絶滅が怖い?! 存続が怖い?!

今朝感じたことを書いてみたいと思います。

一時期、ノストラダムスの予言などを踏まえて人類絶滅が噂されたことがありました(ノストラダムスの予言詩自体には1999年に人類滅亡とは書いていないそうですが、そういう解釈をした人がいたわけですね)。今でも、軍事的な緊張や環境問題などで、人類の存続の危機とマスコミなどはよくいいますね。人類滅亡は恐ろしいと思う人がいる一方で、存続が怖いというべきか、人類の滅亡を願っている人たちもいますね。私も夜中に目が覚めたときなど、人類が存続していくほうが滅亡などより、恐ろしいのではとか思うこともあります。もしかすると滅亡するとすれば、人間やってみたい(あるいは人間として生まれるカルマを持った)魂がなくなれば、滅びるというだけのことかもしれません。

さて、ここからが特に今朝感じたことですが、「今ここ」という意識という観点でいうならば、「絶滅が怖い」「存続が怖い」のも、「今ここ」の意識ではありませんね。「今ここ」(マドモアゼル・愛先生のお話に出てくる「(拝金主義的な)今だけ、自分だけ」という意味ではないですよ)にいるには、どちらにも執着しないほうが良さそうです。その方が多分平和です。

仏教の思想では「有愛」(存在することへの執着)も、「無有愛」(存在しないことへの執着)も輪廻につながるものとされています。解脱を目指して修行するのはどうなんだとか突っ込みたくなる人もいるかもしれませんが、中道というのか、偏りを手放していくのが大事ということなんでしょう。

セドナメソッドにも、相反する願望のどちらも手放してみる(思うに手放すとは抑圧や見ないふりではありません)という実践法がありますね。セドナメソッドはとらわれているものに気づいて、「知ったら終い」にしてゆくのにすぐれた方法だと思います。

セドナメソッドの本

上記の本の原書(上記の本で省略されている部分も含まれる)


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