アシタカと炭治郎の共通点
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先日の「もののけ姫」を観てから
もののけ姫を観たすぐあとよりは、その後に解説動画などを観てから色々さらに気づきがあったのですが、、、解説動画の中で岡田斗司夫さんが「アシタカは腕に呪いがついて、村を出ていくことになり、”なんで俺がこんな目に”とか絶望していたと思うんですよね」的なことを言っていたのを聞いて、
絶望かー
もう、以前の自分の生活や人生には二度と戻れない、という絶望。
以前の自分が描いたものが全てダメになったという絶望。
これって冥王星のエネルギーぽいやん?
と、思ったときに、
「なーーーんか、誰かの状況に似てるな・・・!」と気づきました。鬼滅の刃の主人公、炭治郎です。
ちなみに岡田斗司夫さんの動画を紹介している記事はコチラに書きました。
https://ameblo.jp/ayakomemorandum/entry-12692273579.html
炭治郎の絶望
炭治郎も、物語の序盤で絶望の場面がありました。家族のほとんどが殺され、妹の禰豆子(ねずこ)は「いずれ鬼になる」という呪いがかけられた。
炭治郎の場合、長男として、兄として、ねず子を自分の一部のように世話をする対象として思っているので、”ねず子の呪いは自分に降りかかった呪い”と同等の心理状況だと思われるので、アシタカの絶望と似ているなぁ~、と思ったのです。
アシタカは(解説動画の岡田さんによると)全然、全く、自分の気持ちを言わない、表現しないので、何を考えているか、思っているのか分からないのですが、炭治郎はたくさん独り言を言ってくれるので(笑)
「なんで俺がこんな目に・・」
とか、確か何度も言っていたかと思います。何度も泣いてた気もするしw(正直w。そして分かりやすいw)
自分の新たな人生を歩みだす順番
アシタカも炭治郎も、呪いがかけられなければ、絶望には至らず、絶望に至らなければ、
見たこともない違う世界
には行かなかったと思うと、普通に生きる私たちに置き換えた場合、すごい呪いではなくても、事の大きい小さいは関係なくとも「何かの(その時の自分が)ネガティブ(に感じてしまうよう)なこと」は、たとえ直後は絶望がやってきたとしても、
新しい世界を自分に見せてあげるキッカケにすぎない
とも、読み取ることができます。
過去の自分の価値観や人生観が、「絶望」をもたらしているだけなのであって、死ぬときの自分や、価値観の全く違う人たちは、おそらく「絶望」とは思わないでしょう。
冥王星の力
そういうエネルギーは、占星術的にいうと、冥王星の力です。
死と変容。
革新や改革(天王星)は、大きな変化はありますが、基盤自体は変わらないことも多々ありますが、冥王星の死と変容は、基盤自体が死を迎える、という感じに私は捉えています。
死は必ず生ももたらすので、もののけ姫のシシ神さまはそういう視点でいうなら、冥王星的な力も持っていると言っても過言ではないのかもしれません。
呪いとは
呪いとは特別なものではなく、完全に消えなかったアシタカの痣のように、日々私たちは抱え続けていると思っています。いつでも自分の中の呪いを発動することが、私たちにはできる。でも、発動させずにいることもできる。
例え生まれて育った人生で「呪いのようなもの」とは無縁だったとしても、潜在意識の奥深くでは、さまざまな集合意識や時空を超えたエネルギー、多次元の世界と私たちは繋がっているので、知らないうちに色んなところと繋がっていることも多くあります。(例えば、ネットで炎上するような案件を見つけて、怒り狂って炎上に加担する、などは、”(その案件で怒り狂う)集合意識にいつの間にか繋がってしまった”ということだと私は思っています。集合意識に繋がる場合もあれば、個人的な関連トラウマが個人的な無意識に存在し、そこが刺激されている場合もあるでしょう。
無意識や集合意識に知らずにつながってしまうのは、しょうがないと思っています。大事なのは、意識上の自分が「それに気づくように日々気を付けておくこと」なのだと私は思います。
