これは「中村憲剛 物語」にあらず。『ONE FOUR KENGO THE MOVIE』を「全人類」に観て欲しいワケ。≪6/4-10開催!ヨコハマ・フットボール映画祭2022≫
「ギリギリ」プロのサッカー選手になることができたヒョロヒョロの青年と、ガラガラのスタジアムで試合をするJ2のクラブ。両者は静かに出会い、「奇跡」と言える歩みが始まった――。
みなさん、こんにちは!
ヨコハマ・フットボール映画祭note公式マガジン第59回を担当します、スタッフのSAWAと申します!よろしくお願いいたします。
初めてお目にかかる方も多いのではないかと思いますが、今回の映画祭において『ONE FOUR KENGO THE MOVIE ~憲剛とフロンターレ 偶然を必然に変えた、18年の物語~』の担当として関わらせていただいております。
そして今回は「憲剛さんへのラブレターをしたためるべし」と申しつかっているため、ここからは超大作ラブレタースペクタクルを繰り広げたいと思います!
映画『ONE FOUR KENGO THE MOVIE ~憲剛とフロンターレ 偶然を必然に変えた、18年の物語~』作品紹介
中村憲剛とは
サッカー好き、Jリーグ好きであれば知っている方も多く、今更な部分もあろうかと思いますがおさらいです。
この経歴だけ見ればとても華やかに見えるかもしれません。現役生活において5度優勝をし、在籍していたクラブからは引退後特別な肩書も与えられています。
しかし、ここにたどり着くまでには決してまっすぐでも、短くも、平坦でもない道が延びていたのです。
中学校入学以降なかなか身長が伸びずに、体格もサッカーも周りと差をつけられていく
自分ができないことを周りのせいにして、一度はサッカーから離れる
「もう一度頑張る」と一念発起し、プロを目指してサッカーを続けるも、高校ではプロからの声が掛からず大学へ
大学でも抜きんでた活躍をしたわけではなく、大学からの依頼を受け入れてもらう形で、フロンターレの練習に2日だけ参加
やったことのないボランチを「できます」と言い、練習で活躍を見せるものの、すぐには決まらずしばらく放置をされる
やっとの思いで当時J2だった川崎フロンターレへの入団が決まり、プロサッカー選手としての道が開けるも、自分を出せずに「1年で切られるのでは」という危機に
その後なんとかレギュラーに定着し、クラブも自分も強くなっていっている実感はあるのに、ここぞという時に勝てずに優勝を逃す
優勝ができないまま、大好きだったチームメイトを見送り自身がキャプテンへ就任
一度は日本代表へ選出され、監督交代後も継続した選出が期待されながらも落選
年齢を重ねる中で「ケンゴと一緒に優勝したい」「ケンゴにシャーレを」という周りの思いとは裏腹に優勝は遠く、「優勝できないのは俺のせいじゃないか」「このまま優勝できずに辞めるのでは」と自身を責める日々
待ちに待って焦がれた優勝を経験し、円満な選手人生の幕引きを考えていた矢先の大怪我
幾度となく試練が彼の前に立ちはだかり、その度に人間臭く感情をあらわにして打ちひしがれながらも、その試練に立ち向かい、周りの人の力も借りながら乗り越えていきます。
そうして彼は引退を決意していた前年の大怪我にさえ意味を見出し、手術で全く動かなくなった足をトップパフォーマンスにまで戻し、復帰戦と40歳の誕生日の両方にゴールを残して、その翌日に引退を発表するのでした。
川崎フロンターレとは
1997年にJリーグ準会員となり、前身の「富士通サッカークラブ」から「川崎フロンターレ」へと名称変更。1999年よりJリーグに加盟しJ2へと参入。
Jリーグの開幕が1993年なので、川崎フロンターレはいわゆる「後発」のクラブです。
加えて1992年にはロッテオリオンズ(現:千葉ロッテマリーンズ)、2001年にはヴェルディ川崎(現:東京ヴェルディ1969)がそれぞれ本拠地を移転したことで「川崎はスポーツの根付かない街」と言われていました。
地域の方たちも「せっかく応援をしてもみんな出て行ってしまう」「お前らもどうせ出ていくんだろ」と、心を開いてもらえず、設立当初は試合をしてもスタジアムはガラガラでした。
そこでフロンターレは「僕たちは違います」と、地域と徹底的に向き合う活動をしていきます。
地域への挨拶回り
ゴミ拾い
病院でのボランティア活動
小学校での特別授業実施
……などなど、スタッフ・そして選手が総出で、数えきれないほどの地域貢献活動を行いました。
