みんな違って、みんないい。そう思って過ごしたい。
自分の意見と違う人と話をしたくない。
反対意見を聞くことすら嫌である。
そんなことを日常、思うことはあるだろうか。
私はあった。いや、今でも時々ある。
日本人は議論やディベートが苦手だ。
個人的に感じているのは、それは日本人が白黒はっきり答えを出すことが正しいと思っている国民性からだと思う。
それはそれでよい部分もあれば、悪い部分もある。
オーストラリアでワーキングホリデーをしていた時の話をしたいと思う。
当時多国籍シェアハウスに住んでいたのだが、そこの住人の女の子たちとみんなでクラブに行こうという話になったのだ。
国籍はヨーロッパ系数名と南米系数名。アジア人は私だけというメンバー構成だ。
日本人はクラブ文化が浸透していないが、(人によるかもしれないが、派手なイメージがある?)欧米のカルチャーではごく普通であり、日本でいう居酒屋やカラオケにいくイメージでバーやクラブに行く。
当時の私はクラブに行くキャラではなかっため(この日をきっかけにその後クラブ通いをはじめるようになるが)
クラブに行くような服も靴もカバンも持ち合わせていなかった。
みんな化粧をバリバリにして、クラブ用のお出かけ服を着て、高いヒールを準備している。国柄も出ていて、ヨーロッパ組はシックな感じ、南米組はバリバリのボディコン系だ。
そんな様子をみて、本当に行きたくなくなった。服も靴もカバンもない。
かろうじて化粧と髪型だけはできるけれども・・・
スーツケース1つで渡豪した私は、一着だけ持っていたリゾート地に行くようなフワフワのひざ下丈ワンピースに身を包んだ。
そしてペッタンコのサンダルを履いて待機した。
1人が私に話しかける。
「あれ?asuka,もう準備終わったの?クラブ行くんだよね?あなたはその服を選んだの?靴もそれでいいの?」
南米組ボディコン服を着ている彼女からしてみると私の服装にびっくりした様子だ。
「これしか服ないからね。仕方なく。大丈夫かなー?」
「かわいいよ!けど私たちと文化が違うな、ってびっくりしただけ。あなたが気に入っているなら全然問題ないのよ!」
次々と準備が終わった女の子たちも、
「あなたが心地いいことが大切よ!」
と優しい言葉をかけられる。
ボディコン服を貸してあげようか?とも言われたが、さすがに着る勇気も出ず、合う靴もないので断った。
その夜は女の子たちと出かけ、飲んで踊って、それはそれは楽しい夜になったのだった。
もしもこれが日本だったら、少し違う状況になったのかな、と正直感じる。多分、ボディコン服を借りて、靴も借りて、カバンも借りて、クラブに行くための完全装備をした。もしくは行かないという選択肢を取ったかもしれない。
数か月間その多国籍シェアハウスで過ごして学んだこと。
それは話を聞く際に、自分の考え方と違っても最初から否定せず、拒否せず、耳を傾ける、知ろうと努力する。
反対意見があれば、
「あなたはそう思うのね。でもね、私はこう思うのよ。」というようないい方をする。
自分の意見をはっきりと伝えるが、反対意見に対する拒否はしない。
これは看護師の必要とするコミュニケーションスキルである。しかしながら仕事から離れプライベートだと意外と出来ていない。
例えば、知人友人と食事に行く。そこで自分と違う意見を持つ人が現れたとする。
実際、反対意見を持っていたとしても、多くの人は自分の意見は聞かれなければきちんと相手に伝えないこともあると思う。
また聞かれたとしても、濁すような返答をする。
それは、反対意見をいうことで拒否されたり、相手が嫌な思いをする恐れがある、と思い込んでいるからであると感じている。
もちろん相手にもよるが、言いにくい社会の雰囲気は絶対、ある。
どうしたら反対意見を自由に言える、言っても受け入れてくれる社会になるかというのを考えるのだが、正直なところまだ答えが見つかっていない。
身近な大きな話。犯罪、自傷行為、ドラック。このようなことに対しては大声でNOと言うのは当然だが、価値観、考え方の違いだけで相手にNOといって拒否したり、嫌いになったりすることは少し方向がずれていると思っている。
人それぞれ色々な価値観、考え方があって当然であるということを知ること、受け入れること、少しでも耳を傾けることが重要である。
そのマインドを持つことで、反対意見が刺激となり、クリエイティブな発想が生まれることもある。
そして反対意見を受け入れる器を持つことで、ぐんと生きやすくなると感じている。
自分を抑制したり、思うように自己表現できないのは、人生の楽しみを失っていると思う。
偉そうなことを書きながら、まだまだ自分自身も訓練中の身であるが、こんな考え方、行動が広がればストレスが減っていくのではないかと思う次第なのである。
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