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高校生発 ロールモデルを見つけよう!#19 武田ファーム 武田幸彦さん

                     取材日:2023年7月2日(日)
              編集者:猪狩ひより、只野千聡、高野育恵

ロールモデル19人目の武田幸彦さんが経営する「武田ファーム」のモットーは、「お客さんに必要な物を作る」。その結果、年間20種類の米や野菜を出荷しています。実際にお客さんがどの野菜を求めているのかを調査し、武田ファームで作ることもあるといいます。農場に来るのは初めてで、たくさんのビニールハウスや見たこともない大型機械があって少し緊張しました。今回は、自分の農場を案内しながら冗談を言ったり、真っ赤に熟したトマトを収穫させてくれたりするなど、私たちにとても優しく気づかいをしてくださる武田さんにお話を伺いました。


武田さんの子供時代

武田さんは南相馬市鹿島出身で、現在は5歳と3歳の娘さんのお父さん。実家が米農家だったこともあり、幼いころから農業用機械のトラクターに乗せてもらうという羨ましい日常を送っていました。しかしトラクターやショベルカーに子ども時代から乗れたからといって農家を目指していたわけではなかったようです。武田さんの誕生日はちょうど農家の仕事が忙しくなる5月。ご自身の兄弟と比べてあまりお祝いをしてもらえなかったこと、そして農家は土日が休みでないため、親の農作業の仕事を手伝っている時、友達が楽しそうに遊んでいるのを見て「自分はなあ…」と思ったりしたことなどから農家を継ぎたいと思わなかったそうです。農家の仕事ならではの悩みですね。

取材中の武田さんから離れず、おんぶに抱っこの娘さんたち

日本大学からアメリカへ

武田さんは地元の相馬高校から日本大学の農業系の学部へ進学しました。日本大学を選んだ理由は「都会へ行きたかったから」。漠然とした理由でしたが、ご両親も「農業系の道に進むならいいだろう」とすんなり受け入れてくれました。いろいろと悩みながらも、農業の道に向かっての第一歩です。しかし大学の卒業が近づくなか、就職へ気持ちが向かない武田さんは、OBによる説明会をきっかけにアメリカへ農業研修にいくことを決意します。この研修は住み込みで農家で働き、アメリカの農業を学ぶというものです。お給料が出るので両親に負担を掛けずに済むこと、農業の研修ならば両親も許してくれるだろうとの考えがあった武田さん。もともと英語が好きだったことも行くことを決意した理由です。

そんな武田さんのアメリカでの生活は、驚きの連続でした。一つの農家の規模がとても大きいため、会社経営が一般的です。さらに、農作物の値段の決定権があること、投資もあることなど、規模が大きいならではの仕組みです。兼業農家が多い日本からみると目新しい仕組みに感じた編集部です。
アメリカで武田さんが研修にいった土地は、北海道のような気候でした。寒くなると作物を育てることができなくなるため、作物が作れる時期はみんな懸命に働き、毎日朝の5時から夜の9時まで働くことも、、、これには編集部一同驚きました。この過酷なスケジュールの日々でも武田さんは帰りたいと思いませんでした。同じ研修に入っている他国の研修生と一緒に働く環境が楽しく、そして仲間たちに「負けたくない」との思いが芽生えていた武田さんは、いつのまにか農業に熱中していきます。定期的に開催されるマルシェで自分たちが作った作物の美味しさを直接伝え、固定客を増やす。作り手と買い手の顔が見える関係を築いていけることも大きな魅力でした。
アメリカでの日々を話す 武田さんにアメリカと日本の農業方法の違いを教えてもらいました。「アメリカの気候は乾燥しているため雑草や害虫が少なくオーガニック(化学肥料を使わない)野菜が育てやすいんですよ」と武田さんの話に頭のなかに世界地図が浮かび、地理の学習と結びつきます。アメリカでは水の値段が高いため家庭菜園は珍しいそうです。水が豊富な日本との違いを改めて感じました。アメリカの研修のなかで、大規模農業を経験し、イリゲーションシステム(灌漑)をはじめとした最新の技術を学び、経験を積んだ武田さん。徐々に家業の農業に興味がわき、日本に戻り農業を自分なりに展開していくことを考え始めていました。しかし、東日本大震災が発生したのです。


「作る側」から「売る側」へ 

東日本大震災により農業を地元福島県南相馬市で開始することが白紙になった武田さん。農業に関わることを諦めたわけではありません。この機会に「売る側」の経験を積もうと決意しました。武田さんが就職した農業商社は、留学経験者を積極的に受け入れてくれ、成長が著しい会社です。その会社で武田さんは、入社一年目から多くの経験を積ませてもらえるなかなかハードな日々を過ごすことが出来ました。日々やりがいを感じる一方、福島で農業をやりたいという気持ちが募り、入社5年目で退職し、南相馬での農業を始めました。この時、武田さんには「自分が農業をやらなくては」「福島県産のものを売らなくては」と福島で農業をやることについて使命感を持っていました。自分が食べておいしいものを安全性、新鮮さ、を踏まえて販売することを自分のルールとし、野菜の栽培を始めました。栽培をスタートした時から「これが売れる」「この野菜を作ってほしい」などJAの営業担当の方や市場の方ともコミュニケーションを取り、意見を拾いながら作るものを柔軟に決めています。また、『現状維持の状態では退化する』との思いを持ち、周りでは作られていないものを作るなど挑戦を続ける武田さんです。


「武田スタイル農業」そして「これからの農業」

従業員を雇い農業を経営している武田さん。農作業は単純作業と複雑な作業があります。従業員の人達には単純作業と複雑作業を組み合わせて、なるべく多くの経験を積む機会を得てもらい、学んでもらいたいと言います。そんな武田さんの思いに応え、経験を積んでいる武田農園の従業員さんたちは、大きな機械も使いこなすことができるなど、誰に頼んでも仕事が回せることが強みです。
武田さんにとってこれからの農業の理想像は「みんなが社会に出た時働き口の一つとして【農業】がある」そして「農業が一つの産業として成り立っている」こと。そんな農業の未来にむかって活動されている武田さんは「もし、農業に価格決定権があれば農業に関わっている人たちの給料が上がり今後の日本の農業が大きく変わる」と予想します。
新たな農業の可能性に向かって挑戦している人が、私たちの近くにいることをとても嬉しく感じました。

高校生へメッセージ

最後に、私たち高校生に向けて、武田さんからメッセージを頂きました。

「まずは目の前のことを一生懸命やってみる。」

自分が決めている道があれば、それに向けてとことんやることが大事だと武田さんは言います。一生懸命やってみないと、良くも悪くも自分に合っているのか分からないし、もしやってみてダメだったらまた別のことにチャレンジすればいいそうです。
確かに、武田さんは36年間の人生において、たくさんの挑戦をしてきました。そして、その困難を乗り越えるためにしてきた努力こそが、今の武田さんがこれからも挑戦できる原動力になっているのではないでしょうか。「1度決めたことは行動してみる。一生懸命やれば、絶対何かにつながるよ。」と、今の私たちだからこそ心に響く言葉も言ってくださいました。

【編集後記】


常に挑戦をつづける武田さんから農業の可能性と挑戦する楽しさが伝わってきました。
武田さん、本当にありがとうございました。


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