行動からの気付き①;フェアトレード、特権

私、noteを書こうと思って、パソコンに向かうと、2時間とかザラに時間が過ぎてしまうのです。ので、最近なるべく10分で書こうとしています。そう、よーいスタート!

今日は、行動を一つ起こした。そこで気がついたこと、はっとしたこと等、たくさんあったのだけれど、2つを抽出する。

まずは、フェアトレードってそれ自体が目的ではなくて、あくまでもフェアトレードという企業、概念(ここまでか?)がなくなることを目指しているのだということ。言い換えると、フェアトレードはあくまで通過点に過ぎなくて、フェアなモノの交換が「当たり前」になることを目指しているのだということ。これを知ることができて、私のずっと抱えていたフェアトレードというものへの不信感がやっと解消した。私は、フェアトレード、エシカル、サステイナブルとかいうワードを聞くと、いつも、でもそれって結局は(国同士、個人同士の)経済的格差の構図は変わらないし、さらに言えば企業のイメージ戦略の一貫に良いように使われているだけなのでは?と思っていた。だから、みんなそれをいいね!という理由がわからなかった。しかし、これらの活動をしている人(全員かは知らない)が、今の活動が通過点だと考え、さらに先を見越して今始めることができるのはこれだと考え、行っている行動がこれだ!というならば話は変わってくる。この先の展開こそが必要なものだと思うからだ。フェアな貿易が普通になる。ひどい搾取がなくなる。エシカルな消費が日常になり、消費はエシカルじゃないものが少数派になる。これに向かう一歩がフェアトレードなどの活動であるのかもしれない。

もう一つは、大学まで行ったこと(特権)から生じる、社会への還元責任のとり方は、社会的に地位のある職や会社に就職することではない、という気付きである。大学に行くと、世界には様々な問題がごろごろうようよ存在していることを知る。そして、それを知ってしまったからには向き合う責任があるのだと思う。もちろん、その人が人間として生きていける程度で。知らなければ向き合うこともできなかったかもしれないことを知ったのに、その問題を無視するということは、その問題から生じる被害者の上に、彼らを見てみぬ振りをして立つということではないか。しかし、この大学で学んだからこそ見える問題にも種類がある。その種類によっては、社会的地位のある職や会社に就職することも責任のとり方の一つだと思う。さらには、問題に向き合ったからこそ、そういう職につく場合も多い。言い直すと、大学で学ばせてもらえたことへの責任(社会に対しても自分に対しても)の果たし方は、社会的地位のある職や会社に就くことには限らない。

うわあ、私、真面目だわ。

最後に、おいしいものを。脳に糖分を。


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Asuka Onodera
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