「新ミレニアムへの挑戦」 ~次の1千年人類はどこへ向かうのか~ 工業化社会から自律的社会への再構築

大学4回生で就活時に書いた文明論です。
その後、留年。


「新ミレニアムへの挑戦」
~次の1千年人類はどこへ向かうのか~
京都大学工学部物理工学科宇宙基礎工学コース4回生 山下浩史
2000年

1.タイトル
「工業化社会から自律的社会への再構築」

2.現状分析
①現代文明の立脚点-科学技術に基づいた工業化社会と制度
20世紀、科学が急激に進歩し、資本主義下での大量生産大量消費を反映して市場には多種多様の商品が出回り、人々は手軽に商品を購入し、様々なハイテク機器や世界中を飛び回る情報を手に入れ、生活を豊かで便利なものにした。物質的に豊かな社会ではソフト化、サービス化の恩恵を享受することが可能となり、私たちの暮らす現代社会は表面的には幸せになったかのように見える。
②現代文明の歪み
しかし今日、現代社会のひずみがいたるところで見られる。
日本国内を見ても、経済はバブル崩壊後長引く不況から復活の糸口を見つけられず、官僚や銀行トップなどの社会的地位のある階層の腐敗が報道される。世界一の治安を誇った社会の中で、オウム真理教や神戸の少年殺人といった凶悪犯罪が発生し、時代の精神の荒廃を目の当たりにした世間は震撼する。リストラにあったサラリーマンなどの自殺者は毎年2万人以上にものぼる。学校崩壊が叫ばれる中、子供達は情緒不安定になり、人間らしさが失われつつある。コンピュータの急速な普及により人とコミュニケーションをとりたがらないコンピュータ人間が増え、ソニーのペットロボットアイボや機械と話すゲームシーマンなどの心の隙間を埋める商品がヒットする。
現代社会は病んでいるといった空気が流れ、先行き不透明な混迷の時代に、人々はどこか心の不安を抱えながら生きている様に見える。
③考察
これまで、①で見てきたような工業化社会を形作ってきたものは、科学技術を作って産業を起こし、社会を形成しようとする技術立国の精神。ここで言い換えれば、人間の理性に立脚したものではなかっただろうか。
確かに、それは一定の成果を挙げて、ある程度の規模の制度と社会はできたのであり、これは間違いなく人間の理性の功績であるとは言える。しかし、②で見てきたように、物質的に豊かになったからといって幸せが訪れるわけではないのだ。
それは何故なのだろうか。
ここで、現代社会は近代工業化社会の成り立ちと制度が人間の暮らす環境として不完全な部分を持つことを、その理由として指摘したい。工業化社会と制度は物質を生産するシステムを形成してきはしたが、その中で暮らす人間の感性を満たすことに目が向けられていないのではないか、いや、物質によって膨れ上がった社会をこれまでの社会の感性が支えきれなくなったと言うべきだろうか。
効率的な生産を行う工業化社会のシステムの中でうまく機能することが人間個々人に要請されるが、それは時として人間の感性と対立する。社会の中でうまく機能しなければならず、そうしようという意識は人々の中で強くはたらき、人間の感性の部分は社会の制度の中で抑圧されていくのである。理性は一人歩きを始め、文明は感性を置き去りにして肥大化していく。人間の理性が作り上げたものが人間の感性を蝕んでいくという矛盾がここにある。これが現代社会の抱える問題の原因の一つであると言えるのではないだろうか。

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