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弱さを知った、だから今すぐ挑戦できるーアスヘノキボウインターン記録 じろう

「女川の地域インターン希望であれば、ぜひご検討ください!」

アスヘノキボウ代表の後藤さんからメッセージを頂いた。就職活動が終了し、投稿したメッセージのリプライによせられたお誘いだった。約3週間後、人口6,000の町にインターンとして関わる決断をした。就職活動を終えても、なぜアスヘノキボウでインターンをしたのか。

2023年7月から12月まで、6ヶ月間のインターン活動を振り返りたいと思います。


たった1つの関心が大学生活の全てに

2020年3月、全国一律緊急事態宣言が発令。
その1ヶ月後、夢に見た大学生活が一人暮らしの部屋で始まった。

群馬県出身の次男。だから、名前はじろう。わかりやすい名前。生まれてから高校まで18年間群馬県で育ち、大学で初めて東北地方にご縁があった。知らない土地、新しい環境で始まった大学生活は外出自粛を求められるコロナ禍。当然、大学生活もオンライン。留学も検討するも新型コロナウイルスの影響で断念。

すべてがだめに思った時、自分を育ててくれたのは地域だった。ボランティアサークルに所属するも活動がほとんど停止。なので、個人単位で宮城県の地域で開催されるボランティア活動に参加した。そこで、縦でもない、横でもない、斜めの関係性に出会えることがボランティアの魅力だと気づいた。つまり、親でも、同級生でも、先輩でもない、「第三者の大人」との出会いが発見や学びにつながり楽しかった。閉塞した世の中でつながる嬉しさに気づいた瞬間だった。

出身大学の学部では大学3年次に、大学卒業論文を書くためのゼミを選ぶ。経済学部であるから金銭的なことを学ぶ、と大学入学当初は考えていた。
しかし、経済学と経営学の両方を学ぶことができる大学でもあり、経営学に関心が向いた。そして、目が向いたのは株式会社など営利企業の経営マネジメントではなく、NPOのマネジメントや組織体制だった。
興味関心がある「ボランティア」が学問として存在することを知り、「自分の興味関心が学問として学ぶことができれば幸せだな。」と感じたからである。金銭的な価値とは真逆の非営利の分野を選び、卒業論文も「NPOにおける若者のキャリア」がテーマになる。驚くことに、アスヘノキボウとのつながりもNPO研究がきっかけであった。全てが導かれたかのようだった。

人としてもっと成長したかった

就職活動も終えるも、消化不良だった。福島県を拠点とするボランティアサークルの経験を就職活動で話した。コロナ禍もあり、組織内部の方向性を定めるので精一杯だった。加えて、地域住民との活動も感染対策上禁止になり、ただひたすら福島県のことを学んでSNSに発信するだけにとどまった。「誰にも感謝されず、何のために活動しているのだろう」ともやもやしていた。一方、そのときの頑張りを評価してくれる人も多く、「地域に残せた成果は何だ?」と悩みが深くなる。

また、とあるNPOでアルバイトで雇われるも、あまりにも仕事の出来なさに見切りをつけられる経験もした。代表の指示に他の人は器用に対応しているのに、自分は応えることが全然できなかった。そのうえ、できないことがどうしたらできるようになるのかもわからなかった。代表の指示に応えることができない、周りには迷惑をかける、何を改善すれば良いのかもわからない、という三重苦に途方に暮れた。

一方で、負けず嫌いな性格もある。
いつも長男の成績や成果に負けまいと努力し続け、進路選択をしていた。
「多分ここで折れたら、この先ずっとこの経験を言い訳にして過ごすことになるかもしれない。負けたくない。」今回は競う相手が自分だった。ただ純粋に人間的に成長したかった。

そんな時、アスヘノキボウ代表の後藤さんから連絡をもらった。

「今いる環境を変えることで、人としてもっと成長できるかもしれない」

就職活動を終えてもインターンとして活動することを選んだ理由が、「変わりたい」「成長したい」という想いであった。そして、出会った地域に貢献したいという思いも後押しして、連絡を受けた約3週間後に女川町を訪れた。

幅広い教育の提供とまちの広報活動

2011年の東日本大震災から今年で13年目。まちづくりの分野では「20年かけて復興は進む」と言われている。最初の10年はインフラや生活基盤を立て直す期間、残りの10年はその復興の効果が現れ評価される時間。東北地方は現在、新しい段階に直面している。

「新しいスタートが世界一生まれる町へ START!ONAGAWA」をスローガンに、官民連携して新しい挑戦が女川町でも始まっている。そして、アスヘノキボウもたくさんの挑戦に取り組み、今回その一部に関わらせてもらった。

教育機関だけではない幅広い教育を通して、高校生・大学生・社会人とつながり、考え、走りきった。また、女川町に関心のある高校生・大学生を対象とした新規プロジェクトの構想にも携わった。

まちの広報活動にも取り組んだ。添削やアドバイスをいただきながら記事や各イベントのチラシ作成をした。女川町はイベントが多い町でもあるので、イベントの発信活動にも関わった。


