『蟻』

「私」は外出した際、蟻を見つけたら、その蟻を必ず踏みつぶすようにしている。

人から見れば、下らないことに執心しているかに見えるだろうが、「私」はそうせずにはいられないのだ。

それは数か月前に遡る。

朝、自宅で起床した「私」の布団の横の卓袱台に、蟻が歩いていた。

その蟻を潰そうとした「私」に小さな声で「やめてくれ」と蟻がしゃべったのだ。

はて、蟻がしゃべるものだろうかと、私が首をかしげると、蟻は「お前の友人のタロウだ」としゃべった。

「馬鹿々々しい、蟻が人語を介するだけでも妖の類にしか思えぬのに、よりによって我が友のタロウの名を騙るか」

タロウは「私」の下宿の二階の左隣に住む、同じ大学に在学する学徒だ。

この厳しい都会へ田舎から上京した「私」にとって、同じような理由でやってきたタロウは心強い存在だった。

「本当だ信じてくれ」

人がトラへと変り果てる小説はあれど、人が蟻に変り果てるなどあるものなのか。

「俺が借りた部屋を見てくるといい。布団の中には俺の寝間着しか残されていないはずだ」

「ならば見てきてやろう。もしお前の言葉が違ったならば、その時はお前を潰しこの話は終わりだ」

「私」は部屋を出て、タロウの部屋の扉を叩く。

「『私』だ!朝早くからすまないが、起きているか!」

しかしタロウは返事をせず、扉にピタリと耳を寄せても、部屋の中からは何も音が聞こえない。

扉は鍵がかけられていない。

「失礼する!」

「私」が部屋の中に入ると見慣れた部屋が目に入る。

そして部屋の中央に、布団が敷かれていた。

「っ!」

私が布団を剥ぐと、あの蟻が言う通りに布団の中には寝間着しか入っていなかった。

部屋に戻ると、蟻が「どうだ?俺の言った通りだろう」と声をかけてくる。

「お前の言った通りだ。つまるところお前は暫定的にタロウということになる」

「やれやれ、お前の慎重さは変わらないな」

「すまんがこれから大学でな。お前のことは病気で休むと教授や学校に伝えてやる。食事は…このチョコレイトを置いておく」

「わかった。すまんがしばらく世話になる」

それだけ言うと、私は奇妙な蟻を置いて部屋に鍵をかけ走り出した。



「さて、それではお前何をしたんだ?」

大学が終わると私は一目散に部屋へと帰ってきた。

この奇妙な蟻がタロウだとして、何が起きてタロウが蟻になったか解明しなければならぬ。

「わからない。朝起きたらこのような姿になっていた」

「寝る前はどうだ?」

「食べたものが悪かったか、腹のあたりが寝るときじわりと熱かっただけだが」

「それだけではどうにもならぬ。医者にも見せられぬし、仮に見せたら『私』が自我を疑われる」

「だろうな。時間の流れに任せるしかないか」

そうして「私」とタロウと思われる蟻との奇妙な生活が始まった。


生活が始まってから三日が経った。

その間私は大学の講義をタロウへと話し、食事にチョコレイトを与え、なんとか生活していた。

その三日間何とか戻せぬか、あれこれ話し合ったが、何も進展せず徒労に終わった。

「なあ、思うんだが」

「どうした?」

「なんだかこの姿が俺に相応しいように気がするんだ」

「何故そう思う。お前は人間だ。そんな吹けば飛ぶような姿相応しいなんて一時の気の迷いだ」

「まあ待て。気の迷いで言ってるわけではないんだ」

「なんだと?」

タロウは私に背を向け、語りだした。


「俺はどうしようもなく小さい男だ。器も、心も、なにもかも」

「俺は自分がそこまで優れた人間ではないとわかっているんだ」

「大学では気が強く、学友たちの中心に立とうと振舞っているが、それは俺の不安の表れなんだ」

「可笑しな奴だと嘲笑われていないか、田舎者だと馬鹿にされていないか」

「そんなことばかりが頭を過る。そのせいかお前以外の友も、恋仲の相手もいない」

「お前ならこんな俺を馬鹿にせず、あるがまま受け入れてくれると直感で分かったんだ」

「だがそれ以外の奴は駄目なんだ。目の奥で俺を嘲笑っているように思えてしまう」

「だからそう思っているのを悟られないように大学ではああ振舞っているんだ」

「そして心の中では劣等感で一杯なんだ」

「いい大学へ行ったせいなのだろうな。地元では一等頭がよかったはずの俺が、今じゃ平均的な学徒扱いだった」

「それが俺には耐えられなかった」

「上にはどこまでも分厚い壁があった」

「それを越えようとしても穴すら開けられない」

「だからと言って下を見ても満足できなかった」

「違法スレスレの薬物に手を出す奴ら、女を騙して辱める奴ら、留年していく奴ら」

