こんなクリスマスに居酒屋かよ#パルプアドベントカレンダー2024
「なあ、タカシ。久々に集まって一杯やろうやって言うから時間を作って集まったのによぉ」
ギョロリと落ち窪んだ男の目が、目の前にふてぶてしく座る伊達男の目をのぞき込む。
「わざわざクリスマスの日に野郎三人で居酒屋に集まってモツ煮かよ」
タバコの焼け焦げや、コップの結露によるカビの緑がうっすら見える古びた木のテーブルのど真ん中に、三人分のモツ煮が湯気を立てて鎮座している。
「いいだろ、ケイイチ。男三匹、積もりに積もったこんな夜にしか話せねぇ話ってのもあるだろ」
タカシはケイイチの空のコップについ十秒前に開けたばかりの瓶ビールの瓶からビールを数度に分けて、ルーティーン染みた動きで注いでゆく。CMで見るような泡とビールの対比にしていくケイイチを見てタカシは「コイツまたどっかで女を口説けそうな所作の記事とか読みやがったな」とため息を吐く。
「やっ、やっぱりフライドチキンとか買ってきた方がよかったかな?」
同じテーブルに座るもう一人の体格のいい男がおどおどとした口調でケイイチに問いかけてくる。
「おい!ウチは飲食物の持ち込みは禁止だよ!」
カウンターの奥の調理場、焼き台の前でケイイチらが注文した焼き鳥のアラカルトを焼いていた店主がケイイチらを見ずに釘を刺す。タオルで汗を拭いならがらもその目は焼き鳥から離れることはない。
「…だってよ。マサキ、俺たちにそんなに気を使わなくてもいいぜ」
「う、うん」
タカシに肩を叩かれた男、マサキは頷くと差し出されたコップを受け取る。ケイイチも、目の前に置かれたコップを掴むと前に差し出した。タカシもコップを掴むと前に差し出す。
「それでは…乾杯!」
「「乾杯!」」
モツ煮(みそ味)税込み497円
「で、だ。お前ら最近はどうなんだ?」
「どうなんだって…何だその年頃の息子に話を切り出す親父みたいな問いかけは」
「ま、まあまあかな」
三人ともそれぞれのペースでビールを飲むと、タカシが二人に問いかけてきた。
「というより、何かしら言いたいことがあるならこのご時世、メールだのなんだのでとっくに伝えてるよ」
一味唐辛子をバサバサと自分のモツ煮にかけていたケイイチはそう言って適当に摘まんだモツとこんにゃくを口に放り込んだ。
「昔からお、思うけどよくそんなにそれ…あー…」
「一味か?」
「そ、そう。一味をそんなにかけて食べれるよね」
「こういうのは辛さの刺激がねえと美味くねえんだよ」
「よくそんな味覚で嫁さんと一緒に生活できるな」
ケイイチの偏った好みにタカシは肩をすくめる。
「ハッ!お前らは知らないだろうがな。ウチのカミさんは俺以上に辛党だぞ」
だが、その指摘をケイイチは鼻で笑った。
「マジかよ。あの北欧美人がか?」
「ああ。お隣の国の辛いインスタント麺にどこぞから取り寄せた海外の辛い唐辛子をトッピングして食ってるのを知った時には、流石の俺も舌を巻いたぜ」
「ひ、人は見かけによらないんだね」
「はいよ。焼き鳥一丁お待ち」
焼き鳥のアラカルト(塩)894円
「そういやタカシ、風の噂で聞いたがお前離婚するって本当か?」
「えっ!?」
「…はぁ~。誰から聞いた?」
ケイイチに食べかけの焼き鳥の串を向けられたタカシは面倒くさそうに後頭部を掻きむしる。マサキはおろおろとして二人の顔を交互に見ることしかできなかった。
「同じゼミのキッチョンだ。あのゴシップ好きに下手に隙を見せたのが運の尽きだ。お前、この前のゼミの同窓会で結婚指輪をしてなかったんだってな」
「あのバカ…ああ、そうだよ。現在離婚調停の真っ最中だ」
「そ、それなのにここで飲んでていいの?」
「ああ。少しは色々吐き出さねえと、やっていけないしな」
タカシはコップを掴むと少し温くなったビールを一息に呷る。そうして飲み干したコップを下ろした時、そこにあるのは疲れ切った中年の男の顔。ケイイチが今まで一度も見たことのない悪友の顔だった。
「…カナエがな。浮気してたんだよ。三年前からな」
ケイイチとマサキが思い浮かべるのはタカシの妻のカナエ。黒髪のロングの、どこか儚げな雰囲気を持つ大和撫子といった女性。その女性と浮気という行いが結びつかないのか、マサキは仕切りに首を傾げている。
「…で、嫁さんの言い分は?」
