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母の弔い

去る5月10日(金)に母 山下孝子が永眠いたしました。
4月15日に86歳の誕生日を迎えて1ヶ月弱でした。

戒名 慈教院正念孝愛大姉

5月14日(火)に家族葬として告別式を近親者のみで行い6月23日(日)船橋の浄勝寺にて四十九日の法要・納骨を終え七七日の四十九日6/27(木)には満中陰を迎えました。

5月1日の施設入居から10日も経たない中、GW中は長く一緒に居れて、面会にも色々な方に来ていただき、7日までは付き添っていましたが、QOLも落ちてきて来てはいましたが3日間ほど静岡に戻り、週末また帰って来るからねと約束して出てきて、2日ほど会っていない間でした。

8日も面会もあり、しっかりと話していた様子でしたが、9日には、医師からも診断後にお電話いただき、直ぐに帰った方がいいか聞いたところ、そこまでではないとは言われましたが、10日はお休みいただき1日予定を早めて帰ろうかと思っていたところでした。

夜に何となくイヤな予感がして、まだ夜出れば新幹線で帰れるかなどと調べたりしつつ、車で帰った方が何かと便利だし、夜通し運転しててもしんどいし、未明にわざわざ施設を開けてもらっても悪いかななどと考え、朝早くに出ようかと、一旦寝たところでした。

夜中に呼吸が崩れてきたようで、2:30頃の夜勤の当直の看護師さんからの電話には、寝ていてすぐには気づかず、3時頃に気づいて電話に出たところ、息を引き取った後のようでした。

末期癌の割には直前まで特段痛いところはなく、怠かったようではありますが、前日まで面会に来た職員も認識していたようで、死を前に衰えて苦しむ姿を他者に見せたくなかったのかも知れません。

電話から少しした未明の4時前頃に出発し、暗い東名高速を走る途中で、富士山を目の前にしてパアッと明るくなった日の出が、とても綺麗でした。


首都高も朝方少し混んでいて、施設に着いたのは8時頃、冷たくはなっていましたが、まだ肩の後ろや股のあたりは少し暖かさが残っていました。

エンゼルケアも施設の方にとても綺麗にしてもらい、黄疸もあり、ある意味、ネイティブ・アメリカンやミクロネシアポリネシアの酋長の老婆感のあった表情も、いつもと同じ母に戻っていきました。

ちょうど一旦離れた後の8日から亡くなる10日前後に太陽フレアが爆発したようで、昨日は各地でオーロラが観測され、明日は電波障害も発生する可能性があるとのこと、3歳で祖父が亡くなった時に星になったと母から言われて宇宙に興味を持った自分としては、ある意味母が最も近い恒星の太陽の一部になったとしても納得の、強烈な存在感のある人ではあったので、お天道様に見られる不思議な感覚です。

葬儀の時に本人が用意をしていた、木棺と骨壷と遺影のことを、少し振り返ってみたいと思います。

以前から大病していたこともあり、15年ほど前に、余市の木工職人さんに木棺を作ってもらい、最初はマンションで箪笥代わりとして使っていたのですが、いつの間にか、幼稚園の本棚になっていて、間仕切りが入っていました。

一見すると、棺桶には見えない見た目で、本棚として馴染んでおり、職員もわからないぐらいでしたが、シャッター式になっていて、私はこれだとわかったので、生前にターミナルケア施設に入居した少し後に、この木棺を使いたいか、中の仕切りはどうやって外すのかを、直接本人に聞いてしまいました。

今まで色々ありましたが、入居前後はすごく穏やかで達観したようないい雰囲気の関係性が作れていた中で、「どっちでもいい、そういうの聞かれると気分悪くなる」と言われてしまい、実は心残りでした。

亡くなった後、葬儀屋さんに、木棺はあるのでそれを使いたい、と伝えたら、安置所に移動する際に園まで遺体と共に立ち寄る際に、もう一台車を手配いただき、取りにきていただいたのですが、仕切りが裏からがっちり釘で止められていて、やはり簡単には外せなさそうだったので、一旦そのまま積まずに帰っていただきました。

翌日の朝、一人で釘抜きなどを使って全ての留め具を取り、間仕切りを取ろうとしましたが、ハメ合いになって中々とれず、かなり苦労しましたが、流石は木の素材、広げながら引っ張っているうちに、どうにかとれました。

車にも、自分の軽自動車に助手席を倒してギリギリ入り、直接運ぶことが出来ました。

一人で外すのが難しかったら、夕方に職員の旦那さんにも手伝ってもらう予定で、事情を知る周りの人からは、よく一人でやったと驚かれましたが、そんな心残りもあり、必死だったのだと思います。


母は陶芸を習っていたので、こちらもかなり前に骨壷も作っていたのを覚えていたのですが、少し前に、生前に片付けを手伝いに来てくれた、いとこが、作った陶芸の大物を整理して捨てたと聞いて、「まさか骨壷は捨てないよな」と思いつつ、いくら探しても見つからずに諦めかけていたのですが、通夜の当日の朝に、改めて、自分の荷物が主に置いてあるエリアを見直したら、奥の奥に、しっかりと桐箱に入ったものがありました。

