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天涯客 引用古典籍 40章〜41章 身似浮雲、心如飛絮

さて、今回はいよいよ阿絮の偽名の由来とされる元曲です🤭
どうしてここから取ったのかな~?という疑問についても考えてみました。

一部『七爷』のネタバレがあります。『七爷』の終盤で起きることに言及しています。ラジドラ天涯客でわかってしまう内容ですが、該当箇所は★印で注意喚起しますので、読みたくない方は飛ばして下さい。


40章

周子舒の偽名に関する七爷の推測
「叫做周絮,对不对? ‘身似浮雲,心如飛絮’的絮,還有個兄弟叫做周雲。(後略)」
 
*出典*
徐再思『蟾宫曲(折桂令)・春情』(元曲)(元代)
平生不会相思 纔会相思 便害相思
身似浮雲 心如飛絮 気若游絲
空一縷余香在此 盼千金遊子何之
証候来時 正是何時
燈半昏時 月半明時
 
*書き下し文*
平生相思に会はず 纔(わず)かに相思に会ひ 便ち相思に害さる
身は浮雲に似て 心は飛絮の如く 気は游絲の若し
一縷の余香空しく此に在り 千金游子を盼(のぞ)むに何くへ之く
証候来たる時 是正に何時か
灯半ば昏き時 月半ば明るき時
 
*私的意訳*
生まれてこの方私は恋を知らなかったけれど、いまようやく恋を知ったばかりなのに、もう恋に苦しめられている。
体は浮雲のようにふわふわとして、心は舞い散る柳絮のように揺れ惑い、呼吸はゆらゆらと揺れるか細い糸のように頼りない。
ここにあるのは微かなあの人の残り香だけ、私が待ち望む大切なあの人は一体どこへ行ったのか。
恋の苦しい症状が現れるのは何時だろう。それは灯がほの暗く揺れる時、それは月明りがぼんやりと照らす時。
 
*語釈*
・纔=わずかに。やっと~だけ。ここではようやく恋を知ったところぐらいの意か。
・盼=ここは望む、待ち望むの意。
・千金游子=この千金は貴重なものの比喩で、千金游子で大事な人を示す。もしくは、富貴な家の公子のこと。
・証候=徴候、症状

 ※「蟾宮曲」(別名「折桂令」)は曲牌名。曲牌は宋詞の詞牌に相当するもの。『九宮大成譜』によると、定型の字数は正格の場合で、六、四、四、四、四、四、七、七、四、四(十句)だが、第五句以降は四字句を追加できる。徐再思のこの曲も四字句を追加している。


*私的考察*
この詞が阿絮の偽名の由来であるということを知った時から、なぜこの詞から偽名をつけたのだろう?と思っていました。しかし周絮という偽名の由来がどこにあるのかということを周子舒自身は天涯客でも山河令でも語っていないので(たぶん……)、周子舒自身の意向は実はわからないのですね。ここは天涯客の話なので山河令の話は横に置いておくとして、天涯客でこの詞を持ち出すのは七爷で、自分が周子舒の知り合いであることを顧湘に信用させるため周子舒の偽名を当てる必要があり、考えて閃いたがこの詞という流れでした。
七爷が思うに、周子舒はこの曲にある字を偽名に使用し、おそらく「周絮」か「周雲」と名乗っているのではないかなというわけです。その理由として周子舒の性格ならこの辺りだろうと考えているので、この曲を周子舒が選ぶ理由があると七爷は思っているということであるはず。しかしこの曲はがっつりとした恋の曲なので、色恋沙汰に縁があったように思えない(……)周子舒がこの曲から偽名を決めるとどうして七爷は思ったのだろうというのが私の疑問でした。単に柳絮から取ったというのならわかる。柳絮は中国人にとって馴染み深いものだし、文学作品にも多く登場するから。ふわふわ舞う姿に天窗を抜けて江湖をさすらう自分の姿を重ねたのだろうと思えば納得できる。でも柳絮が出てくる詩詞は他にも沢山ある(たとえば蘇軾の『東欄梨花』とか、そのものずばり石懋の『柳絮』とか)ので、何もこれでなくてもいいのでは?と思っていたのです。が、この曲の作者・徐再思は官僚としては大成せず、国が滅び、挫折を味わって長い間放浪していたらしく、後の時代の人から「旅居江湖,十年不歸」と言われていたというのを知って、だからこれなのかも!と思ったのでした。色々あって世をさすらっていた詩人と、ふわふわと落ち着かない柳絮の両方に我が身を重ねて「周絮」といった偽名をつけるのではないかというのが七爷の推測だったのかもしれないなあと。もっとも、七爷が元々遊び人だからこの詞が閃いただけで、七爷が言いたいのは周子舒の性格なら柳絮とか雲とかどこに帰属するでもなくふわふわ漂うものを偽名に使うのではないかと考えただけなのかもしれない。そして身も蓋もないことを言うならば、単にPriest老師がこの曲をお好きなだけなのかもしれない……。
けれども、そうしたことは別に、天涯客の作品世界的には初恋を詠うこの作品をここに持ってくることによって、周子舒にとって自分を突き動かすような恋は温客行が初めてなのさ~っていう匂わせなのかなっ?と腐女子は推測してみるのでした🤭
 
