自分よ進みんしゃい③

最近起きれない。し、経済成長を目指す社会が人間に与える影響について考えている。以前、読むと宣言した本をまだ読んでいる。

「学校は、勉強の動機づけが道具的である[=消費社会を生きる手段である]ことをほのめかす」(幸せのマニュフェスト、58頁)という言葉になるほど、と思った。動機が道具的であるというのは、この本の中において、動機が外発的であるということだ。興味関心や責任感などが内発的動機で、罰金などが外発的動機である。消費社会を生きるための手段として教わる勉強というものに少し、しっくり来た。確かに、いかにこの社会を生き抜くかを、考えるか感じるかして、みんな生きている。勉強はなんのためにするのか?という問いに中学校の先生は、将来のためとか、高校は行っとかないと困りますよ、とかいう答えをくれた。もし、私が小学生や中学生に同じ問いを投げかけられたら、私は、この社会を生き抜くためだよと答える気がする。そして、物事を批判的に見て、優しくなるためだと。

うーん。

私は、自分が共感するもの、好きなものを見つけているから、それをどうやって生き方につなげていくかな気がするのだけど、みなさんどうやってつなげて生きているのですかね…知りたいですね。来週はみんなの意見と動機とそれによる行動を聞き込みに行こう。聞いてどうなるの?って感じでも在るけど、聞き込みに行こう。

みんな学校に飽きてるんじゃないか。学校で押し付けられる価値観みたいなものに、もう飽き飽きしてるのではないか。私はこの社会でこの程度だからってのはもう分かってるよ…みたいな。本当は、自分の可能性なんて無限大なのに。その妙な諦めが高校生、下手したら中学生くらいからもにじみ出ているように見える。嫌だ。すごく嫌だ。でも、今の学校教育を変えようとか、とりあえず学校教育からはじき出された人の救いになろうとか必死に行動している人も知っている。そう私はいつだってアタマデッカチだ。

自分が何をして生きていきたいか知りたい。知っているのかもしれない。知っているのにわからない。困った。困った。困った。


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Asuka Onodera
読んでくださった方へ、何を思って読んでいたのか、読んでくだすったのか、コメントくをだされば、家の前にやまびこをしに走るくらい、喜びます。