骨壷には、
ちる花を 惜しまず照らす 山の月
という句が、刻まれていました。



遺影も、一度記念撮影的に撮ったのがいまいちで本人も気に入らず、別に本に挟んであった、幼稚園の花壇に囲まれた笑顔のカラー写真を選んで本に挟んでいて、そちらを使ったのですが、告別式の最後に、山下の本家のはとこが、子供が2人並んで写っている、と言ったので、よく見ると、確かに少し離れて見ると、真ん中やや右寄りの母の下の花壇の花と葉が、幼稚園のイラストにあるような、エプロンをした男の子と女の子が並んでいるように見えて、びっくり。



告別式後の火葬は、元々、骨格はしっかりしていたのもあり、木棺で焼いたから火の通り具合がよかったのか、癌にも関わらず、何かの遺跡か恐竜などの標本かのように、綺麗に骨が体型通り残っており、動脈瘤手術の時に入れたステントや、棺桶に一緒に入れた友人から貰って気に入っていた人形の首と頭部、空手着を着たキューピーにつけていた自分の生まれた頃の写真を入れたフレームも燃え残っていました。
骨壷が手作りでやや規格よりは小さかったというのもありますが、骨がしっかりしていて、全部入るかギリギリでしたが、最後は、しっかり噛み合っていた頭蓋骨の頭頂部の一枚を砕いていただいて、綺麗に全部ピッタリ骨壷に収まりました。

何か、送り出す形として、期せずして、現代的な火葬の中でも、色々と個性的で本人の人生や人柄を偲べる形になり、不思議と悲しみよりも有難さが湧いてくるお別れになりました。

中陰の期間は、静岡と西船橋を東名高速道路で何度も往復し、色々なタイミングで不思議な感覚に襲われました。

菊川駅近くの、母の実家の檀家と同じ曹洞宗のお寺
大徳寺
https://sotozen-navi.com/spn/detail/index.cfm?cl_id=220703
https://www.city.kikugawa.shizuoka.jp/shakaikyouiku/shiteibunkazai/daitokujikofun.html

報恩寺
https://hellonavi.jp/detail/page/detail/2089
https://ameblo.jp/life-7g1k/entry-12070932983.html

で、二七日、三七日にお参りさせていただきました。

つくばで迎えた四七日、六七日は、つくバックという不思議な縁。

五七日には、菊川で色々とありました。

6月23日(日)には、妻と妻の母と、船橋の浄勝寺にて、母の四十九日の法要・納骨を終えました。

母壺(ぼつぼ)持(も)つ 庭(にわ)もぬかるむ 七七日(ししちにち)
天照(あまて)る蝶(ちょう)に 白紋(しろもん)の空(そら)
枕流

6月27日(木)には、七七日の四十九日に満中陰を迎えました。

満中陰(まんちゃういん) 明(あ)けて禊(みそぎ)の 天(あまつ)罪(つみ)

梅雨(つゆ)に濡(ぬ)れ入(い)る 日(ひ)を想(おも)い哭(な)く

枕流

法要 日付 中国の十王 日本の十三仏

初七日 2024/5/16 秦広王 不動明王
険しい山を香を食べて進む

二七日 2024/5/23 初江王 釈迦如来
三途の川を渡る

三七日 2024/5/30 宋帝王 文殊菩薩
不貞行為の罪を問う

四七日 2024/6/6 五官王 普賢菩薩
悪い言動を秤で量る

五七日 2024/6/13 閻魔王 地蔵菩薩
閻魔大王が水晶の鏡に映し出す

六七日 2024/6/20 変成王 弥勒菩薩
審判が下され、生まれ変わる条件場所が決まる

七七日(四十九日)
2024/6/27
泰山王
薬師如来
六道(天、人間、修羅、畜生、餓鬼、地獄)野どこに生まれ変わるかが最終決定される


6月30日には、忌明けのいいタイミングで大祓に意富比神社(船橋大神宮)に。
16時からの拝殿での儀式にも参加させていただき、祝詞を3回唱え、お祓いいただきました。
久々のおみくじも、沁み入ります。



7/30,31には、教職員に準備していただき、幼稚園で、故山下孝子のお別れの会を執り行いました。

http://www.futabayouchien.info/blog/20240704160143/

多くの方にご参列いただき、沢山のお花をいただきました。

自分で描いた素敵な絵を持ってくる子、ギャラリーの文章に一人じっと見入る少年、泣き崩れるお母さん、初代の祖父の頃から親子3代で園に通った家族など、色々なシーンがありました。

1日目午後の途中、土砂降りの雨も、最後は晴れ上がり。
雨で閉じ込められた中、ホールで工夫して遊び始める卒園生の子供たちの楽しそうな姿に、ある意味グッと来てしまいました。

通常保育も忙しい中、心温まる会を準備してくれた教職員にとっても、久々の教え子との再会に、感無量な様子でした。
ありがとうございました。

弔(とむら)いを 園(縁)(えん)で結(ゆ)いなす 今生(こんじょう)の 
二葉(ふたば)芳(かんば)し
先立(さきだ)つ仮(かり)の家(や)
枕流


8/1には、浄勝寺にて、新盆供養を終えました。

2024年の旧暦のお盆は、
8月16日(金) ウンケー(祖先を迎える日)
8月17日(土) ナカビ/ナカヌヒ(中日)
8月18日(日) ウークイ(祖先を送り出す日)

新盆の今年は、ちょうど母の百箇日(卒哭忌)が、17日で、不思議な気分。
18日は、お寺の施餓鬼供養となります。

そこまでで、ひと段落、次は一周忌まで間が空くので、気持ちを切り替えて、新学期に臨めればと思います。

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