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天涯客 29章 涼雨知秋,青梧老死。相見恨晚。

山河令で私を沼に落とし込んだ言葉。それが「相見恨晚」でした。
中国語としては別段変わったことはない日常的にも使用できる言葉だと思いますが、あのシチュエーションで出てきたこの四文字で落ちたのです……。
そしてこの言葉、しっかり原作の天涯客にもあるのですね。P大オリジナルの詩と共に。このP大オリジナルの詩も、少し変更を加えた上で山河令に使用されています。
この記事では可能な限りネタバレを避けたいと思っていますが、このP大オリジナルの詩を語るにあたってはネタバレを完全に排除するのは難しいため、天涯客未読及び山河令未視聴の方はご注意ください。

29章


作者オリジナルの詩。老温の心情を象徴する。

涼雨知秋,青梧老死,
一宿苦寒欺薄衾,幾番世道蹉跎

  ※ 原文の簡体字だと「凉雨」ですが、筆者は繁体字版で読んでいるので、繁体字版の表記を採用しています。意味は同じです。

*書き下し文*
涼雨秋を知らせ 青梧老ひて死す
一宿の苦寒 薄衾を欺く 幾番か世道に蹉跎たり

*私的意訳*
冷たい雨が秋を知らせ、青梧は枯れていく。
一夜の厳しい寒さが薄い衾(布団)しか持たぬ私を苛み、幾度も幾度もこの時世の中で虚しく時機を失う。
 
*語釈*
・青梧=梧桐、アオギリ。アオギリ属の落葉高木。
・世道=時世、世相、世情。社会状況。
・蹉跎=時間が無駄に流れる。時機を失う。むなしく時間を過ごす。
 
※最初これは宋詞の形式なのかと思っていたのですが、主要な詞牌の中に22字数になるものはないので、この詩は古体詩というか、自由律なのだと思います。偶数句で韻を踏めていないと思うので、まあ現代詩なのかな? 詞牌の種類は多いので、もしかしたら当てはまるものがあるのかもしれませんが、ちょっとわかりませんでした。

*私感*

梧桐が枯れる情景を詠みこむ詩はいくつもありますが、P大のこの詩は、下にあげた長恨歌や秋夕詩の影響があるのではないかなあと思っています。枯れていく梧桐、どうやっても取り戻せないものへの痛切な悲しみ。そうしたものが伝わってくるところが似通っているなと思います。それと結句の「幾番世道蹉跎」の寂しさ。直後に老温が呟く「相見恨晚」につながる言葉だと思うのです。ほんとにここ……ネタバレも甚だしいので書けないのですが、この詩の前後の部分、是非原文でも読んでほしい(いや、今のところはどの言語にも翻訳されてないけども。魔翻訳して読むとしても、ここは原文を!是非!!)。――泣く😭
あと、「幾番世道蹉跎」は山河令の曲『孤夢』の歌詞につながっている気もするんだなあ。作詞者の方が天涯客を読んだのかどうかはわからないけど。
……何も掴みとれなくて、失うばかりで、そのまま人生が終わってしまう。老温には目的があるけれどそれはある種の執念であって、きっと真の望みではない。けれど周子舒が現れて、ようやくそれが少し見えたような気がしたのに、それは遅すぎた。山河令の老温は幼少期に周子舒と出会っているけど、天涯客の老温にはそんな想い出もなく、羅浮夢や柳千巧もおらず(千巧は登場するけど温客行の配下ではない)、ただ顧湘だけがいた。だからこそ天涯客の「幾番世道蹉跎」はより重く響く。――まだ両親がいた子供の頃は遊びたくても勉強と修練ばかりで、学びたいときには教えてくれる人がもういない。いま、大事な人を見つけたと思ったのに、またこの手をすり抜けて行ってしまうのか……。
   ――大丈夫、遅すぎない! 遅すぎなかったんだよ、老温‼😭
と言ってあげたい29章だったのでした😭

 
※参考までに、落葉する梧桐を詠んだ例として一例を下にあげておきます。
①白居易『長恨歌』(唐代)(部分)

帰来池苑皆依旧
太液芙蓉未央柳
芙蓉如面柳如眉
対此如何不涙垂
春風桃李花開夜
秋雨梧桐葉落時

*私的意訳*(部分)
帰り来れば宮殿の庭は昔のまま
太池の芙蓉、未央宮の柳
芙蓉は彼の人のかんばせの、柳は彼の人の眉のごとし
どうして涙を流さずにいられるだろう
春風そよぎ、桃や李の花が開く夜
秋雨の中、桐の葉が落ちる時

②鮑照『秋夕詩』(南北朝)

慮涕擁心用 夜黙發思機
幽閨溢涼吹 閑庭滿清暉
紫蘭花已歇 青梧葉方稀
江上淒海戻 漢曲驚朔霏
髪斑悟壯晩 物謝知歳微
臨宵嗟獨對 撫賞怨情違
躊躇空明月 惆悵徒深帷
 
