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村上春樹「遠い太鼓」を読んで

1996年頃のある日、友達が「そういえばこの間、村上春樹がうちに来た」とついでのように言った。

「えっ村上春樹が何しに来たの❓」インタビューに来たと言う。地下鉄サリン事件を題材にした本を書くので取材に来たと。

彼女は1995年3月20日朝、地下鉄日比谷線神谷町駅に到着した電車の中でサリンの被害に遭った。後遺症がほとんどなかったのは幸いだった。

それからしばらくして出版されたのが「アンダーグラウンド」。事件の被害者に村上春樹が直接インタビューした内容の記録だ。(つまり文学ではなくて記録)

私が今まで読んだ彼の本はこの1冊だけだった。それがこの夏、ふとしたっきっかけで「遠い太鼓」という本を読んでみた。内容は1986年から1989年まで、奥さんと二人でギリシャとイタリアに合計約3年間住んだ際に書いたエッセイ集。

何しろ通貨はユーロではなくてドラクマとリラの時代だ。

今でこそギリシャと言えばエーゲ海やアドリア海の陽光溢れる明るいイメージで私も大好きだが、当時のギリシャはまだ貧しく軍事政権時代の痛手から何とか立ち直りつつあった頃。テロもあった。

イタリアに至っては70年代から80年代前半まで続いた「赤い旅団」のテロの時代がやっと終わったと思ったら、今度はシチリアを中心にマフィアが暴れ回り、警官もマフィアに買収されて結託して国を荒らしていた。

そんな暗い時代に、何を思ったか(多分出版社の思惑)村上春樹はギリシャとイタリアに3年も住んでいた。。

ちょうど同じ頃に私もイタリアやギリシャを数回訪れていて、それで読んでみようという気になった。暗い時代だったとはいえ、どちらの国もいつの時代も人々を魅了してやまない。

しかも村上氏はザルツブルクやヘルシンキについても書いている。ザルツブルクは私が初めて住んだ外国の町であり、ヘルシンキはこれから訪れてみたい都市の候補に上がっている。そんな私がこの本を今まで読んでいなかったのが不思議なくらいだ。

569ページといういささか長い本で最後は「〜だけれど」の多用を始めとする漫談調の文体に飽きてくるが、最初の400ページぐらいは結構楽しめる。村上春樹はこの3年間に「ノルウェイの森」と「ダンス・ダンス・ダンス」を書き上げたそうで、ということはまだブレイク前、名前は知られてはいたものの大作家というほどではなかったので、東洋の一介の若い小説家として色んな出来事を綴っているところが面白い。

前述のように、今ではイタリアで最も美しい観光地とも言われるシチリア島は、当時はマフィアの巣窟であって銃撃戦が絶えなかった。裏切者は一族皆殺し、ということもあったという。その頃はそんなシチリアの負の歴史に終止符を打つべく、検事や裁判官たちがマフィアを刑務所送りにしようとまさに命がけの裁判で戦いながらマフィアに殺害されていった、今では考えられない時代。だからせっかく美しきシチリア島に暮らしながら、村上氏はマフィアの恐怖に怯えなければならなかった。

しかし、である。村上氏がギリシャとイタリアに暮らした1986-1989年には、世界で大きな出来事がいくつも起きている。大韓航空機爆破事件、天安門事件、ベルリンの壁崩壊そしてブラックマンデー。日本では人の金銭感覚がどんどん狂っていきバブル期を迎え、時代は昭和から平成に変わった。彼はそんなときギリシャの島でのんびりしていたり、ザルツブルク音楽祭を堪能していたり、部屋にこもって小説を書いていたりと、どこか時代の外側にいるという印象が否めない。

(しかしその後「アンダーグラウンド」では彼はもはや蚊帳の外にはいられなかったのかもしれない。それでもやはり小説家としての深い思想を示すことなく、被害者である他者の発言記録に終わってしまった)

「村上春樹はなぜノーベル賞をもらえないか」という問いに対し、「だってインテリは読まないから」と言った人がいた。これは象徴的な言い方であって、世界の文学者やノーベル賞選考委員になるような方々は、多分読まない。読んでも文学としてではなく、エンターテインメントとしてだろう。ノーベル文学賞はエンターテインメント文学を視野に入れていない。単に比喩表現がユニークで文章が上手くて売れているだけでは、ノーベル賞作家にはなれない。政治、歴史、戦争、哲学、思想、宗教、美、民俗、生命倫理などについての根源的な議論を喚起する深い思索を伴わなければならない。

例えばノーベル賞の審査員をするようなインテリの方々は、カズオ・イシグロの全作品を読んで議論をすることはありそうだが、村上春樹を読んで議論を交わすことはあまりなさそうに思える。

この「遠い太鼓」も、突飛な比喩も多い漫談的文章のうまさと面白さ、周囲に対する観察力とその表現力には優れたものがあるかもしれない。しかし人生と社会についての真摯な思索、あるいは哲学、思想といったものが感じられない。悪く言うなら、自らの感性の中に溺れてその水の中で自由に泳ぎ回る心地よさが伝わるが、それ以上のものは感じられなかった。ただしこれは37歳から40歳の時期に書いたものであるから、現在では奥の深い思索をもって書かれているのかもしれない。

気軽なエッセイとして面白かったし充分に楽しめたので、Amazonでレビューするなら私は優しいので★★★星3個にしても良いかな。結論として、旅のエッセイとしては良かったですよ。それからタイトルで目を惹くことがとても上手い人ですね。😊

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