ボカコレ2024冬 〜創作物を残すこと伝えること〜 [合成するミライ/イガク/ゼロ発信]
こんにちは、あすかといいます。
このnoteは、kiite cafeでボカコレアフターパーティーのあった3月末に書く予定だったんですが、結局完成しないまま放置していたものを今さら拾って書いています。
今さら?と思うかもしれませんが、曲の盛り上がりとしてもボカコレアフパから2ヶ月以上経った今でも書く理由があると思えたんですよね。あとこういうnoteって需要あるんじゃないんですか??ない?そう……まあでも自己満足と記録のために書き記しておきます。
今回紹介する曲はタイトルにある通り、合成するミライ・イガク・ゼロ発信の3曲です。
これらの曲はわたしがボカコレアフパで推しコメント送って採用された3曲なのですが、“創作と表現”という共通項がテーマとしてあると感じている3曲でもあります。
それぞれの曲についての解釈、送った推しコメントについて、歌詞、曲を聴いて思うところなどを色々書き殴るので、暇な人はよろしければ最後までお付き合いください。
合成するミライ/阿修
この楽曲には阿修さんによる楽曲解説noteがあるのですが、「’’」内の言葉はそのnoteからまるっと引用しています(引用しすぎたな……とは反省している)。
“綺麗事を言わずに綺麗な世界を描きたかった”
楽曲解説noteの冒頭もこの文言で始まるんですよね。このインパクトに惚れて、推しコメントでも冒頭に置かせてもらいました。普段の自分であれば推しコメに「note読んでね!!!」とだけ書いてもおかしくはないのですが、合成するミライに関してはそうはいかんだろ、と。阿修さんが創造した美しい世界観を壊したくなかったんです。でもノイズを混ぜたくもない。
応募最終日にミクスト2への電車移動の時間にウンウン唸りながら書いたのはいい思い出です。ようやく書き終わって提出しようとしたら300字以内で頭抱えたのもいい思い出です。
そしてアフパ当日、推しコメでふんムさんと想いが重なって感動し、そのままの勢いでフォローを飛ばしたのも記憶に新しいです。ふんムさんの推しコメはこちら。
やはり阿修さんに狂ったリスナーは考えることが同じ。
わたしとしてはお互いに300字に書ききれなかった分を補完しあっていてとても良いと思っているのですがどうでしょう。
ふんムさんの推しコメ、最後の文が本当に大好きなんですよね。阿修さんがミクの日に描いたエピローグのイラストを元に書いているのですが、解釈と表現がうますぎる。悔しい。
世界の秘密を一つ暴くように
あなたの目から溢れ落ちた涙を拭うの
「もう何にも怖いことなんてないよ」
空っぽのはずの心が騒いだ気がした
ここからは曲について話します。
この曲は冒頭から一つの語り掛けで始まります。
そして耳に残る明るい音だけれどどこか不安になるような切迫したイントロは、このストーリーをよりダイナミックなものとして演出しています。
描かれているのは主人公のミキのいる現在とミクの待つ未来の二つの時間軸です。
そして原子力発電所の辺り一面に広がるひまわり畑は、放射能を取り除くかもしれないという不確かな希望として描かれています。残酷な現実に対しわずかな希望に縋って足掻いた人間が遺したものです。
それでも、このひまわり畑はミキの目には美しく映りました。
これは創作活動も同じです。
一生懸命作った作品が誰にも見られないまま埋もれるかもしれない。それでも、誰かに届くかもしれないと期待をせずにはいられない。不確かなものに縋るような行為でも、そこに希望があるかもしれない。そして、そこに希望を見出してほしい。そんな想いが込められているように感じます。
