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ストラスブールで想う アルザスのアイデンティティ
先月、ストラスブール大聖堂近くの可愛らしいアパートに短い滞在をした。
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アパートのオーナーは地元のご夫婦。最初にルームツアーをしている間、ご主人はずっと私にドイツ語で話しかけてきた。奥様は「あなたおしゃべりもいい加減にして、ご迷惑よ」という表情だったが、私がドイツ語ができると知ってご主人は嬉しそうに色々なことを語ってくれた。
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その主旨は次のようなもの。「私たちはフランス人でもなくドイツ人でもない、アルザス人なんです。今はフランスの自治体になっているけれども、私達の言葉はフランス語ではなくアルザス語。そしてアルザス語というのはもとはドイツ語の方言なんですよ。」と。
さらに私に短いアルザス語をいくつか教えてくれた。確かにドイツ語によく似ている。歴史的にも、アルザスはもともと神聖ローマ帝国領だったのだから、ドイツだったとも言えるのだ。
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ストラスブールに着くやいなやアルザスの人からこのような話を聞いて、私は思った。このアルザス人の「どちらにも属さない。」というアイデンティティこそが、もう二度と戦争はしないというヨーロッパ統合の象徴の地にふさわしいのだろう、と。
ストラスブールは、2021年からアルザス欧州自治体の首府であり、欧州議会の議会場があってヨーロッパ統合の象徴とも言える都市である。
このアルザス人男性の話は、今回の欧州旅行で私の心に深く刻まれた。
旅というのは奥が深い。私は80年代に、アルザスからほど近いドイツの「黒い森地方」に住んでいたから、ストラスブールにも何度か来たのだが、大聖堂が立派だったことぐらいしか覚えていない。それが今になってこのような出会いをもたらしてくれるのだから、旅はやめられない。
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推測するに、アパートの主人は、私がドイツともフランスとも関係のない遠くから来た日本人だけれどもドイツ語がわかるので、初対面でも心のうちを率直に話すことが容易だったのではないかと思われる。
思うに外国語を学ぶ喜びはこのような出会いにこそある。私は大学の外国語学部でドイツ語を学び、オーストリアに留学もし、卒業してからも常に継続してドイツ語の勉強をしてきた。ドイツ語を学んでいなかったら、今回のような話を聴くこともなかっただろう。
ついでながら、かつて日本の国語の教科書に載っていたドーデの小説「最後の授業」。『アルザスはプロイセン(ドイツ)に占領されますから、明日から授業もドイツ語になります、だからフランス語で授業ができるのは今日が最後です』、という”感動物語”は、いつの頃からか教科書から消えた。何故だかご存知だろうか。
1980年代になってアルザス地方と日本との経済交流が盛んになり、日本人が多くアルザスを訪れるようになった結果、このドーデの「最後の授業」という小説の内容は、あくまでもフランス側からだけ見て書かれたものであるとわかってきたのである。
アルザスから見ると、それまでフランスに占領されていたのである。小説の主人公であるフランス語の教師にしても、アルザス語を禁止してフランス語教育を押し付けていただけだ。だからアルザス人から見ればこの物語は、当時のフランス国粋主義者の妄想のようなものにすぎないし、ドイツから見たら甚だ迷惑な物語なのである。その事実がわかってしまったから、「最後の授業」は教科書から消えた。
ストラスブールではもう一つの重要な出会いがあったが、それについては次回に譲る。