あおによし
百人一首に詳しいわけではない。中学生の古典の授業で全部覚えて、それなりに好きな歌もあったはずだけど、それだけ。
だからこの歌を引いてきたのだって深い意味はなくて、「ここのえ」の音からの連想にすぎない。
九重みよ、今年一番出会えて良かった人。本名は分からないけど、「ここのえ みよ」という名前、あまりにも優雅だ。
出会いは偶然で、いや必然だったのかもしれなくて。それは私がまだとある呪いに、あるいはその残滓に、苦しめられていたころ。同じ呪いにかかっていたはずの人、そしてそれから解放された人に声をかけられて、あるライブに足を運んだ。6月19日のこと。顔見知りの多い現場、なぜか厚意で最前で見ていいよって言ってもらえた。
目線の先まで指定されていた一年間、ほかの子を見ることすら禁じられていた一年間の先にあった出会いは衝撃的だった。無意識のうちに自分にかけた重荷は私を苦しめていて、それを自覚しても囚われていることに喜びを感じていた日々。夢から醒めた「元同担」に対する嫉妬を感じてそれを隠していた日々。
可愛い子が大好きなのに、視界に入れることすら自分に枷をかけていた私にとって、彼女との出会いは、白黒になってしまった世界に色をつけてくれた。どこを見てもいいライブは思っていたよりもずっとずっと楽しかった。
会いに行けばその分だけ愛をもらえる場所。歌って踊るアイドルだから好きなんだってことを思い出してしまった。信仰対象しか見てはいけない呪い、視線すら送れない呪いから解き放ってくれてありがとう。出会えてよかった。
ライブを見ること、顔の良い女とにこにこお話することの楽しさに気がついてしまった私は、他のアイドルのライブにも行くようになってしまったけれど、「一番好き」は多分この先も彼女にしか抱かないんだろうな。淡い確信。地雷になってしまった過去の宗教に囚われないように、そろりそろりと。
夜行バスに乗って会いに行った日、ライブを見るために帰省を重ねた日、ドタバタで未練の残る誕生祝い、君から届く私だけへのメッセージ、ひとつひとつ積み重ねて気がつけば半年。
夏とか生クリームとか、あまり好きじゃないものは知っているのに、好きなもの何も知らないなって気がついた。徐々に知っていきたいですね。
そういえば、彼女の書くnoteは悔しいほどに純度が高くて素敵な文に溢れている。綺麗な文章に対する劣等感はずっとあるので、時々読み返して複雑な感情を抱いている。
来年はもっと沢山会いにいきたい。会えない寂しさを他の女の子で埋めるようなオタ活は甘えなのに、甘いはずなのに、楽しくなかったから。
それでは、よいお年を。桜の美しさが移り変わる儚さにあるのだとしても、少しは変わらないものもあって欲しいと願ってしまうのはきっとエゴにすぎないのでしょうね。
連想ゲームのネタにしますね。