 ※なお、徐再思については「從散曲中管窺徐再思的心路歷程」『語文學刊』[2006-03-25]の論考を引用した記事を参照しました(つまり孫引き状態……)。
 

41章


・顧湘→張成嶺の台詞
「這便是‘①相思一夜知多少,②春眠睡死不覺曉’啦,小成嶺,我看還是咱们兩個去救曹大哥吧(後略)」
 
*出典*
・①黄之隽『雑曲 其十九』(清代)
万種恩情只自知 万般饒得為怜伊
相思一夜知多少 天欲明前睡覚時
 
*書き下し文*
万種の恩情只だ自ずと知る 万般伊(こ)れを怜(あは)れむ為に饒(おお)く得たり
相思一夜 知る多少 天明けんと欲す前 睡覚の時
 
*私的意訳*
あらゆる恩情は自ずとわかっていて、これを憐れんで許してくれる。
恋の一夜、その思いの深さはいかばかりか。夜明け前、眠りにつこうとするときの。
 
*語釈*
・饒=ここは、許す、大目に見るの意か。
・睡覚=眠る、睡眠をとる。
 
・②孟浩然『春暁』が混ざってる? 曹兄のせいかな……😂
 
※ここは早く曹蔚寧を助けに行きたい顧湘が、彼女から見てくだらない嫉妬心にかられている温客行を見て、色ぼけしてて朝が来たってわかりゃしないでしょ、こんな奴らに付き合ってられないわって感じで、張成嶺に二人だけで曹兄を助けに行きましょうと言う場面。 色恋に溺れている様子をこの二つの詩の引用で言おうとしているのではないかと思われます。まあ、春暁の方は間違えた(『雑曲 其十九』とは、「知多少」が重なっていて、尚且つそのあと夜明けと眠りについて述べているのでその繋がりで)んだと思いますが、春暁の詩もそのままではないので、それがわざとならそれはそれで凄い言い様……。「睡死」って🤣


・七爷→周子舒への台詞
「古人常歎錦瑟年華無人与度,如今你我好不容易再見一回,年來舊事還未來得及蓄滿一杯,怎麼便急著走呢?」
 
*出典*
賀鋳『青玉案 横塘路』(北宋)

淩波不、過横塘路。
但目送芳塵去。
錦瑟年華誰与度。
月楼花院,綺窗朱戸。
惟有春知処。
碧云冉冉蘅皋暮。
彩笔空題断腸句。
試問閒愁知几許。
一川烟草,満城風絮。
梅子黄時雨。
 
*書き下し文(部分)*
淩波 横塘路を過らず
但だ目で送る 芳塵の去りゆくを
錦瑟年華 誰と度(わた)る
 
*私的意訳(部分)*
あなたの優雅な歩みが横塘路まで来ることはない。私は美しい人が行ってしまうのを見送ることしかできない。この美しい青春の時をあなたは一体誰と過ごすのだろうか。
 
*語釈*
・綾波=女性が優雅に歩く様子の比喩。
・錦瑟華年=美しい青春期の比喩。瑟は古筝に似た古代中国の楽器。二十三〜二十五弦。元々は五十弦で、伏儀がその音色があまりにも哀しいとして弦の数を半分に減らしたという伝説がある。“琴瑟相和す”の瑟のこと。錦瑟で綾織の紋様で装飾された瑟を指すか、或いは錦は単なる美称。瑟の弦やその音色に華年=青春の日々を重ねて言う。
・度=ここは(時間を共に)過ごすの意。この意味に相当する日本語の訓がないため、書き下し文では「わたる」と訓んでおく。
 