それでも流した涙で虹を描くなら
わたしが初めての音になる
未来へ繋ぐ
『初音ミク』という名前には『未来から来た初めての音』という意味が込められていると言われますが、この歌詞にあるような『現在と未来を繋ぐ音楽』という解釈も非常に好きなんですよね。
『どんな想いで作った曲でもボーカロイドたちなら力になってくれる。そしてボーカロイドは永遠の存在となり未来でも歌い続けられる可能性がある』というのがものすごく好きなんです。あなたが死んでしまってもわたしが歌い続ける。ボーカロイドがそんな存在であるのがとても嬉しいんです。
世界の秘密を一つ暴くように
あなたの目から溢れ落ちた涙を拭うの
「ねぇ、やがて命は消えてしまうんだ」
その前にあなたの世界もわたしに見せてよ
曲の最後、初音ミクはこう語りかけます。冒頭と同じメロディです。
阿修さんの曲ではよくあるのですが、歌い出しと歌い終わりが同じメロディで対応する曲構成になっています。冒頭で語りかけられた言葉は、曲を通して聴いたあと、また最後にどう聞こえるでしょうか。
『その前にあなたの世界をわたしに見せてよ』と歌詞にあるように、阿修さんは希望を創作の中に見出しています。ボカコレという良い結果も悪い結果も伴う場所においてでも創作を残す価値はあると言います。
少なくともボカコレを周回しているリスナーはボーカロイドが好きで聴いている人たちでしょうから、そんなリスナーのみんなにもボーカロイドという存在に力を借りて、創作をしてほしいのです。
1番の歌詞に『言葉だけじゃわかりあえないね』とありましたが、自分の想い、言葉から成る世界を音楽作品として後世に残すというのはとても素敵じゃないですか?
合成するミライでは創作に希望を見出しています。
そして何よりもこの作品が創作の希望としてこの世界に生まれ、多くの人に聴かれていることを嬉しく思います。
と、ここで終わるつもりでしたが、追記させてください。
合成するミライ、
プロセカNEXT採用ありがとう!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
超ボカニコいよわDJありがとう!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
あまりにも感情を揺さぶられたこれまでの数ヶ月間でした。
乖離するゲンザイと相反するネガイも聴いてね!
イガク/原口沙輔
お前がドクター・キドリ・キドリだったのかよ!!
フォームからの応募だからできることですね。匿名性をうまく使いました。
間奏の暗号のところは誰かがもう送ってるだろうなと思ってはいたのですが、ふんムさんが送っていましたね。ふんムさんと気が合いすぎた日でした。
イガクという曲において登場するドクター・キドリは原口沙輔さんのことですね。ドクター・キドリという名前ですから、医者を気取った医者でない者なんでしょう。
例えば、世の中を正義感というメスで裁き、悪という腫瘍を切除しようとする者、みたいな。
原口沙輔曲にはポップでキャッチーな音の中に強烈なメッセージが込められていると思っているのですが、このイガクという曲には一貫してずっと怒りと諦め、悔しさといった強い感情を感じるように思います。
上記の間奏でMVに映される文言ではボーカロイド・ボカコレに対しての感謝と、ボカコレという皆が作品をそれぞれの想いを込めた創作物を残す場に泥を塗る人々への怒りが隠しきれていません。
カオが→鈍器になっちゃうヨ
偽が→権利を取ったんだ
無くなってほしい煩悩が
ドウヤラ生き延びてしまった
生き延びてしまったんだ!!