「会社で色んな女の子に粉かけてるのが嫌だったんだと。浮気相手は俺の部下だ。会社での俺の諸々をリークして、そこからズルズルと…てな」
「お前よぉ…結婚してから女遊びは止めたんだろ?なのによ、やたらめったらモーションかけてたのか?」
「おっと勘違いするなよ。俺が先に浮気してたと思うのならとんだ勘違いだぜ」
タカシは店主に日本酒を頼むと、ケイイチとマサキの方を向きキリリとキメ顔を見せつけてくる。
「俺ら三人にとって周知の事実だがな。俺は結構なイケメンだ」
「自分で言うことかよぉ」
「う、うん。でも、刑事ドラマの刑事さんみたいな顔だよね。かっこいい」
「で、だ。俺みたいなイケメンはそれなりに会社の女の子にいい顔と態度を振りまかないと逆に居心地悪くなるんだよ」
ケイイチとマサキは顔を見合わせる。今のご時世イケメンというステータスは持っていても損にならないどころか、持たねば生きにくいというのが共通認識。しかし、逆に持っている方が生きにくいというのは初耳だった。
「有名税ならぬイケメン税ってな。それで色々好感度稼ぎをしてたらそれが
運の尽きってわけだ」
「…そういや、チナツちゃんは今は中学生か?」
「ああ。中2の、受験勉強の真っただ中だ。今日は友達のとこに泊まってる」
「し、親権はタカシが持つんだよね?」
「ところが、だ。どうにも俺の大学の頃の女遊びのアレコレやら会社でのアレコレを掘り返されて旗色が悪い。今のままじゃ恐らく持ってかれる」
タカシはチビチビと日本酒を口に含む。その眼光は鋭く、剣吞とした眼差しだった。それこそ、どう問題の存在を排除すればカタが付くか考える危険な男の…
「大学の頃一か月ソープに通い詰めていたアホも親になれば真っ当になるか」
「オイオイ、今それを持ち出すかよ」
「な、懐かしいね。宝くじで百万円当てて、そこから欲望全開にして」
マサキも何か危険なものを感じたのか。ケイイチの話に乗っかって話題を変える。
「ああ。今思えば馬鹿なことをしたと思うよ」
タカシはしょげたように俯く。若気の至りがこうも付いて回るとは本人も思わなかったのだろう。ケイイチはどう励ましてやるかを考える。
「一回三万のソープを三十日行くんじゃなくて一回十万とかする芸能人御用達みてぇな最高級のソープに行けばよかった」
「カスみてぇな悟りじゃねえかよぉ」
「はいよ。刺身の盛り合わせ」
刺身の盛り合わせ1,312円
「で、マサキは今の仕事はプログラマだっけか?」
「う、うん。AIで自動操縦とかする」
「おー最先端」
マサキは指と箸でエビの殻と頭を丁寧に、それこそ指の熱で温くなりそうなほど時間をかけて取り除く。
「昔からマサキは機械関係全般に強かったもんな」
「で、お前がもっぱら頼るのは家電が壊れた時かスーフ〇ミのソフトを改造して剥ぎコラみてえに女キャラの乳を出させる時じゃねえかよぉ」
「で、でもあの経験が色々役に立ってるのは間違いないよ」
マサキは少し笑顔になり、完璧に殻が取り除かれたエビに舌鼓を打つ。だが、いくら顔が笑みを浮かべてもその目の下のクマは少しも薄くはならなかった。
「…最近忙しいのか」
「う、うん。半月ぶりに休みが取れたか」
その時、マサキの鞄から昔のアニメのオープニングの音楽が流れ出した。着信だ。マサキはスマートフォンの画面を確認すると数秒固まった。そして、ケイイチ達に頭を下げると通話ボタンを押した。
「アッ…課長お疲れさまで」
『遅い!社会人ならワンコール以内に出るのが常識だろうが!』
マサキのスマートフォンから、かなりの音声が漏れ聞こえた。不機嫌さを隠そうともしない男の声。マサキは泣きそうな顔をしながら応対を始める。
「ス、すいません…それで、用件は」
『お前が担当してるいくつかのプロジェクトに数か所基本設計から変える箇所が出来たから!明日中にやれよ!』
「エ…でも昨日課長がもう変更する箇所はないって…それに僕明日も休日」
『デモも糞もねえよ!契約者様がそう言って!命令を受けたからには俺ら下請けは言う通りのものを言われた以上のクオリティに仕上げる必要があるんだよ!そのためなら休み返上は当たり前なんだよ!』
マサキはスマートフォンの向こうの男に捲し立てられて反論をさせてもらえない。言われるがまま頷き、謝ることしかできない。
「はい…はい…わかりました…それでは…はい…」
