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私の人生 第二章

つづき〜

〜中高生〜
そうして死に物狂いで勉強した結果第一志望の学校に入学することになった私。そこは家から1時間少し電車とバスで通う距離のところであった。入学してみると、”思っていたのと違う”、そう感じた。真面目そうな子達が東京や横浜から多くくる。私と地元が同じ子は一人もいない。会話は「何区住んでるの?」という今まで聞いたこともないような質問が含まれた。私って何区なんだろう。そんなこと考えたこともなかった。私の地元で区など存在しないからだ。そうして大分な都会人たちとのギャップに苦労することとなった。ラクロス部に入ったものの、それもなんだか思っていたのと違う。中高一貫なので先輩は5つ上の高校三年生。中一の私からすれば違う世界に住む大人。学校帰りの寄り道は渋谷原宿。そんな世界線に一気に変わった。中二、三と歳を重ねれば不思議とそれも慣れてくるもの。それに慣れれば慣れるほど、地元の友達とは疎遠になっていった。まさに別の世界の住人になったようだった。そしてそんな環境、私立と公立というものの存在、この社会にうんざりしてきていた青年期。



塾に同じ時期に入ったあの不思議ちゃんとは一ヶ月に一回ほどで会っていた。その子は私が第二志望だった近くの学校に通っていた。私もそこにすればよかったな。と当分、というか高校3年までずっと思っていた。そして中三の時にその子がふと言った。”交換留学考えてるんだよね”。私も行きたい。そう思った。海外への憧れは幼稚園からあった私。でも現実的に考えたことはなかった。ただ現実的にその子がいない世界、今ある生活に耐えきれなかった。即座に私も留学に向けての準備を始めた。



軽く母に言えば即反対。諦めかけたところ、学校の担任の先生に相談した。私じゃ何もできないから、、。というと、”なんで?”と言われた。この年齢だし、とかほざいている私に先生は、あっけらかんと”なんでできないの?もう大人じゃん”と言うようなニュアンスのことを言ったと思う。それに衝撃を受けて、それからは自分で東京中の留学説明会を走り回った。そして色んな経験者の方にDMを送ったり、先輩や英語の先生に相談したりして自分でできること全てをやり切った。そしてあとは申し込むだけ、お金だけ。およそ百万円の申し込みに必要な金額。バイト代では足りなかった。宝くじの列に並んでも年齢制限的に無理だった。もう親に頼る以外方法がない。そしてもう一度真剣にお願いした。留学に行かせてほしい。どこにいって、誰に話すよりも親が一番緊張した。結果として条件は日本の高校を予定通りに卒業すること。それは簡単ではなかった。単位交換ができなくてはならないから。大学などでは単位で整っているところだが、高校ではなかなかあやふやな部分。行って帰ってきてみないと換算できるか分からない。本当は教育法が少し異なる北欧に行きたかった。しかし単位の面から、同じ学校の先輩で行ったことがあったアメリカに決断した。そして本当は高校の三年間海外に行きたかったところ。なんとかできた留学は一年間だった。それでも行けないよりかは良い。と言うか行かないという選択肢は私の中になかった。

そうして高校2年生の私は渡米した。

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