「悪を抱き参らせる」について

今日の未明に浮かんできてことや最近感じていることについて書いてみたいと思います。「悪を抱き参らせる」と云う言葉は『日月神示』に出てきます。

「悪を抱き参らせる」というのは、世界・社会としてみると例えば人口削減や一部の人達による支配などを目論むような連中を改心させて抱き参らせるなどと解しうると思いますが、今日浮かんできてのは内的な意味についてです。それは生存本能・生存欲求を抱き参らせると云うことかなと思いました。人口削減とか支配を目論む人たちとかも、その欲求の源は何かと考えますと、生存欲求、安全・安心を求める欲求から来ているのだと思います。ある意味凄い平和主義者であったりもするでしょう。私なども安心を求める気持ちが強すぎるのか、ああ早く人類が滅亡しないものかと思ったりします(『日月神示』的にはこれも悪でしょう)。😅 人類の滅亡というのは危険の極致であって、そうすると究極の安全と究極の危険は一致することになります。先日、Kanさんの『時空を超えて生きる: 潜象界と現象界をつなぐ』と云う本を書店で拝見したのですが、そのままでは何も起こらないので、矛盾が生じることによって現象が起こっていくみたいなことが書いてありました。『日月神示』で云えば善と悪がそれぞれの御用をしての弥栄ということになるのでしょう。この世はそもそも矛盾で出来ているとも言えるでしょう。肉体がなければ安全・安心を求める必要もないかと思いますが、肉体があってはある意味安全・安心はありえないかと思います。あるとしたら(精神的な意味では)完全に大いなるものに委ねてしまっている状態なのかなと思います。少なくとも武器を揃えるとかこの世的な手段で、こうすれば100%安全だということは云えないと思うのです。生存本能・生存欲求を抱き参らせると云うのはどういう状態かというのは、難しいですけれども、そういうものだと気づきを持って生きることかなと思います。


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