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一般人にはわからなかった、ワクチン後遺症による入院中のカルテの開示!読んでわかった事②

今回も本人原稿です。
自分が謎に思っていたところなど、診療記録を読み納得できたようです。

診療録からわかった事②

入院期間が最も長かった病院での診療録を読んで、色々な事を知る事が出来ました。
費用はかかったけど、自分の受けた治療のことや医師からの説明など、今まで未知(なんとなく聞いてはいたけれど…)でぼんやりしていた事がクリアになりました。


今までルンバール中に全身痙攣起こして意識を失ったものだと思っていましたが、違いました。

ルンバールは問題ないなく終わり、終わった後に全身痙攣→意識消失。呼吸抑制あり。
挿管準備中にレベル戻るも、意識消失した事覚えておらず。

主治医から現状と挿管について説明あり、ICUへ入室し挿管。

挿管もなかなか沈静が効かずに複数の薬を使ったみたいですね〜

挿管後もミタゾラムやプロポフォールなどでセデーションかけているのに、CVや挿管チューブに両手がいってしまうとのことで…上肢抑制までされていたようです😂笑笑

治療経過は省略しますが、この時期は急性期だったために何度も痙攣を起こしては薬剤を増量してとかなりセデーションは深くかかっていたようです。

リアルタイムでnoteにも書いてくれていますが、症状が酷く落ち着かないために気管切開の話も出ていました。9/3頃から意思疎通も図れるようになり、9/5のA先生との会話では気管切開は絶対に嫌だと意思表示をしたとのこと。9/6の血漿交換の際に痙攣がおこらなかったため、気管切開は行われず、その日の午後に予定通り抜管しました。


11/8自己免疫性脳炎/脳症の再発にて回復期より転院。『挿管はしたくない』と拒否した事から、救急科の先生が本人の意思を尊重して挿管せずに様子を見ていた。

しかし、ICUで色々と処置を行なっている間に痙攣は拡大し本人もそれを自覚。
脳神経内科のA先生より
•痙攣発作を止めるには鎮静剤を入れなきゃいけない。しかし、それにはレスピ管理下でなければ安全にはできない。
挿管の必要性の説明を受け、納得し頑張る事を決意、2度目の挿管、レスピ管理下での治療開始となった。

この期間で新たにわかった事、それは身体が痙攣(ピクついてなくても)してなくても、痙攣を起こしている事があったという事。
レベル低下し眼球の偏位があった事から非痙攣性てんかん重積になっている可能性があったということが分かった。


11/20の夜中痙攣を起こして3度目のICU
A医師に薬を入れる際に『眠くなるよ』と言われてその後から記憶に無いのは覚えてる。
→記録を見ても、この記憶は正しかった。薬剤の作用なのか、痙攣発作の影響なのかはわからないが、ホリゾン0.5A IV後にレベル低下。痙攣は落ち着くどころか全身へ拡大。追加投与するも落ち着かず、ICUへ移動し、レスピ管理下にて治療開始。ミタゾラムでやっと痙攣は落ち着く。

脳神経内科A先生は
•挿管が必要だけど年齢が若いし声帯麻痺を起こしており、確実に1回で入れる必要がある事、今までの挿管の経緯を考えて麻酔科医に挿管を依頼したと。


色々と私の事を考えてくれていた。

この時点でA先生は繰り返す私の痙攣発作に対して『超難治性自己免疫性脳症での新規発症痙攣重積発作NORSE』と付けた。また、この時の先生の見解としては、全く改善する気配をみせないNORSEでありステロイドパルス2回目終了直後、さらに3回の血漿交換も重なっておりかなりの抗免疫効果がでていると思われる最中に痙攣がおき、急速に全身し悪化していく様子が"超難治性"を伺える。RNAワクチンはその関連が明らかとみていい。(4回目投与翌日に発熱+以後持続性難治性痙攣出現している事から)