歌詞では、音楽を表現と捉えず不当に利用する者に対する怒りが現れています。そりゃあ顔が鈍器にもなってしまいます。
音が→機能になってしまう
人が→偽りに集まる
塞がってしまえよ耳
ドウヤラ届いて居ない診たい
届いて居ない診たいネ ゙
クチョォ
ラスサビでは、その怒りは聴衆にも向いています。不当に利用され広がってしまった形骸化した音楽に群がる大衆へのどうすることもできない悔しさをこの曲を通して伝えたかったのだと思います。少なくとも、わたしはそう受け取りました。
原口さんは、音楽で伝えることにこだわっているように思います。アコトバがわかりやすいですね。
自分の表現できる、音楽というツールを使って伝えるという点では、先ほど合成するミライでも話した『ボーカロイドを用いて自分の想いを残す』と重なるところがあるかもしれません。
アコトバの歌詞には、ボーカロイドを使った作品で世界を少しでも変えてみたいという想いが語られています。
言葉で世界が変わる時は訪れないけど
どこかで揺らめく音の響きになれたらいいな
力?と立場?を使うよりかは届かないけど
少しだけ強く願うことの意味を知りたいよ
歌に似た "なにか" で跡になりたい
3032年、H2K(初音,原口,重音)の3人が音が→機能になってしまった世界で、歌に似た"なにか"を届けるという文脈がこの曲にもありました。
イガクは、ボカコレ1位という肩書きで一人歩きする楽曲ではない。
イガクは、数字や利益に目が眩んで娯楽としての音楽という概念が消える前にメスを入れる、そんな存在だと思うんです。
以上、ドクター・キドリ・キドリでした。
どうだったかな?
それは勝手な解釈だろって?
ダメだよー 人の解釈を否定するなら自分の解釈がなくちゃ
まあ反論があるならコメント欄に書くと良い。
それで? そういうのは文字で書かないで音楽で伝えろって……?
それは……そうかもしれないね………………
ゼロ発信/濁茶
わたしはかさねてと (ワタシモカサネテト)
かさねてと!? ふたりいる!? どうして!?
お ど り ま し ょ う
ということで、トリに流れたゼロ発信の推しコメントの重音テトはわたしでした。
当時は秘密にしてたんですが、時効だと思うのでネタバラシです。
どう????よかったくない??
というか、ラストをこれで飾れたのめちゃくちゃよかったくないか。感謝。
曲を聴いてすぐ、こういった形式で重音テトが語りかけるコメントを送ろうと思いました。ゼロ発信は最後にテトが喋るところがあるんですけど、それに対応したプロローグがあっても良いのでは?と思ったのがきっかけです。
推しコメの締切日がミクスト2のある日だったんですよね。
ミクスト2のフロクロDJに当てられて、これがわたしのやりたかったことだ〜〜〜〜!!と、良い作品にくらいつつ完成させねばと帰りの電車で唸りながら書きました。
どんな曲であるのかを説明するよりも、曲の世界観を広げるというか、没入感を高めるための演出がしたかったんです。
フロクロさんのDJはナースロボ・足立レイ・星界の3人が旅に出るというストーリーでした。その旅の中で、会話のキーフレーズに対応して曲が流れるといった演出。どういう文脈でどういう気持ちでこの曲を聴いて欲しいのかが反映されたフロクロさんの演出は、ただ曲を聴くだけの時よりも胸に刺さりました。わたしもこういうことがしたかった!!!!!!
そういうことをするには、まずは曲の世界観をしっかり捉えなければいけません。
ゼロ発信における重音テトもといシンガーは電話交換手としての役割を持っています。ゼロ発信?電話交換手ってなんだ?と思って調べるところからスタートです。
ゼロ発信:0(ゼロ)発信とは、内線を外線に切り替えて使用する際に相手の電話番号の前に「0」を付けること
電話交換手:かつての電話機による通信において、電話回線を接続する業務を行っていた人およびその職業
あー そーゆーことね。完全に理解した。(←わかってない)
かつて電話は、かけるとまず電話交換手のいる電話局につながります。つながった電話交換手に呼び出したい相手を伝えると電話交換手は電話交換台の接続用ケーブルのジャックを差し込み、通話ができるようになります。
本当はこの電話交換手の業務のマニュアルをベースに、テトのセリフを作っていこうと企んでいたのですが調べてもマニュアルは出てこないし、よくわからない。
