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宝鐘マリン船長は「ママ」を思ってじわっとさせる
私はマリン船長の特異な人格を愛していて、「この人いったい何者なんだ?」ということを、わりとずっと考えている。
ここ何ヶ月か、頭の中にひっかかっているのは、マリン船長は他の人と比べて、「母」「ママ」という概念に言及することが(他のホロライブメンバーと比べて)とても多いということ。
船長は昭和の歌を好んで歌う。このせいで「船長って実は昭和生まれでは?」というジョークが流行っているけれど、まあジョークだからまともに取り上げなくていいんだけど、昭和生まれでないことは明らかです。だって、「ロックリバーへ」「キャンディキャンディ」「エースをねらえ!」「DESIRE」を平成の歌だと勘違いしていたことがあるからね。リアルタイムで聞いていた「のでない」ことがこれでわかる。
この船長の昭和趣味、「おそらく父親か母親の影響だろう」と私は推測していて、かなり自信をもっていたので、そのことを記事に書いて検証しようとしていたのだけど、船長本人からあっさりネタばらしがありました。「船長が古い歌をよく知ってる理由は、これはお母さんが歌っていたんです」とのこと。まあ、そうだよね。
このことって、船長という人を理解するのに、とても重要なんじゃないかと思っています。
だって、つまり、歌枠で古い歌をうたっているとき、マリン船長の心の中で、それらの歌は、単に古い歌なのではなく、「おかあさんがうたってたうた」ということなんですものね。
マリン船長が自分の歌枠に、「選曲がお母さんっぽいマリン船長」というタイトルをつけるとき、彼女の中に、自分のお母さんのことが想起されていないわけがない。
私の中では、宝鐘マリンは、
「おかあさんがうたっていた思い出の歌をうたう女」
なんです。
そのへんがね、なんか、私にはじわっとくる。
マリン船長は、ときどきぽろっと、かなりえぐい本音を漏らすことがあって、はっきりいうと「底意地の悪さ」みたいなものをひそかにハラの底にかかえこんでいる人だと思う。それでも、私の心が船長から離れないのは、こんなふうに「じわっとさせてくる」からだ。
この人は「母」というキーワードに対して、他のホロライブメンバーによくある「ママみを出す」というようなのとは明らかに違うアプローチをしている。
いや、アプローチをしているというか……彼女の「ママ」という概念に対するさわり方は、意識的なアプローチというより彼女自身の人格から出てくる自然な身のこなしのように思う。つまりこのあたりが、宝鐘マリン船長の人格がナマで露出している部分だと思うのです。
そんなふうに思った上で、以下のようなエピソードをきくと、私の心にダイレクトに刺さってしまう。
「夜中にあくたんとコンビニに買い物にいったら、船長が会計をしているあいだ、あくたんが駄菓子のコーナーにしゃがみこんで、店のBGMに合わせて体をゆらしていた。それを見て、私がママになったらきっとこんな気持ちになるんだろうと思った」
だから、宝鐘マリン船長は、一方の手に「自分の母親の思い出」をにぎっていて、もう一方の手に「自分もいずれ母になるのだ」という予感をにぎっている。
その両手のあいだにあるのは、
「母親である(母親になる)っていうのは、どんな感じなんだろう?」
というテーマに対する探求の姿勢だ。
「自分は結婚したり母親になったりすることはたぶんないだろうな」という予感を持って暮らしている(と思われる)天音かなたんや桐生ココ会長とは、明確にちがう将来のイメージが、宝鐘マリン船長のコアになっている。
マリン船長はそのコアを、ひどくあっさり見せてくれることがあるので、どきっとしてしまう。
本当のママになった船長を見てみたいなって、思うけれど。見られるかな? どうかな?
(注:この文章は「私の頭の中の」ホロライブメンバーについて話しているもので、フィクションの一種だと思っていただけると助かります。現実の本人のことをこうにちがいないと決めつけるものではありません)