この時点でICUでレスピ管理下での治療は3回目。先生の言うこともわかる。ワクチンの副作用である事をはっきりと認めてくれていることもありがたい🥺🙏

さらに、この病院に勤務する脳神経内科医4名で今後充分に治療しきれるかと不安も記載されていた。。。優秀な先生達を悩ませる程だったのかと…驚いた。



12/3の夜にまたもや痙攣にて4度目のICU
11/29に抜管し一般病棟に転棟してから4日しか経過していなかった。
肺炎+強膜炎を起こして、嘔気と痛みで苦しかった。そんな時の出来事だった。
最初は意識はあったが、だんだんとレベル低下したのは覚えてる。


この時点でのA医師は『超難治性NOROSE もはや限界』と。

その後、
『極度難治性NORSE 当院では治療手段はもはや出尽くしている』と。

ステロイドパルス療法、血漿交換、免疫グロブリン……やれる治療はほぼ全てやってくださっている。


以前の記事で、気管切開に本人は同意した覚えがないと記載があったと思う。私も本当に覚えがなかった。しかし、ちゃんとカルテに書いてあり、私は同意していた。

12/5に主治医から、12/6にはオペする脳神経外科の先生からも説明を受け、双方に同意している。

理解力も良好との記載もある。ミタゾラムでの鎮静中であるが、覚醒していると書いてあった。


そして12/9に予定通り気管切開術が行われた。


気管切開をおこなった事で、傷跡は残るけど声帯への影響を最小限にでき、鎮静剤も早期に減らす事ができた。鎮静剤を減らす事ができ、発作を観察しやすくなり、偽発作というあらたな事実も判明する事ができた。

ICUの看護師さんが一般病棟に上がった後も頻繁に会いに来てくれて嬉しかったし、一般病棟の看護師さんも何度も出戻りする私を温かく受け入れてくれて声をかえてくれて嬉しかったなって思っていました😊

これは、これで私の素直な反応として、いいとして。でも、それには理由がありました。

カルテを読むと知らなくていいことも知ってしまう事になるのです。良い意味でも、悪い意味でも………


入院期間が長引いていることや、強膜炎の痛みから、私から笑顔が無くなっていることなど、総合的に判断して"うつ状態"になっていると。

そこで、胸膜炎の痛みの緩和のために、既に坐薬や湿布など使用しているけどそれでも本人の疼痛の訴えが緩和されないために緩和ケアチームが介入する事に。


一般病棟に転棟後は、あまり過剰に複数のスタッフが介入するとかえって私を不安にさせてしまう事もあると考え、ICUや一般病棟の慣れ親しんだスタッフとコミニュケーションを図っていくのが良いと、過剰な対応はせずに自然に、身体の回復と共に精神面も落ち着いていく事を期待していくとの判断にいたったとのこと。

これを読んで、なるほど🤔!と納得‼︎‼︎‼︎
そしてお忙しい中、こんな私のために時間を割いてわざわざ会いに来てくださった事に改めて感謝です🥹


診療録を読んで本当に色々な事を知る事ができました。

私が入院中記憶にあるのはICUでも抜管後の数日と一般病棟での日々のみ。

こんだけセデーションかかってたら、覚えていないのも当たり前。それでも意思疎通を図れていた時もあったみたいですが………


今回の出来事は私の人生の中で本当にほんとうに大きな大きな出来事でした。


大好きな踊りも踊れなくなり、仕事も出来なくなり……ICUに4回入室しレスピ管理4回、気管切開、CV挿入、Ba、寝たきり全介助、リハビリ、吸引、オムツ、陰洗、ST、Aライン、ルンバール、床上排泄、経管栄養、血漿交換、などなど。

看護師6年目にして、患者さんの気持ちをたーくさん体験させていただき、これまでの自分の看護に対して反省する面も多々ある中、こんな私に感謝して、わざわざ指名してまで最後挨拶して退院される患者さんがいらっしゃったなんて、ほんと申し訳ないとゆうか、もっと上を目指して、そしてこの経験を活かして頑張らなきゃなって思いました😊

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