*私感*
この部分はちょっと理解しずらかったのですが、この七爷の台詞を訳すなら、「昔の人はよく錦瑟年華無人与度〈輝かしい青春時代を共に過ごした人はもういない〉と嘆いたものだ。おまえと私がようやく再会できたというのに、昔話を肴に盃を満たす間もなく、急いで行くことはないだろう?」ぐらいの意味かと思います。出典の詞では「誰」となっているところを「無人」としているので、青春時代を共に過ごす人が「無人」即ち誰もいないということかと思うのですが、文脈からして過去のことを言っているのではないかと思うので、かつて赫連翊が即位する前の若かりし時代(いや、この時点でもまだ十分若いと思うのですが……)を共に過ごした人が今は側にいない(いなかった)、でもやっと再会できたのだから(できたのに)……ということを言っているのかなと考えています。 

★以下の部分で『七爷』のネタバレがあります。読みたくない方は飛ばして下さい。



・七爷の台詞
「想當年金杯翠翹,到如今都已是物是人非,脂粉堆成的望月河並那些個雕欄玉砌,也不知如今變做了什麼模樣,那年京城告急,你我曾在高樓之上約定,若來日方長,定不醉不休,隻是我在南疆等得酒都涼了,故人卻一點要來的意思都沒有。」
金杯や翠翹〈かんざし、髪飾り。ここは美女のたとえか〉に囲まれていた日々を思い返すに、物はあの頃と同じでも人はすっかり様変わりしてしまった(阿絮のことを言っている)ようだ。脂粉の香る望月河や精緻な彫刻が施された玉石の欄干も、今はどんな様子になっているのやら。あの年、京城が危機に陥ったとき、我々は高楼の上で、もしも生きながらえることができたら酔い潰れるまで酒を飲もうと約束したのに、私が南疆で待ち続けているうちにすっかり酒が冷めてしまった。だが、旧友〈阿絮のこと〉は訪れる気配すらなかったな。)
 
*注*
・金杯=1.凹形の銅鏡。2.精巧で美しい杯。3.金のトロフィー。ここは2の意。
・翠翹=1.翠鳥の長い尾羽。2.古代女性の髪飾り。翠鳥の尾羽根に似ていることから言う。白居易 〈長恨歌〉:「花鈿委地無人收,翠翹金雀玉搔頭。」ここは2の意。
・望月河=ここは『七爷』に登場する大慶京城に流れる大河のこと。『七爷』作中では度々その名が見える。特に宵禁が解かれる年越しの夜に賑わう城下に烏七が初めて二人での出掛ける場面や、同じ時に赫連翊が青鸞を見初めるという展開で印象深い場所。
・京城告急=『七爷』の最後、北方の蛮族から大慶京城が攻撃された時のこと。
 
*出典*
李煜『虞美人 其二』(南唐)

春花秋月何時了 往事知多少
小楼昨夜又東風 故国不堪回首 月明中
 
雕欄玉砌応猶在(異文に「依然在」とあり) 只是朱顔改
問君能有幾多愁 恰似一江春水 向東流
 
*書き下し文(部分)*
雕欄 玉砌 応に猶ほ在るに
只だ是れ朱顔のみ改まる
君に問う 能く幾多の愁い有りやと
恰かも似たり 一江の春水の東に向かひて流るるに
 
*私的意訳(部分)*
精緻な彫刻が施された玉石の欄干、あの壮麗な御殿はきっとまだあるだろう。それなのに紅顔の若者だけが年老いてしまった。
あなたに問いたい。愁いは一体どれほどあるのだろう。
それはあたかも春の川の流れが東に向かって流れていくようなもので、汲めども尽きることはないのだ。
 
※「金杯翠翹」について、山河令設定資料集別冊では姜特立『菩萨蛮・蓬山学士文章伯』(宋)を出典としていますが、この詞の文言は「玉纤呵翠袖 满劝金杯酒」となっており、「翠翹」ではありません。どちらも女性の衣装・装飾を指すにせよ、これを出典とするのは違和感があります。「翠翹」も「金杯」も詩詞にはいくらでも用例があり、まったく同一の文字の繋がりでもない限り、どれかを出典と定めるのは難しいのではないでしょうか。ただし山河令については制作側がこれを出典とするのであればそうなのだろうと思います。しかし、天涯客については作者の主張がない限り、特にどれかを出典と定めなくても、単にかつての華やかなりし京城の様子を示す語として受け取ればよいように思います。

阿絮に対する七爷の当てこすり🤣
七爷は弁が立つので、いくらでも喋っちゃうよ〜🤣
そしてそれにイラッとする老温🤣🤣🤣


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