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顔と髪に色をのせたら、心が鮮やかになった【今の私のおしゃれ論】

大学生の私はおしゃれを楽しんでいる。
おでかけのときは、好きなメイクをし、髪を整え、コーディネートを考える。
たまにネイルもしてみる。
髪色も、暗い茶髪→オレンジピンク→明るい茶髪と変化を楽しんでいる。


しかし、そんな私は高校卒業まで
極度のオシャレコンプレックス人間だった。


これは、そんな人間がおしゃれに目覚めて
心が鮮やかになった話。

今回がメイン。

序章はこちら↓↓↓


変化のきっかけ
私がおしゃれを楽しめるようになったのは、おしゃれが自分のためのものという捉え方に変わったことが大きい。
東京に出てきたら、自分の好きな格好をしている人がたくさんいた。特に誰がおしゃれという訳でもなく、各々のおしゃれがあった。
そこまで他人も見ていないのだとも思った。
それに気づいてからとても心が軽くなった。
求められる姿や自分のイメージを投影しなくても、なりたい姿になればいいし、自分を好きになれればそれでいいのだと。


校則という縛りに負けず可愛いを追求していた同級生もこんな気持ちだったのかもしれない。
自分のなりたい姿をただ表現したかっただけなのかもしれない。


メイクしてみた
高校卒業後の3月、初めて自分でメイクをしてみた。中学校の時からメイク動画は面白くて見ていたが、自分がメイクするビジョンは全く見えていなかった。動画の中にいる女の子とそれを見ている私なんて顔面偏差値違いすぎだろと思っていたから。(顔面偏差値なんて言葉久しぶりに使ったな)

母がいない時に、母のメイク道具を勝手に借りてやってみた。メイク道具を手にした時のわくわくは今でも忘れられない。勝手に借りるという少しの罪悪感がわくわくを増幅させた。
今見ればへたなメイクでも、そのときは私もメイクで可愛くなれると思った。

可愛いが好きなのに似合わないから
可愛いが嫌いなフリをしていた。
もう、素直になってもいいのかもしれないと思えた。

(ちなみに冒頭にもあるように髪も染めたのだがその話はまた今度。)

おしゃれで心に色がつく
メイクや髪色、洋服は外見をつくるだけではなかった。
私の心の中の理想や願望を外に出すもの、内面と外見を繋ぐツールのように感じた。
自分のかわいいを表現するためのツール。

また、自分が周りを見る目も変わった気がする。
他人を僻むことがぐっと減った。
私は内面を外見と繋げているが、もちろん全てを外見に出している訳では無い。
髪を明るくしても、真面目な性格が完全に消えることは無いし、消そうとも思わない。
外見で見せたいところもあれば、
見せようと思わないところもある。
きっと周りの人だってそうだと思う。
かっこいい服装をしていても、必ずしも性格がかっこいい人だけではない。可愛い部分もあったり、不器用なところもあったりする。
おしゃれを知ったからこそ、他の人の内面を知りたいと思うようになった。
おしゃれは私の顔だけでなく、心にも色をつけてくれた。


ここまでおしゃれの見方が変わったことを書いてきた。今の私が「おしゃれ」を一言で表すならば、「私の味方」だ。
これからはもう敵にしない。

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