初めてのプロジェクトリーダー

女川町に関心のある高校生、大学生に向けた新規プロジェクトの構想のリーダーとなった。

「将来に希望がない」

とある高校生から聞いた衝撃的な言葉だった。将来世代が、周りの影響を受けて自分の可能性を狭めてしまう事実に驚くとともに、それを身近な人から聞くと胸が痛くなる。

「大人の自己肯定感は全て幼少期で決まってしまう」ことを地域の人から学んだ。だとしたら、学生時代の成功体験が進路に大きく影響するかもしれない。そのように仮説を立てて、女川町を舞台に情熱と意志のある高校生や大学生の伴走支援プログラムを実施することに大きな意義を感じた。

「就職活動ではやりたいことが見つからなかった。だからこそ、挑戦する人を伴走したい。」

これは、インターン開始してすぐに代表の後藤さんに伝えた自身のありたい姿。まさに今回のプロジェクトと一致して、喜んでプロジェクト構想に参加した。
誰に、どのような価値を届け、どのように資金を獲得するか、常にこの問いを立てて取り組んだ。

挫折から学びへ

しかし、「できない」「足りない」にとらわれて計画どおりにプロジェクトが進行できなかった。コミュニケーション不足も生じ、行き違いが何度も発生した。そして、消極的な態度がさらに遅れをもたらした。

短い期間しか関わることができない立場であり、現場の人に引き継ぐから現場の人の意志を尊重したい。それが自分の役割。ー振り返ってみると意思決定を放棄していた。物事が進んでいくためには決めていかなければならない。決断に自信がない、実現可能性が低いとできない言い訳ばかり考え、がんじがらめになっていた。

代表の後藤さんから「どうしたら良くなるか、できるようになるのか、を考えてみたことはある?決断できない人に価値はないよ」とフィードバックを受けた。叱られると結構凹む性格である。2日間ほど女川を離れ、どういう意味なのかを繰り返し考えた。そして、当たり前だけど気づいたことがあった。

「100%万全な状態で物事は進まない」

今までプレイヤーとしてどのように動くしか考えていなかった。誰かの期待に応え続けることだけを考えて過ごしていた。
そして、「できない」「足りない」と考え始めると、足が止まる。

しかし、直接代表とやりとりして、一歩引いた視線で物事を見つめられる気がした。つまり、トップに立つ人は常に大小関係なく毎日無数の決断をしている。そして、その判断をするときはできない理由を見つけるのではなく、できる理由を必死に考えている。

数日後、点と点が結びつく機会があった。

言葉を変えれば、世界を変えられるかもしれない

本好きな代表の棚から取り出し、深く心に残ったフレーズだった。ネガティブ思考の自分に、ネクストステップが見えた瞬間だった。今の自分は批評家になっている。それでは組織や地域に価値を提供できない。できない理由よりできる理由を探したほうがプロジェクトを良い方向に進めるかもしれない。

「想いの後にスキルが身につく、だから言い切ってみることが大事」
「気づけたならそれが成長のきっかけ」

アスヘノキボウの人から絶えず、気づきと背中を押してくれる言葉を投げかけてもらった。時に芯をつくような指摘を受けるが、次どうしたら良いかをシンプルに伝えてくれる。振り返り、試すという循環を繰り返すことで常に学ばせてもらった。

これからインターンを考えている人へ

全ての悩みは対人関係である

どんなに「成長したい」「変わりたい」と思っても、1人で変わることはできない。全ての悩みが対人関係ならば、悩みを解決するのも対人関係である。つまり、「成長したい」「変わりたい」という気持ちは人との関わりのなかでしか解決できない。人は人で磨かれていく。

大学生向けの教育プログラムの伴走をして嬉しかった成長がある。就職活動中の大学3年生が3ヶ月のプログラムを終えた感想である。

「それこそ性格診断をしても、『自分は何なんだろう』というところが見えてこなかったです。しかし、このプログラムを通して、例えば発想が比較的得意であることがなんとなく見えてきて、面白く解決策を見出すのが楽しくて地域の課題を解決する仕事につきたいと明確化していきました。なので、本当に3ヶ月間で大きかったと思います。」

人が変わる瞬間に立ち会えるのが魅力的だった。誰かの成長が嬉しいし、それが自分の成長にもなる。半年間でたくさんの機会をいただき、人間的に成長させていただいた。同時に誰かの成長に役に立てた。

自他ともに成長させてくれる場所が女川町、アスヘノキボウである。

圧倒的に成長したい人
環境を変えて変わりたい人
「変わりたい」という気持ちが原動力となる

「第三者の大人」が時には厳しく、時には温かく見守ってくれる場所がここアスヘノキボウであり、女川町。ここは今後の自分にとって「第二の故郷」になる。そしてここは、最後まで読んでくれたあなたを歓迎してくれる。

陰ながらみなさんの挑戦を応援しています。


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