ので、本物の電話交換手に準えるのはやめました。電話交換手という仕事を、曲におけるテトの役割から想像したフィクションでストーリーを構成することにしました。
曲におけるテトの役割は、
・人と人を繋ぐ、歌うことで想いをのせた作品を届ける
・作者(濁茶さん)とリスナーを繋ぐ
うーん、考えれば考えるほどいいモチーフだ。
歌詞でいう『再現した声』を楽曲のボーカルと捉えるとしっくりきたので、この解釈で進めていきました。
山の向こうに 沈んだ
夕陽を ぼーっと見ていた
遠くのビルはタケノコ
視えぬ暮らしも 見えずに想えるの
その場にいなくても見聞き出来て伝えることができるというのは、インターネット社会の良いところです。
実際に私たちも濁茶さんのゼロ発信という作品を通して、川崎の風景を見ています。
電波の向こうで聞いた話
星すらも出会えぬ夜も
五感繋ぐ回線の先で世界にいたい
『電波の向こうで聞いた話』は、概要欄に書いてある「電話で話す時の相手の声って、厳密には本人の声じゃないらしいです」のことだと考えられます。
星すらも出会えぬ夜というのは目印になるものがない行き先もわからぬ夜ということでしょうか。
いとけない念は 符号に変わって
あなたと私の間 行き交い
隣にいるけど 電話
胸の中に響くのは 再現した声
電話は、発声された音声の波形を電子信号として伝達し、伝わった電子信号を音声に変換することで遠くの人と話せる仕組みになっています。
ゼロ発信においての重音テトは、この電子信号としての役割も持っていると思いませんか?
この歌詞はこの電話のことでありながら、音楽という作品を通してテトが濁茶さんの想いを私たちに伝えていることについても解釈できると思うんです。
濁茶さんの想いは、作品を通してわたしたちの心に響いています。
ゼロ発信においても伝える手段として音楽という形を選んでいるところが、これまでの2曲で話していたことと通ずるところがあるのではないかと思うわけです。
ここを出たい、出たい、出たい
場所ではない、意味・未来
接続は 悪くない
だけど 何か足りない
幻のバタ足 肌が内側から
少し見えて遠のく
全部嘘なの?
それなら、まあ…
深読みですが、濁茶さんは闘病生活において感じた意識と肉体の乖離、人と人のつながりについて思ったことを歌詞にしているのではないかと思ったりもします。インターネットで人と繋がることの出来る今の時代でも、物理的な繋がりがなくなるのは悲しいものです。
続く落ちサビには『こぐまの尾が沸く』という歌詞があります。こぐま座のしっぽの先は北極星です。
北極星は北を示す道標となる星で、行き先を示してくれます。
いとけないままで育ったヒヨコが
天球を割り芽吹くのだとして
それでもきっと変わらず
胸の中に響くのは 再現した声
だとしても だよ
それでも 声に出して
濁茶さんは音楽で伝えることを選んだのだと、わたしは感じました。
だとしても、人との直接のつながりを大切にしたい。自らの声で伝えてほしい。そんな気持ちが最後のフレーズに表れています。
そんな想いを受け取って、冒頭の推しコメントを書きました。
テトさんなら「やれやれ」って顔をしながら想いを歌って伝えてくれそうだなって。
そして、4/27の超会議で直接濁茶さんにゼロ発信が好きだって伝えられました。
ちゃんと直接伝えられてやっと自分の中でゼロ発信のレビューが完成した気がします。
おわりに
長くなっちゃった!!ごめんなさい。
ここまで読んでくれた人、ありがとう。
以上、ボカコレアフパで推しコメントを送った3曲について話してきたのですが、わたしは『創作』という概念が根底にある作品が好きなんだな……と。特にそれをボーカロイドと共に語っている作品が好きなんだな……と。
作品を通じて作者の想いを読み取るのが好きなんですね。それは再現されたものなので、本来の想いと異なっている可能性はあるわけですが、それでも創作に込められた希望を受け取りたい。
だから、クリエイターは(クリエイターじゃなくても!)「音楽という創作で表現で」作品を残して、「未来へ繋いで」ほしい。
そうして受け取ったものをわたしは「声に出して」伝えたいと、そう思います。
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