「それらを見て俺の心を満たしても、次の瞬間にはどうしようもなく己が恥ずかしかった」

「それらを見て満足しようとしてる俺は、そいつら以上に惨めに思えたんだ」

「まるで自分が矮小な虫けらに思えたんだ」

「そう考えたら、この姿も俺に相応しいと思えたんだ」

「………すまない、このようなことを話しても仕方がなかったな」

それだけ言うと、その日はタロウは一言も話さなかった。


この奇妙な生活も一週間が過ぎた。

タロウは日に日に言葉少なになり、無口になっていった。

「ただいま」

「私」は同居人へと挨拶したが、いつもタロウがいたはずの卓袱台にタロウがいなかった。

「タロウ?」

「ここだ」

タロウは冷蔵庫の前にいた。

「なぜそこにいるんだ?」

「………」

タロウは何も語らず、卓袱台へと歩き出した。

「私」は手洗いうがいをし、夕餉の準備を始めようとした。

「なあ、頼みたいことがあるんだ」

タロウはぽつりと呟いた。

「俺を殺してくれないか?」

「なんだと?」

私は振り返り、卓袱台を見た。

タロウは、蟻は真っすぐに私を見つめている。

「先ほどなぜ冷蔵庫の前にいたかと聞いたな。俺にもわからないんだ。無意識に、あそこにいたんだ」

「………」

「それ以外にも最近意識が朦朧として、記憶が定かじゃないんだ」

「………待て…」

「親兄弟、地元の事、笑えることにお前と出会った時のことも、お前の名前ももう思い出せないんだ」

「…待て」

「この下宿にすぐ近くにある蟻の巣、あそこに行きたくてどうしようもないんだ」

「待て」

「俺は徐々に蟻になっている。どうか俺が人間の部分がある内に」

「待ってくれ!」

「私」は声を荒げた。

「いくら何でも性急すぎる!それにまだ蟻になると決まったわけじゃないではないか!希望を捨てるな!」

「私」がそう言うとタロウは「…わかった。お前を信じよう」と言ってくれた。

タロウが蟻になる?完璧に?私が?タロウを殺す?

そんなことが頭をぐるぐる駆け巡る。

私は、答えを出せなかった。


そして次の日、タロウはいなくなった。

部屋のどこにも、影も形もなく、呼んでも返事がなかった。

そうして私は理解した。

タロウは、完全に蟻になってしまったのだと。

私は、殺虫剤を買い、下宿近くの蟻の巣にそれを吹きかけた。

「これで、よかったんだろうか」

「私」は決断が遅かった。

友人が人のうちに殺してやることも出来ず、こうして殺虫剤を撒いたが殺せた確証もない。

町の喧騒の中に「サヨナラ」と聞こえた気もしたが、それがあいつの声かわからなかった。


だからこそ「私」は蟻を潰し続けるのだ。

もしかしたらアイツを、タロウを殺せなかったかもしれない。

だからこそ、「私」は蟻を殺し続けるのだ。

「私」の目の前を、蟻が歩いている。

「私」はそれを、踏みつぶした。

「イヤーッ!」「アバーッ!?」1

大学生無残!額にスリケンが刺さり死亡!2

「ヒーヒッヒッ!生き物を遊びで殺すなんざ見過ごせねぇなァ!」彼にスリケンを投げつけたのは…おお!黒色のレインコートにメンポをしているではないか!3

彼の名はカーティル、暗殺を生業とするニンジャだった。4

だが昨今アマクダリと名乗る集団が幅を利かせているため、彼のようなフリーランスでいようとするニンジャはケチなビズにしかありつけず、このようなケモビールをラッパ飲みしながらモータルを遊びで殺すという無様を晒している。ALAS!なんたるマッポーの一側面か!5

だがそれもこれまでだった。6

カーティルが証拠隠滅で己のジツで大学生の死体をフレーク状にしようとしたその時!7

「アバーッ!?」8

安いアルコールの過剰摂取により周囲の警戒を怠ったカーティルを冷凍マグロ運搬小型トレーラーが轢殺していった。9

「サヨナラ!」カーティルは爆発四散!その場には額にスリケンが刺さった大学生の死体が残された。10

カーティルを轢殺した冷凍マグロ運搬小型トレーラーが何を運んでいたか。それは奥ゆかしくこの場で語るべきではないだろう。11

◆忍◆
ニンジャ名鑑#999
【タロウ】
ネオサイタマの男子大学生にアリ・ニンジャクランのニンジャソウルが憑依。アリヘンゲ・ジツは隠密や潜入に有効だが、長期間蟻になったままだと、本当に蟻になってしまうというデメリットを持つ。
◆殺◆


9月24日追記

こちらの作品はニンジャスレイヤーほんやくチーム様とは一切関係有りませぬ!

お望月さんの

に参加させていただいて書いた与太話であります!

もしあれやこれやを邪推してしまった人がいるのならゴメンネ!