マサキは通話終了ボタンを押してスマートフォンをテーブルの上に置くと力なく天井を見上げた。
「…大丈夫か?」
「…このあと、会社に行って言われた箇所の修正をやってくるよ」
「…明らかにパワハラじゃねえかよぉ。労基とかにタレこんだりしねえのか」
「で、でも課長も休日出勤して誰よりも働いているから…僕以外も同じような働き方だよ…」
「上がモーレツ世代だから下も従うしかないし、そのデスマーチが当たり前になってるからその状態に見合った量のプロジェクトを営業が持ってくる、か…いつ総崩れになっても可笑しくないぞ…」
「だ、大丈夫だよ!頑張ればなんとかなる状態だから!」
マサキはなんてことないとアピールするが、どう見てもカラ元気でしかない。二人の目から見てもそれは明らかだった。
「大丈夫、だ、よ……でも、ね…たまに思うんだ」
マサキは残ったエビの頭を割り箸で掴む。
「もし、課長がいなかったらちょっとは楽になるんじゃないかなぁ…」
ミシミシと音を立て、マサキの割り箸が折れエビの頭が小皿に落ちた。三人の間に、嫌な沈黙が漂う。その時、テーブルにトンと音を立て皿が置かれた。
「あいよ。ご注文のアジフライ。他は何を頼む?」
アジフライ784円
「醤油とソースどっちにする?」
「俺はソースだな」
「ぼ、僕はくっついてるタルタルにするよ」
「俺は…今日は醤油にするかねぇ」
ケイイチはマサキに新しい割り箸、タカシにソースを渡すと自分の皿にアジフライを載せ、醤油をかけると皿の端にテーブルの端に固めて置かれた調味料群からからしを取り、皿の端にちょいと出した。
「っと。悪い。そろそろ確認の時間だ」
その時、ケイイチは店の壁に掛けられた時計を見てスマートフォンを取り出す。ロックを解除してアプリを起動し、画面を見る。そこに映されるのは常夜灯が付いた室内で寝ている老人だった。
「ふう…」
「お、お父さんの具合はどうなの」
「少なくとも、午前中はまだシッカリしてるが…午後になるとなぁ…ボンヤリしたり暴言やら物が飛んでくる頻度が増えてきてる」
「…まだ嫁さんと別居したまま介護を続けてるのか」
「ああ。俺が結婚するときカミさんに対して色々ロクでもないことを言ってきやがったからなぁ…それで同居して介護してくれとは口が裂けても言えねえよぉ…」
「昔は立派な教師だって話なのにな…施設には入れないのか?」
「近所の施設はキャパがいっぱいだし、仮に空いてても『俺をあんなところに押し込めるつもりか!?この恩知らず!人殺し!』とか言って終わりだぜ?」
ケイイチはガリガリとアジフライに齧りつき、頭の中にまだ軽度の認知症を患った父のことを思い浮かべる。
「だ、大丈夫なの?前会った時より痩せてるような気がするけど」
「まあ…まだ大丈夫だろぉ。ベルトの穴が一個二個ズレただけで」
「立派な介護疲れだろ…お前も最近ちゃんと寝てるか?」
「ああ…まあ…三、四時間は…」
夜は起き出して徘徊しないか。朝になって漏らしたりなどしていないか。それらを気にし、確認するとなるとどうしても睡眠時間を削るしかなくなる。
「でもまあ、最近はセンサーカメラとかいろいろ隠れて設置してるし。今日はお隣さんに色々お願いを…」
そこまで言って、ケイイチはふと気づく。そう言えば、今日出かける時に鍵をかけただろうかと。
いつもなら、しっかり鍵をかけたかを確認してから出かけるのに、今日は確認をせずに出かけていた。待ち合わせまでの時間がなかったわけでもないし、お隣さんに何かあった時はお願いしますと頼んでいたとしても、だ。
「わざと、かぁ…?」
そのことを呟いた瞬間、ケイイチは自分自身に対してゾッとした。自分は、父に何かが起きてほしいと願っているのかと。自分が出かけている、たった今。徘徊してどうにかなって欲しい、と。
「……………」
そのことに、ケイイチは黙ってハイボールを傾けることしかできなかった。
鮭おにぎり284円、梅茶漬け486円、鍋焼きうどん752円
「……………」
「……………」
「……………」
三人は思い思いのシメを食べていた。だが、誰も一言も発しない。
タカシが発起人となり集まった飲み会。各々、胸中に押しとどめていた思いを溢した結果、楽しい気分は吹き飛んでしまっていた。
どうしようもない人生。三人とも、この場にいる全員が同じことを思っているだろうと考えていた。自分たちの人生、こんなはずじゃなかったのにと。
