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物事のとらえ方

外出自粛が続く首都圏。

感染者数も報道ではだいぶ減ってきたようで、だんだんとみんなの意識は「もうそろそろ自粛の終わりが見えてきたかな」となっているかもしれません。

どうなるかわかりませんが、この時期だからこそこれまで常識だと思われていたこと、当たり前だと思っていたことを見直すいい機会だと思います。

ネット上では今回の全世界的な感染病の流行に対して、さまざまな声が出ています。私が注目しているのは、皆さんの思いの上で二極化があるなということです。

ひとつは、毎日イライラがたまって攻撃的になっている人たち。

もうひとつは、これまで気づかなかったことに気づけたことで、感謝の思いが出てきた人たち。

冷静に見ると、おそらく後者の方が穏やかに暮らせるのは間違いありません。でもそれを望まず、イライラしている人たちは結構いるようです。私の周りでも、遊びに行けない、自由に行動できないストレスで攻撃的になっている人を何人か見かけます。一緒に会話をしていると、私に向けられたものではないにしてもその思いを感じてしまうと、ちょっとキツイなと思うことはあります。

思いは目に見えないけどエネルギーです。演劇でも歌でも絵画でも、気持ちを込めると相手に伝わるエネルギーが変わるように、私たちの感情、思いは外側に放出され、人はそれを感じ取ることができます。テレパシーのような第六感が、もともと人間には備わっています。

私たちの心はいつも揺れ動いていて、日々いろんな方向を向いています。

不安、不満、焦り、苛立ち、怒り、嫉妬などは、この感情が続くとどんどんダークな方に引きずられていきます。

逆に、嬉しい、楽しい、ありがたい、感動するといった感情は、心の中を光が明るく照らしているような状態をつくってくれます。

私たちはどちらかというと、負の感情に引きずられやすいと言われています。イヤなことの方が残ってしまうんです。でも、感情は自分でコントロールできるものです。考え方を変えればどちらの方向にも転換できます。

最初の話に戻ります。

新型コロナウィルスで自粛「させられている」と感じるか、自ら自粛生活を工夫して楽しむかで、全然日常の思いが違ってきますよね。

これにはひとつベースになるものがあって、「当たり前のものはない」という考え方です。「足るを知る」とも言えると思います。

人間は裸で何も持たない状態で生まれてきます。でも私たちの両親が、もしくは保護してお世話をしてくれる誰かがいて、その人たちが全てを用意してくれるから、私たちは今こうして生きています。

これだけでも十分ありがたい状態なはずなんです。ただ、周りの人たちがみんなそうで、これが標準なんだと思っているから、ありがたさを全く感じないわけですよね。

私も子どもの頃はありがたいなんて思いもしませんでした。ただ当時、アフリカの子どもたちが食料も満足にとれず飢え死にしてしまうという現状をテレビで見たとき、世界にはそんな過酷な環境で生きている人たちがいるんだと衝撃を受けました。

でもまだそのときは、自分が恵まれているなんて全く思いませんでした。アフリカに生まれなくてよかった、くらいにしか思っていなかったのです。

大きな価値観の転機がやってきたのは、20代に流産をしてからでした。子どもが産まれることは当たり前だと思っていた私にとって、まさか自分が流産するなんて想像もしていなくて、その衝撃はものすごいものでした。

大きく開いた心の傷をどうやって埋めていいのかわからず、探しに探してやっとたどり着いたのが、妊娠しにくい人たちが集まるヨガ教室でした。

その時教わっていた先生に「足るを知る」という言葉を教わりました。

私たちがこうして今生きていることだって当たり前じゃないんだよ。誰かがいてくれて助けてくれているから生きられる。こんな自分と結婚してくれた夫がいて、住む家がある、ご飯が食べられる、ちゃんと暮らせている。それだけでもう十分「足りている」ことを「知っている」でしょう。

子どもが亡くなってしまったこと、子どもができないことばかりに目が行っていた私にとって、それは別の視点に気づかせてくれた言葉でした。

それ以来、落ちこむことがあったり不満が出てきたりすると、考え方を切り替えていくようになりました。以前よりも悩むことが減って、明るく過ごすことができるようになりました。

あれがしたい、これがしたい、あれもこれもほしい。人間の欲望は尽きません。欲望は全然悪くないのですが、自分本位にそれを求めるようになると、それが叶わないことを周りのせいだと思ってイライラしたり、不満がどんどんたまっていったりします。

逆に誰かの幸せのためにこれをしたい、これを手に入れたいと思うと、イライラどころかワクワク感があります。達成するまでの過程も楽しいものになるのです。

人間ってそういうふうにできてるんだなあとつくづく思います。

今回、私たちの生活を大きく変えるくらいの感染症が起きて、それによって当たり前の日常が崩れていきました。

今までどれだけ自分たちが恵まれていたか、家族や友人たちの存在がいかにありがたいか、また不必要だったものも浮き彫りになってきました。

そういったことを一つひとつ見つめ直して、自分や周りが一番幸せになる道はなんなのかを、改めて考えるチャンスだなと思います。

新型コロナウィルスそのものは悪ではありません。自然界の中に存在しているウィルスが姿を変えて、私たちに何かを気づかせようとして出てきてくれたものかもしれません。そして実際、多くの人が「何か」に気づき始めています。

私たち人間はどちらの方向を選ぶのでしょう。

分断や争いを選ぶのか。

愛と感謝で手を取り合う道を選ぶのか。

答えはきっと、誰もが心の奥深くに持っているはずです。

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