イベント時には選手だけでなく、社長まで仮装をしてサポーターにもみくちゃにされるなど、クラブのミッション通り「人を、この街を、もっと笑顔に」するべく、なりふり構わず川崎のためになることならなんでもやりました。
その結果、「このクラブは本気なのかもしれない」ということがだんだん地域の方たちに伝わり、ガラガラだったスタジアムは、今では多くの人が足を運ぶ、Jリーグ屈指の収容率を誇るスタジアムへと成長しました。
地域の方たちの愛の大きさと比例するように、クラブの成績も上がっていきます。
ただ、「優勝」という結果だけが、なかなかついてこないのでした。
憲剛とフロンターレの物語
「いつ優勝してもおかしくない」
Jリーグに加盟してからは、一度の降格こそあったものの、階段を駆け上がるように成績が伸びていったフロンターレ。
2009年に優勝のビッグチャンスが訪れて以降、幾度となく「あと少し」のところまでいきますが、なかなかサッカーの神様はフロンターレに微笑んでくれません。
「地域貢献活動ばかりやっているから勝てないんだ」そんな言葉も選手やスタッフの耳に届き、特に選手を活動に巻き込んでいるスタッフには、その言葉が重くのしかかります。
しかし、それを否定したのは選手のトップに立つ中村憲剛でした。誰よりも地域の方たちと触れ合っていた彼は、自身も苦悩しながらも「このやり方は絶対に間違ってない。いつかこのやり方で優勝するんだ」と、後輩たちに背中を見せ続けます。
そうして迎えた2017年J1リーグ最終節。
「川崎は勝ちました。そして、鹿島は勝てませんでした。中村憲剛が泣いています。」
この実況が表す通り、フロンターレは、そして川崎を愛する人たちは、ずっとずっと待っていた「優勝」を、「ケンゴ」と共に経験することができました。
その後行われた優勝セレモニーでは、川崎の街を凱旋し、街じゅうに溢れる笑顔を受けながら「見て!みんな嬉しそうなの!俺が嬉しいよ!!」と、興奮を隠すことなくカメラに語り掛けていました。
この言葉に、彼の人となりが詰まっているのだと思います。
そこからフロンターレは毎年何かしらのタイトルを獲得し、長年に渡り何もなかったエンブレムの下には、彼が引退する時5つ目の星が付きました。
そして彼は、満員のスタジアムで、沢山のサポーター・OB含めたチームメイトやスタッフ・それまでの活動で関わった多くの方々・川崎市長を含めた川崎市の方たち・そして家族に見守られて、引退セレモニーを行いました。
「本当に最高のプロサッカー選手生活でした。川崎フロンターレに入れて本当に良かった。みんなに会えて良かったです。」という言葉を残して。
これは「中村憲剛 物語」にあらず。
これは、中村憲剛という、稀有なサッカー選手の物語である。
......だけでなく、川崎フロンターレというサッカークラブの物語でもある。
......だけでなく、「地域に根差す」というミッションを抱えたJリーグに、関わる人全員に見て欲しい内容が詰まっている。
......だけでなく、日々を頑張っている人、報われずに悩んでいる人、頑張り切れない自分にモヤモヤしている人にもぜひ見て欲しい内容が詰まっている。
私は中村憲剛という人物を知らない人に、この映画はどんな作品なのか聞かれたことがありました。
「簡潔にまとめると、中村憲剛という何者でもなかったサッカー選手と、決して強くもなく愛されていなかったクラブが、ひとつひとつ積み重ねていくことで、愛されながら高いところに上っていく話」と説明しました。
もちろんそれだけでは到底足りないですし、言葉に尽くしきれないほど、あまりにもたくさんのメッセージが詰まっています。
努力したからって必ずしも報われるわけじゃない。
頑張り続けたからって何者かになれるわけじゃない。
でも、この作品に出てくる言葉は、何かを教えてくれる。
そう思わずにはいられないのです。
「ヨコハマ・フットボール映画祭 2022」は6/4(土)-5(日)にかなっくホール(東神奈川)、6/6(月)-10(金)シネマ・ジャック&ベティにて開催します。
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また、『ONE FOUR KENGO THE MOVIE ~憲剛とフロンターレ 偶然を必然に変えた、18年の物語~』上映後には、中村憲剛FRO×Jリーグ前チェアマンの村井満氏による豪華トークショーも実施します!
この機会にぜひご来場ください!
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