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10ハウスから考える「使命」について

9月3日 10時56分に乙女座新月を迎えました。

私は毎月、「月相×内観ワークブック」を出しているのですが、今回この新月がおきた10ハウスを「使命感を持って尽力する」と書いていました。

ちょっと前に執筆したので、なぜこう書いたのか正直全く覚えてないのですが(笑)、今日あらためて見たら思うところがあったので、備忘録的に残しておきます。

「月相×内観・乙女座新月編」


実は8月はコロナで2週間近くダウンし、すべて強制ストップしたことで、これからの生き方や仕事を考え直すキッカケを得ました。

コロナ自体は軽症でしたが、体験したことない症状やいつまでも続く息苦しさ、仕事に取りかかれない焦り、さらにミドルクライシスが射程圏内に入ってきたせいか、療養中は「生命」や「死」のエネルギーをすごく間近に感じることもありました(本格的な冥王星スクエアはこれからなので、まだ何かありそうで怖いですが…^^;)。


こうした経験を経たあとに、「使命」という言葉をあらためて見ると、以前とは全然違う感触を抱いている自分に気づきます。

「使命感」と聞くと重苦しく感じる人もいるでしょう。人によっては、「使命なんて考えるべきじゃない」という人もいますし、私も以前はそう思って、ネイタルを読む際にも、「使命」という言葉はあえて避けていました。

でも今、あらためて思うのです。本当は「使命」=誰かの役に立って貢献することではなく、「この肉体をまっとうする」ことなんじゃないかって。

毎日たくさんの人がなくなる中で、この身体と五感と感情を持って、今も生き続けている意味って何だろう?ということは、コロナ前にもときおり考えていました。

実際には軽症で持病もないので、急変することはおそらくなかったと思いますが、それでも「死」のエネルギーをいつも以上に近くに感じた後だと、「今日もこの肉体で生きながらえた意味」を考えずにはいられなくて。

こうして病気が治り、まだ生命が続くのなら、この身体を使って何かをしたい─そんなことを療養明けは考えていました。

そんな流れがあっての乙女座新月。このタイミングで「10ハウス=使命感」という言葉が目に止まったのは、なんだか不思議な導きを感じます。(ちなみに、この解釈はコロナにかかる直前に書いたものなので何か予期してたのかも?笑)

思えば、10ハウスとは、2ハウスと6ハウスを経た末のものです。

2ハウスは生まれ持った肉体や五感、そこに連なる感性や才能を堪能するハウス。ここで「自己愛」を育むことで、5ハウスの自己表現や他者への愛があり、それは6ハウスで「他者のニーズを聞く」ことに繋がります。そのときに、2ハウス=生まれ持った感性や才能を応用することで相手のニーズを叶える手助けができるのです。

そしてこのときに、自分の感性や才能を成長させた経験が10ハウスに集まり、人生や社会でなんらかの結果を残すことができる。だから元を辿れば、2ハウス=自分の肉体や五感=生命をどれだけ愛でられたか?その結果が10ハウスに現れるとも言えるでしょう。

つまり、結果的に社会や誰かの役に立ったり、貢献になったりしただけで、「自己愛」をすっ飛ばして、「使命」や「責任」が先行しても、そこにあるのは歪んだ負の連鎖に過ぎないのかもしれません。


乙女座は調整の星座と呼ばれますが、いったい何を、どんな目的で、調整するのか?

それは人それぞれですが、「肉体をまっとうする使命」も視野に入れてみると、いつもとは全然違った選択肢も浮かぶんじゃないかなと思います。

実際に私もこの視点をプラスしたことで、ずっと停滞してきた悩みに、新たな潮流が生まれそうです。これからこの流れがどう展開していくかは、乙女座の細やかな調整次第で、意識的に取り組む努力も必要になるでしょう。

今回の新月は土星と向き合っているので、その辺はかなりシビアな感じがしますね。ちょっとめんどうくさいですが(笑)、いつもより丁寧に現状確認しながら行動する1ヶ月にしたいと思っています。


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ゆりか|還る占星術
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