中世の環濠集落を訪ねて3 桑津(大阪市東住吉区)
元環濠集落を囲っていた濠は、平和な時代になると用水路などの水利目的が主になったため、幅が狭くなったりしてその痕跡を残す物も有りますが、埋め立てられて道路になった物も有ります。
大阪市東住吉区の桑津環濠集落の環濠も昭和初期までは残っていたそうですが、今は完全に道路になってしまい、その面影は残っていません。
しかし注意深く観察してみると、環濠であった部分の外側よりも内側の方がちょっと土地が高くなっているのが解ります。そして内部の道路に折れ曲がった辻が多く、軍事的防衛を意識した街づくりとなっているのが、はっきりと見えてきます。
この集落が成立した時期は、史料が乏しくてよくわかりませんが、桑津は大阪夏の陣の激戦地であったためそれ以降に村を濠で囲み木戸を設けたのでは無いかという説もあり、考え方によっては近世の環濠集落と言えるのかも知れません。
木戸口は北に2箇所、西と南にそれぞれ1箇所あったそうです。
地点A 北東角。
東の北口と思われる場所。北口地蔵が有ります。
地点C
地点D 西の北口が有ったと思われます。
Dの北側にある、見性寺。
Dの西側にある桑津天神社。
京善寺。
京善寺の向かいの桑津公園には、天神社の鳥居と小さな社が有ります。
西口が有ったと思われる場所。
地点E
地点F。 南口はこのあたりか?
桑津小学校の西側、駒川にかかる橋には南口橋とありました。
地点G
地点H
地点I。環濠の内側の土地が高くなっているのがわかります。
地点J
地点K。これで一周してきました。
今の季節は5寺過ぎでこの暗さです。写真撮影も困難になってきたので、集落内部の調査はまた次の機会と言う事にして帰りました。