共飲長江水
 
此水幾時休
此恨何時已
只願君心似我心
定不負 相思意

 
*書き下し文*
我 長江の頭に住み
君 長江の尾に住む
日日 君を思へど君にまみえず
共に長江の水を飮む
 
此の水 幾時いくときにか 
此の恨 何時なんどきにか 
只だ願ふ 君が心我が心に似て
定めて相思の意にそむかざらんことを
 

*私的意訳*
私は長江の上流に住んでいて、あなたは長江の下流に住んでいる。
日々あなたのことを思っているのに、あなたに会うことは出来ない。
それでも、あなたも私も共に長江の水を飲むのだ。
 
この長江の流れは一体いつ止まるのか。
この恋の苦しみは一体いつ終わるのか。
――河の流れが止まない限り、この恋の苦しみもにも終わりはない。
ただ、あなたの想いが私の想いと同じであるようにと願う。
そうであれば、けしてこの恋心に背くことはないだろう。

*注*
・此恨何時已
 白居易『長恨歌』(唐)の結句「天長地久有時尽 此恨綿綿無絶期」を踏まえるか。
・只願君心似我心 定不負相思
 顧夐『訴衷情 其二』(五代・前蜀)の「換我心 為你心 始知相憶深」を踏まえるか。この詞も恋人に会えないことを怨むもの(閨怨)で、「我心」「你(君)心」の対比があり、尚且つ「相憶」は「相思」に通じると考えられるので、意味は同一ではないものの、この詞を踏まえたものとみてよいかと。この部分の意味は「私の心をあなたの心と取り換えてみて、初めてこの深い恋情がわかるでしょう」といった感じ。
 
 

57章 一心贏錢,兩眼熬紅……

温客行→周子舒の台詞(蠍子の前だったので小声)。賭け事に熱心な蠍子を見て言った台詞。

「我終於知道為什麼他急著忙著賺錢了、有這個嗜好、多大的家業也不夠他敗的、你沒聴說過“一心贏錢、両眼熬紅、三餐無味、四肢無力、五業荒廃、六親不認、七竅生煙、八方借債……”」

Priest 天涯客

ちなみにこの後すぐ老温は阿絮に足を踏まれている(笑)。

*出典*
『十字令・賭棍』
賭博を戒める詩。
「十字令」は、一~十までの数字で始まる四字句もしくは五字句を連ねて作るある種の警句。ほかに「貪官」「酒令」などがある。
 
*原文*
一心贏錢,兩眼熬紅,三餐無味,四肢無力,五業荒廢,六親不認,七竅生煙,八方借錢,九陷泥潭,十成災難。
 
*私的意訳*
一心に金銭を得ることだけを求め、両眼は充血し、三度の食事も味がわからず、四肢は力を失い、五業<仏教用語の身業、口業、意業、智業、方便智業。もしくは五種の産業>は荒廃し、六親を顧みず、七穴<目、鼻、耳、口>から煙が出て、八方から借金し、九つの泥沼に落ち、十割の確率で=確実に災難を招く。
 

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