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天涯客 引用古典籍 30章~38章

30章

那西陵之下,冷風吹雨,房中煙花明滅至末路,竟已剪不堪剪。天下有誰能②得即高歌失即休,今朝有酒今朝醉
 
*出典*
①李賀『蘇小小墓(蘇小小歌)』(中唐)
  (蘇小小は南斉・錢唐(杭州)の才媛の妓女のこと)

幽蘭露  幽蘭の露
如啼眼  啼眼の如し
無物結同心  物の同心を結ぶ無く
煙花不堪剪  煙花は剪るに堪えず
草如茵  草は茵の如く
松如蓋  松は蓋の如し
風為裳  風は裳と為り
水為珮  水は珮と為る
油壁車  油壁車
夕※相待  夕べに相待つ
冷翠燭  翠燭冷やかに
労光彩  光彩を労す
西陵下  西陵の下
風雨吹※  風雨吹く

※本による異同あり
 
*私的意訳*
幽婉なる蘭の露はまるで彼女の涙のよう。
情人たちの心を結び合わせる物は何もなく、霞んで見える花を剪るのも彼女を傷つけるようで忍びない。
(彼女の墓の周りの)草は彼女の茵に、松の枝葉は傘に、吹く風は裳裾に、水は玉佩に。
漆塗りの車は夜に彼女が乗ってくるのを今も待っていて、
冷たく冴え冴えと輝く鬼火は今夜も虚しく輝いている。
彼女が情人と誓いを交わした西陵の地は、風雨が嘆くように寂しく吹き荒れている。
 
※「煙花不堪剪」は諸注釈でも解釈の分かれるところで理解が難しく、他の詩詞の意訳以上に私の妄想が入っています。ご了承くださいm(_ _)m
 
※山河令主題歌『天問』の歌詞にある「天亦老」の出典の大元は同じ李賀の『金銅仙人辭漢歌』にある「天若有情天亦老」です。そしてこの詩を元に作られた『千秋歳』(張先)はPriest先生の『七爷(七爺)』に引用されています。先生は李賀の詩がお好きなのかな~?

②羅隠『自遣』(唐末) 
得即高歌失即休,多愁多恨亦悠悠。
今朝有酒今朝醉,明日愁来明日愁。

*書き下し文*
得れば即ち高歌し失へば即ち休む,愁ひ多く恨み多くとも亦た悠悠たり。
今朝酒有らば今朝醉ひ,明日愁ひ来れば明日愁へん。

*私的意訳*
良いことがあれば高らかに歌い、失意の日は休む。愁いや恨みがどれほど多くても、落ち着いていよう。
今朝酒があれば今朝酔い、明日愁いがあれば明日愁えばいい。

「今朝有酒今朝酔」は「その日暮らし」を意味する成語として成立していて、詩にも多く用いられています。ここに挙げたのはその最も古い例であり、「得即高歌失即休」からのつながりがあるので天涯客のこの部分の出典もこの詩です。

この場面は、周子舒の〇〇(ネタバレなので……)を知った温客行が一人で去っていくのを見送る顧湘の述懐に続く場面で、蘇小小の詩を踏まえて温客行の断ち切りがたい想いを表現し、続く羅隠の『自遣』の引用で現在(作中)の周子舒の境地を示し、温客行が周子舒のような境地に至れるのか?と疑問を呈する。疑問を投げかけているのが温客行なのか顧湘なのか神の視点なのかはわかりにくいが、もはや組織にも権力にも命にさえも縛られない周子舒は悠然とただその日その日を生きている。対して温客行は……というところ。
蘇小小の詩で未練を残しているのは蘇小小の霊魂だろうが、ここで断ち切れない想いを抱いているのは温客行。P大は煙花をどう解釈しているのかな~? 断ち切れないものが煙花なら、恋情の象徴が煙花かな? まだ二人の心を結ぶものは何もなく、そしてそのまま失ってしまいそうなのに、想いを断ち切るのは難しい。ある意味執着心の塊の温客行に「今朝有酒今朝酔」の境地は難しいよね……。でも、あなたはそのままでいてください。阿絮も本当は ……ね?(ネタバレなので……はい)

34章


・曹蔚寧の台詞 
(前略)豈不聞二‘李’殺三士的故事麼?
(二つの『李』が三人の士を殺したという話を聞いたことがないのか?)


二“李”殺三士」は曹兄の間違い。本当は「二“桃”三子を殺す」である。中国の春秋時代、斉の景公の下にいた三人の勇士が功を誇ってわがままだったので、宰相晏子が三人に2個の桃を与え、互いに争わせて自殺させたという故事のこと。奇計によって人を自滅させるたとえ。

 
・曹蔚寧の台詞 
子在河邊曰,逝者如斯夫,說的是老子他老人家,有一日睡夢中神遊,竟如同到了河邊一樣,往下一看,死人同流水一起順流而下,十分悲愴,有感而發……。
(孔子が川辺で『逝者如斯夫』と言ったのは、これは老子のことで、彼がある日夢の中で神遊し、どうやら川辺に来たようだった。下を見てみると、死体が水の流れと共に流れていき、その光景が非常に悲しいものだったので、それに感じて言ったものだ……)

 
*出典*
逝者如斯夫 『論語』(川上の嘆)
子在川上曰、逝者如斯夫。不舍昼夜。
孔先生がある川のほとりに居ておっしゃった、過ぎさるものはこのようなものであろうか。昼も夜も止まることがない。

……例によって曹兄の理解はどうしようもなく間違っています……。
 

35章

・曹蔚寧の台詞 
夜來風雨聲,眼淚流多少
 
*出典*
孟浩然『春暁』の「夜来風雨声、花落知多少」の誤りか? たぶん……。
 

 
38章


・顧湘の心中の台詞 
真覺得風蕭蕭兮“二水寒”,這就是她人生中最倒黴的時刻。

*出典*
『史記』にある「風蕭蕭兮易水寒」の誤り。

*原文*
遂発。太子及賓客知其事者、皆白衣冠以送之。
至易水之上。既祖取道。高漸離撃筑、荊軻和而歌、為変徴之声。
士皆垂涙涕泣。
又前而為歌曰、
風蕭蕭兮易水寒 壮士一去兮不復還」
 
*概要*
中国戦国時代末期の刺客であった荊軻が燕の太子の命を受けて泰に赴き、秦王政(いわゆる秦始皇帝)を暗殺するために出発するという場面で、死を覚悟した荊軻が詠んだ詩が「風蕭蕭兮易水寒 壮士一去兮不復還」で、「風が蕭々と吹き、易水は寒く冷たい。壮士(自分のこと)が行けば二度と帰ることはないだろう」ほどの意味。

顧湘・曹蔚寧・張成嶺が毒蠍に囲まれた際に、曹蔚寧・張成嶺が頼りにならないと思った顧湘の心中の言葉。絶体絶命だという場面だが、曹蔚寧と仲良く?間違っています……。

ちなみに私が荊軻という人物を認識したのは皇なつきさんの漫画『始皇帝暗殺』(映画のコミカライズ)だったと思います。それまでも漢文の問題集とかで見たかもしれないけど、ちゃんと認識したのはたぶんこの作品。映画も観た気がするけど記憶がアヤシイ……。


今回はこの辺で。
次回は阿絮の名前の由来とされる「身似浮雲 心如飛絮」です。
まさかの詩でも詞でもなく元曲だった……まったく馴染みがないので???だった。

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