フォロワーの責任とは?
ブエノスでの小話をひとつ。
若いダンサー(20代数人)と話してたら、男性が全部リードするのは疲れる(なんか違う)って話になった。そして女性も「男性のリードに女性がフォローするだけは違う。自己主張するべき」と。わかるよ。
そんな話の後に踊ってて言われた一言。
「音、聞けてないやん。お前も音聞いてイニシアチブとって」
なるほど、突然リードが消える瞬間があったのですが、そういうことだったのですね。「音を使え」と。てかリード途中でしないってそんなことあるんかい。ありました。
わたしはリードもフォローもやるけれど、フォロワーで音使うってリードでやるよりも難しい気がしてる。その理由について考えたこと。
リーダーが
「音が自分をこう踊らせてるんだよね」
って言えるのは基本の立ち位置がリード=行く方向、取りたいリズムを決める側、だからこその言葉なのかな、と。
フォロワーは初めの初めに「リードが来たら動きましょう」と習ってる時点で「音が踊らせてくれる」が第一事項に来ない。
「リードを聞く」→「音楽」になる。どうしても。これはもはや教える側の責任でもあるよね。もしそういうダンスなのであれば始めから「フォロワーは音を聞いて、リードに合わせましょう」で教えないとなぁ、と。でも始めからこう言ってしまうとジャジャ馬に育ってしまう。いやむしろそれでいいのかなぁ。国によっては受け入れられるんかなぁ。フランスとか女性はフリーダムに動く人多いし。
そしてリーダーがアドルノで音を使いたい時、リードのコネクションを「切る」と自分の時間になる。
一方フォロワーが音を使おうと思うときは別のスイッチを「入れる」ことで自分の時間が生まれる。
電気を消すだけなのか、回線を新たに繋ぎ直すのか、これは大きな違い。
アドルノの話ならまだいい。
ここの「イニシアチブ」で求められていたのは「逆リード」であったことが面白いとこ(俺を音に合わせて動かしてって言われたからスペイン語の理解も間違えてないと思う)
「リード⇔フォロー」の関係性の中で「リーダーを使って」音を取るとなるとレベル段違いになる。
なぜならわたしたちフォロワーは基本、リードなんて習ってない。
どうしたら歩幅大きくなる?
どうしたら速度変わる?
そんなこといきなり逆リードでできない。
しかもそんなことしながら自分の好きな音を〜なんて考えられない。
もしそこまでを求めるのなら、もはやワタシの知ってるタンゴはここにはない笑
フォロワーがリードすることにすごく抵抗がある。「最近の子、何考えてるのか分からない」という昭和世代ってこんな気持ちなんだと思った
考え方は面白いんだけどね!
これはもはや相性の問題なんだろうけど、
デートで全てイニシアチブを取りたい系リーダーには完璧に付いてくるフォロワーがいいだろうし、
ディナーの場所、話し合いで決めたい派のリーダーには自己主張するフォロワーがいい。
お互い日によって(気分によって)イニシアチブ取る側が変わるっていうのもあるよね。
どんな風に踊っても間違いはない。
ただ、その男(女)と相性が合わないことはザラにある。
好き勝手に踊ることと、「リード⇔フォロー」の関係性の中で自己主張し合うのとでは意味が違う。これをどう消化していいのかまだ分からないんだなぁ。
もしかしたらあと10年もすれば、女性が逆リードしながら踊るタンゴが主流になるのかもしれない。
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