「…ごっそさん」
「ああ…」
「う、うん…」
三人とも立ち上がり、会計をするためにレジの方へ向かう、が。
「お前ら、ちょいと待ちな」
カウンター席に座って煙草を吹かしていた店主が三人を呼び止めた。
純米大吟醸、スコッチウイスキー、白ワイン0円
「コイツを持っていきな」
店主はカウンターに置いてあった酒のボトルを、三人それぞれの好みのボトルを手渡してきた。一本一万円を優に超える、高級なものばかり。
「どうしたのさ大将。こんなに高いもの…」
「う、うん」
「さっきから黙って話を聞いてたらお前さんら暗い話ばっかりだろう?少しくらいいい思いをしたってバチは当たらんさ」
「けどよぉ…」
「それにこのままお前らを放置してたらその内、本気で交換殺人とか考えそうだろ?」
ケイイチらは黙ってお互いの顔を見合う。
「その手があったかみたいなツラして見合ってる時点でアウトだろ」
店主はため息を吐くと、カウンターに置いてあった煙草を一本取り、ライターで火を付ける。店主の口から吐き出された紫煙がガタガタと音を立てる換気口に吸い込まれていった。
「この世の終わりみたいなツラしたお前たちに、人生の先輩から一つアドバイスをやろう。人生がどうにもクソッタレに思える瞬間はどんな人間にだって訪れる。けどな、そこでもう終わりだと何もかもバッサリ切り捨てる前に、もう少し頑張るかやり方を変えてみろ。案外何とかなるもんだ」
店主はひらひらと小指のない手を見せつけてくる。
「そういうもんかぁ…?」
「ああそういうもんだ。元ヤクザが居酒屋を構えて大学生のバイト三人を抱えていた頃から数十年やってこれた実績有りだ。ありがたいお言葉だぞ」
「ほ、本当に何とかなるかは分からないけど。大将、ありがとう」
「ああ、帰ったらコイツで一杯やらせてもらうよ」
「それじゃあ、6000飛んで94円。しっかり払えよ」
その言葉を聞いた瞬間、3人はガクッとコケそうになった。
「この流れでお値段にサービス無しかよぉ!?」
「せめて端数の94円くらいは」
「う、うん」
「うるせぇ!今日はまだお前ら以外の客が来てねえんだよ!少しはこの哀れな経営者に救いの手を差し伸べようとは思わんのか!」
そこから数分間、4人はレジの前でギャーギャー言い争いを続けたが、マサキが会社に向かう時間が近づき結局、店主の言ったとおりの値段を割り勘で払うことと相成った。
「また来いよー」
「はぁ…あの業突張り…クリスマスくらいそこら辺の勘定をどうにかしようと思わねえのかよぉ」
「しかしこうして酒を貰った以上、文句は言えないだろ」
「う、うん…あ…」
鞄に財布を戻したマサキがその時、何かに気づき上を見上げた。二人も、それに釣られて上を見上げた。
「おお、雪だ。ホワイトクリスマスだ」
「通りで寒いわけだよ…」
チラホラと空から雪がチラつき、吐き出す呼気は白く、空へと昇っては消えてゆく。
「そうだ、言うのを忘れていたな。メリークリスマスだ、二人とも」
「オッサン二人に言ってて空しくねえのかよぉ」
「言うな。虚しいに決まってんだろ」
「し、正直だね。でも、うん。タカシらしい」
そうこう話していると、1台のタクシーが店の前に停まった。マサキの呼んだタクシー。
「そ、それじゃあ」
「ああそうだ。また来年、今ぐらいの時期に集まって近況報告を兼ねた飲み会をしないか」
「いくらなんでも早すぎねえかぁ?」
「う、うん」
「いいんだよ。スケジュールを抑えるのは早ければ早い方がいい」
「でも…そうだね…うん、楽しみにしてるよ。それじゃあ、おやすみ」
マサキはそう言うと、運転手に待たせたことへの謝意を述べながら乗り込み、タクシーは緩やかに発進し、曲がり角を曲がって見えなくなった。
「それじゃあ、またな」
「ああ、またなぁ」
マサキを見送ったケイイチとタカシも、別れを告げてそれぞれの帰路に就く。
「…案外何とかなる、か…」
ケイイチは、手に持ったスコッチウィスキーを持ち上げ、ラベルを見た。
「はあ…ま、また1年頑張ってみるか」
そうして、ケイイチは少し足早に歩きだした。
「…かけそばか、カレーか」
精神的に少し余裕が生まれたからか、鮭おにぎりでシメが物足りないと訴えかける腹に従い、駅前の立ち食い蕎麦屋に向かって。
かけそば(エビ天トッピング)590円+ミニカレー420円
【終】