私はオシャレコンプレックス人間だった【高校時代のオシャレ論】
大学生の私はおしゃれを楽しんでいる。
おでかけのときは、好きなメイクをし、髪を整え、コーディネートを考える。
たまにネイルもしてみる。
髪色も、暗い茶髪→オレンジピンク→明るい茶髪と変化を楽しんでいる。
しかし、そんな私は高校卒業まで
極度のオシャレコンプレックス人間だった。
これは、そんな人間がおしゃれに目覚めて
心が鮮やかになった話の第1章。
長くなってしまいそうなので、ここでは高校時代のオシャレ嫌いすぎる私の考えを書く。
【注釈という名の番宣です】
この話で読むのをやめると、
高校時代の偏った考えすぎて、
とても胸糞悪い気分になると思います。
次に大学入学後、考え方ががらりと変わった
明るい話をするので、
2つセットで読むと楽しんでいただけるかな、
と思います。
オシャレが嫌だったのはオシャレというものの捉え方が今とは全く異なっていたからだと思う。
過去の自分のオシャレの定義はこんな感じ。
①オシャレとは
他者から与えられた「理想」を落とし込むこと
オシャレとは今求められている理想や流行に乗ることだと思っていた。
最近流行りの「垢抜け」もそうだと思う。
「こうすれば垢抜けますよ!」というアドバイスは自分の外見を気にし始めたい人にとっては、とても有難い指針だ。垢抜け法を知りやすい世の中になったことが原因かはわからないが、オシャレに目覚め始める時期が格段に早まったという印象を受ける。
しかし、私は「垢抜け」を肯定できなかった。
他者から与えられた「垢抜け」を実践することは他者から「垢抜けた人」と言われたいがためのものに聞こえた。
私はオシャレは相手に求められることを実践することでしかないと考えていた。
②オシャレとは
他人と比べること
オシャレを「①の他者から与えられた『理想』を落とし込むこと」だとすると、どうしても相対評価になってしまう。理想像や基準があれば、それより劣っている、優れているが分かりやすいし、評価しやすくなってしまう。また、理想像の逆を行く人は批判され、オシャレじゃないと見なされやすくなるだろう。
「もっと可愛くなりたい」を「もっと可愛いと言われる存在になりたい」だと脳内変換していた。
③オシャレとは
他者と合わせること
特に「流行」がそうだと感じた。
流行っているものを身につけることは、
相手と合わせて浮かないことだと考えていた。
オシャレ=流行に乗る=同調圧力に負ける
だと考えていたため、「周りと同じであること」で縛られることを嫌う私は、オシャレなんてクソ喰らえだ!!ぐらいに思っていた。
そのエピソードのひとつに「高校生、短いソックス履きすぎな話」がある。
高校では短い靴下が流行っていたらしく、あらゆる人が真冬でも短い靴下を履いていた。ハイソックス大好き、単純に寒がりな私はゾッとした。
彼女たちは本当に短い靴下が好きだから履いているのか、
周りと同じであることを求めて履いているのか。
高校時代の私は彼女たちを後者としか感じられなかった。
周りと合わせることで
嫌われないようにしているのだと思っていた。
④オシャレとは
外見と内面に嘘をつくこと
可愛いメイクも可愛い服は自分の劣った容姿と
複雑で可愛くない人柄を隠すためだけの鎧のように感じた。
「嘘」が苦手で嫌いな私は、相手に可愛い私をアピールすることは、相手に嘘をついていることと同じだった。そのため、年相応のオシャレを少し体験してみても、外見と内面のギャップに悩まされ、辛くなってしまった。
可愛いを作っている大勢の人々も自分を取り繕って隠したいからオシャレしているのだと思っていた。
その点、何も隠さず外から見ても中から見ても
ただの真面目であった私は、自分に素直な気がしていたし、外見と内面を一部でも一致させることで「嘘をついていない」フリをしていた。
真面目だけでは表せない私の人柄を
真面目だけ切り取り、
外見で表そうとしている時点で
もう嘘をついているというのにね。
⑤オシャレとは
求められている人ができる特権
私みたいな可愛さを売りとしない人間がオシャレしたところで、誰の需要にもならない。
可愛い人や人気のある人がオシャレであることを求められているからオシャレをしているのだと思っていた。
私には必要のないもの。求められてないもの。
書き出せば書き出すほど露見してくる
オシャレコンプレックス。
本当に偏った考えを持っていたと今ならわかる。
そして、私がどれだけオシャレを他者と結びつけていたかがわかる。
周りの目を気にした結果のオシャレ。
いいように思われたいためだけのオシャレ。
ここまで読んでくれた人に嫌悪感を味わわせてしまっただろうなと思い、少し申し訳ない。
今は他者を意識したおしゃれも素敵だと思うし、
他者を意識せず自己表現としておしゃれすることも素敵だと思う。
そんな考えに変わったのだから、
今感じさせているであろう嫌悪感を
次の「今の私のおしゃれ論」で消化してほしい。