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めぐりめぐる日々
先日、仕事で外出した。
ヘルパーは外に出かける介助もある。
外に出かけると、守られた安全な自宅とは違い、さまざまな出来事が起きやすい。
良いことも嫌なことも。
顔を見て声をかけてくれる嬉しさ
お昼ご飯を食べようとあるお店で事情を話すと快く受け入れてくれ、さらに話せないご本人にも目を合わせて「どうぞ」「いらっしゃいませ」と言ってくれた。
え、当たり前じゃない?と言われるかもしれないが、当たり前じゃないのだ。
私たちヘルパーに話しかけることはあれど、声の出ない本人に目線を合わせてもらえることは少ない。
接したことがない故なのか、なんなのか。
理由は分からない。
ただ、その姿を見ていていつも悲しくなる。
本人が何か買い物をしていても私たちヘルパーに「袋はどうしますか?」と尋ねられる。
私たちは代弁はするが、買うのは私たちではない。本人に尋ねてほしい。
帰りに困ったことがあり、近くにいた商業施設の警備員さんに話しかけた。
私たちが問いかけたので、ヘルパーに返答してくれたが、その後障がいを持ったご本人にも「こんにちは〜」「暑いね〜」と声をかけてくれ微笑ましい時間が流れた。
更には車の乗車時に本来の仕事ではないはずなのに、近くにいるからと誘導してくれている。
ごく自然に。
顔を見てくれると存在を認められたような気がする。だから嬉しくなるのだ。
過去のモヤモヤ
そんな嬉しい話を数人でしていた時、ふと十数年まえの外出支援の話になった。
あの時は公共交通機関を使おうにも、平気で断られる時代である。
そんなバカな?と思うかもしれない。
けれど平気でまかり通っていた。
存在を否定されたような出来事が続き、特に拒否が強かったある公共交通機関がトラウマになった。プライベートでも使えなくなったくらいに。
同じく外出支援を以前からしていたメンバーで話すと、やはり昔は断られることが多かったそうだ。
断られたり、舌打ちされたり、悲しい言葉をかけられたり…救われることよりも悲しい出来事が多かったように思える。
「めげずに外に出る人が増えたことで、今こうやってありがたいと思える出来事が多い気がする」ある人が言った。
そうなのかもしれない。
存在を知ってもらう。
悲しい出来事があっても続けていけたのは、ちょっとだけその先を見ていたからかもしれない。未来に期待したかった。
ありがとうの循環
ありがとう!と思えた気持ちでいっぱいになり、このnoteを書いた。
この気持ちのバトンを、また違う誰かに渡していきたい。渡すことで「ありがとう」は巡っていく。循環していけば世の中「ありがとう」が溢れる。
夢語りかと笑われるかもしれないが、世界中が笑おうとも、わたしはバトンを信じて誰かに渡していきたいと思っているのだ。
笑ってもいいから、応援してくれないだろうか。
今どん底で誰かの優しさがいらない、と言う人も少しずつバトンを信じていけばきっといつか手を伸ばす。仮に手を伸ばさない選択をしたとしても、優しさによって心は少しだけ緩むだろう。
物理的な問題と、ハード面、考えるだけでゾッとする。
けれどこれからも負けず、二つの面を噛み締めて外に出ていく。
わたしの経験とあなたの経験。
組み合わされば最強だ。