*私的意訳*(部分)
紫蘭の花は既に散り、青い梧桐の葉はもう残り少ない。
江上に凄まじい海風が吹き、漢曲に立ち込める霧に驚かされる。
髪が白黒斑になって壮年の終わりを悟り、散りゆく物を見て歳月が過ぎてゆくのを知る。
 

③納蘭性德『虞美人』(清代)

銀床淅瀝青梧老,屧粉秋蛩掃。
采香行处蹙連銭,拾得翠翹何恨不能言。
 
回廊一寸相思地,落月成孤倚。
背灯和月就花阴,已是十年踪迹十年心。
  
*私的意訳*(部分)
銀の床に風雨が打ち付け、青梧の葉も枯れてゆく。愛しい人が履いていた木靴が残した跡も、蟋蟀の鳴き声の中で消え失せてしまった。

*語釈*
・淅瀝=雨風の音の表現。
・屧=木靴


老温の独り言「相見恨晩」


*北辞郎*
〈成〉初対面なのにもっと早く会えればよかったと思うほど意気投合する。

*漢語大詞典*
【相見恨晚】 只恨相见得太晚。形容一见如故,意 气极其相投。语本《史记·平津侯主父列传》:“天子召見 三人,謂曰:“公等皆安在?何相見之晚也。”《花城>1981 年增刊第4期:“吴非发现,逗趣地:“怎么样,黎小姐,有没 有相见恨晚的意思?”“亦作“相逢恨晚”。宋吴儆《念奴娇》 词:“相逢恨晚,人誰道,早有輕離輕折。”
(只恨相見得太晚とは、出会うのが遅すぎたことを惜しむ意味を持つ。初めて会ったのにまるで旧知のように感じ、気持ちが非常に合う様子を表す。この表現は『史記・平津侯主父列伝』に由来する。「天子は三人を召し出し、こう言った。『お前たちはどこにいたのだ? なぜこんなにも遅くに出会ったのだ?』」とある。(中略)この表現は「相逢恨晚」とも書かれ、宋の呉儆の『念奴嬌』の詞には「相逢恨晚、人誰道、早有輕離輕折」と記されている。)
 
*漢語大詞典にある出典*
『史記 列傳』 凡七十卷/卷一百一十二 
平津侯主父列傳第五十二/主父偃
[底本:金陵書局本] p.2960
 
*原文*
書奏天子,天子召見三人,謂曰:「公等皆安在?何相見之晚也!
([一]【集解】徐廣曰:「它史記本皆不見嚴安,此旁所篹者,皆取漢書耳。然漢書不宜乃容大異,或寫史記承闕脫也。」 【索隱】篹音撰。)
於是上乃拜主父偃、徐樂、嚴安為郎中。〔偃〕數見,上疏言事,詔拜偃為謁者,遷(樂)為中大夫。一歲中四遷偃。

*現代語訳*
天子に奏文を上げたところ、天子は三人を召し出してこう言った。
「お前たちは皆どこにいたのだ? なぜこんなにも遅くに出会ったのだ?
(【集解】徐広が言うには、「他の『史記』の版本には厳安の記載がない。この部分は他の資料から編纂されたもので、『漢書』に基づいている。しかし、『漢書』でこれほど大きく異なるのは不適切であり、もしくは『史記』の誤写や脱落を補ったものかもしれない。」【索隠】「篹」は「撰」と同じ音である。) 
こうして、天子は主父偃、徐楽、厳安の三名を郎中に任命した。主父偃はたびたび召され、上書して意見を述べたため、天子は彼を謁者に任命し、その後さらに徐楽を中大夫に昇進させた。一年の間に主父偃は四度昇進した。

※この史記の用例には「恨」の字がないが、出逢いの遅さを嘆く表現としてこれが現存資料の中で最も古いらしい。

この他にも「相見恨晚」「相逢恨晚」の用例を調べましたが、それはここあげなくてもいいかなーと思うので割愛します。

史記の例は出逢いの遅さを言ってはいても、それは皇帝が臣下を称えるための表現という感じで、それほど痛切に嘆く感じはしない。もっと早く会いたかったぞ、という程度かなと。北辞郎で示されている意味はこの例に基づく感じですね。後世の詩に使われる例では恋愛の詩詞に使われる例ももちろんあって、それぞれに情感があるけれど、史記の例に近い「もっと早く会いたかった」という感じのものもあれば、「出会いが遅すぎた(だから手遅れだ)」というように「遅かった」ことに重きが置かれているものとがあるように思います。老温のこの呟きはまさに後者の例で、心の中で強がり(その内容は是非原文で!!)を言ってみた後のこの老温の呟きのいたましさに完全に心を持っていかれました。山河令では阿湘の懇願を顧みず雨の中で玉簫を叩き折ってしまうけど、天涯客ではそんな派手な動きはない。ないからこそ余計に辛い。
もう一度言う。

   ――大丈夫、遅すぎない! 遅すぎなかったんだよ、老温‼😭😭😭



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