それに気付くように日々気を付けておいても、無意識で作動することはあります。気づけない時もあります。だから、「気づき続けることが難しいこと」も分かっています。だから、気づけずに振り回されることを責めることはできません。(気づけずに振り回されまくっていた過去の自分を世界は許し続けてくれた、という経験もありますし)
意識と無意識を考える上で好きな記事がコチラです。
ナギが凪、ナミが波、で、この記事を読んだときに私に広がったイメージは
潜在意識と顕在意識
でした。
潜在意識はコントロールすることができない。勝手に(ポジティブやネガティブ)という波を発動させる。
その波を凪に変えるのは「意志の力」や「意識できる意識」しかない。顕在意識の自分だと。
※ネガティブを悪者にする方が多いですが、ポジティブも波ですからね!(ポジティブは個人的には中毒性が高いと思っています。だからポジティブという波が起きるのが好きで、波の力でネガティブも起きるのです。どうしても両方起こってしまう、という認識が大事で、起こった時に気づくことが大事。ポジティブを追う人は、ネガティブも寄せ付けて、そのネガティブを避けようとまたポジティブ起こそうとするから、波がどんどん大きくなって、後々変なことになってしまうように人を観察してきて思いますw。←それが悪くはないのですがねw。観察するって性格悪いな、ワタスw。悪気はないのですよ、観察が好きなのです(笑)そしてたまにのハイテンションポジティブは私も大好きです♡)
凪はどうやって起こすのか
自分のその瞬間の状態に気づいた時点で凪です。(と、私は思っています)
だから「気づくようにしよう!」という強い意志を持つしかない。(たぶんw)
自分の中に呪いはある。あるいは、いつでも知らずにそれらとつながっている。
アシタカは呪われた手がエボシを殺そうとしたりするのを、顕在意識で必死に止めようとしていました。呪いを拡大させ増幅させるのは、自分の怒りや憎しみだから、自分の中の怒りや憎しみを消化するために色んなことを見聞きして体験し、色々思考を巡らせたのだと想像できます。(ネット炎上はまさにコレですね、拡大させ増幅させるのは、個々の無意識の行動でしかない。そしてたぶんですが、良くも悪くも日本人の多くは潜在意識の集合無意識に繋がりやすい。)
潜在意識が引き起こそうとする何かを止める、凪にする、力があるのは、顕在意識しかないのです。
ちなみに余談ですが、「凪」繋がりで、三種の神器の草薙剣は、「ヤマトタケルが剣を使って燃えあがる草を薙ぎにした」というようなお話がありますが、
燃えあがる草=反対勢力
と、読み取った場合、
草薙剣を使って、その剣の威力(やっつけていく武力なのか、この剣を見せれば友好的に話を進められるという力なのか、どちらかは分かりませんが)、そういう威力のある剣だったのかな?と思いました。(おめでたい説が好きなので後者であってほしいwww)
アシタカと炭治郎はどうなった・・?
二人とも、自分の「意志」で呪いを克服しました。(アシタカの場合は、これからも上手く付き合っていく、という感じなのか、痣が完全には消えていなかった)
炭治郎の場合は、最後、鬼のトップの無惨に心を奪われそうになりましたが、わずかな自分の「意識」で完全に奪われずに克服しました。強い意志が、潜在意識の中の「自分が繋がりたい仲間の意識たち」と繋がらせてくれたのだと思います。
潜在意識が生み出す波に支配されて生きるのか。
自分の意志を強く持って、波と上手く付き合いながら生きるのか。
色んなストーリーが、教えてくれていますね♪
オマケ情報
「これまでの自分が想定している人生を手放して、真の自分と出会う(人生の)旅」を、ほとんどの物語や神話や映画が表している、ということを教えてくれる映画があります。コチラです↓
人はみな、潜在的に「自分という英雄が何かを追っていく、旅をしていく」ことを求めているから、多くの神話や物語や映画が、同じようなストーリー仕立てになっているのでしょう。(できるのが良いとか悪いとかは別として)
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