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予測〜つぎの30年とAIインフラ化がもたらす日本の未来

小さな変化が巨大な渦となる間際

目を覚ました瞬間、スマートフォンが「今日の予定には天候が影響しそうです。傘を用意しましょう」と声をかけてくれる。
――2025年はAI元年です。こうした光景は今年から映画の中のものではなくなります。AI元年とはなんでしょうか。ここ2年で一気に普及し始めた大規模言語モデル、生成AIが、仕事の場面だけでなく私たちの暮らしに深く入り込む始まりの年です。
「電気が家庭に普及しはじめたとき」「インターネットが爆発的に広まったとき」も、最初は些細な変化に見えながら、数十年を経て生活の土台を丸ごと塗り替えました。AIにも同じように、あるいはそれ以上の破壊力と刷新力があるといわれています。
では、これから30年先の未来において、AIはどのようにインフラ化していくのか――歴史的な事例と、占星術師らしく占星術的表現を絡めつつ、日本社会の特性に焦点を当てながら、その可能性を探っていきましょう。

【本稿は、自説〜2023年は日本にとって新たな周期に入る「風の時代のアノマリー 「大闘争」の幕開け〜前篇・後篇」の続編です。】

第1章:インフラの再定義――電気・電波・ネット・スマホからAIへ

1. 電気がもたらした社会変革

19世紀末から20世紀初頭にかけて、電気は世界の生産・物流を加速度的に動かすエネルギー源となりました。照明が灯油やガスから電灯へ置き換わると、人々は夜間でも安全に活動できるようになり、生産効率は飛躍的に向上しました。工場や街灯、家庭に電力が行き渡ることで消費社会が育ち、都市のかたちを大きく変えたのです。

2. 電波――ラジオとテレビが変えた世帯の「日常」

電波通信の実用化が始まると、情報伝達の速度は劇的に上がりました。大衆文化の拡散や、リアルタイムにニュースが届けられる世界をつくったラジオ。それがテレビへと進化し、音声と映像が同時に共有される時代へ。特に戦後日本ではテレビが一家に1台入ることで、国家的イベントから芸能番組まで「国民みんなで見て盛り上がる」という共通体験が生まれました。家庭の娯楽、情報インフラの要としてテレビが定着したのは、電波が「空気のように当たり前」になった結果とも言えます。

3. インターネットとPC――世界の隅々を結ぶネットワーク

ネット出現の前に携帯電話が普及し、電車の駅から掲示板が消えたのは1995年頃です。同じ頃、パーソナルコンピューターが安価になり、インターネット接続が普及し始めると、個人同士や企業とのやりとりがオンライン化しました。電子メールが郵便の代替となり、ウェブサイトが新たな情報の集積所へ。2000年代にはADSLや光回線が普及し、ネットショッピングやSNSが台頭。気づけばインターネットは企業の事業モデルや人々のコミュニケーション手段を根底から覆しました。

4. スマートフォン――持ち歩くPCの誕生

スマートフォンの登場と普及は、インターネットを「いつでもどこでも使える」段階に引き上げました。iPhoneの販売が日本で始まった2008年を憶えているでしょうか。すでにガラケーが巨大な市場を作り上げていましたから、スマートフォンの市場は残されていないという意見が支配的でした。ふたをあけてみれば、音声通話の端末から、ウェブ検索、SNS、決済、ゲームと、さまざまな機能が詰まった小型コンピューターへと進化し、携帯電話以上のインフラとなりました。利用者は急拡大し、ビジネスやライフスタイルはさらに多様化しました。

5. そしてAI――次のインフラへ

ここに来て、大規模言語モデルを中心とする生成AIが急激に社会の表舞台へ登場。「AIを使ってリサーチをする」「会議の議事録を自動でまとめる」など、かつては専門家の専売特許だった作業がボタン一つで実行できる状況に変化。過去の経験を踏まえてみると、これはまだ“普及初期”に近い段階です。にも関わらず、ビジネスや学術、クリエイティブ領域で“AIが無いと効率が悪い”とまで言われるケースが増えています。この流れから「AIインフラ化」と呼んでも差し支えないほど、高速かつ広範に浸透し始める未来は容易に予測できます。

第2章:占星術師の視点―「火」のエネルギーが動き出す

本章は「風の時代のアノマリー」を踏襲し、占星術的な視点から現在の動きを再描画します。占星術に興味の無い方は第3章に進んでください。

2023年の春分図を境に「日本は新たな29年周期に入る」と解釈した背景には、西洋占星術の「マンデイン占星術(国家や社会全体を占う手法)」の伝統があります。春分図は、黄経0度(太陽が牡羊座0度に入る瞬間)のホロスコープを参照する技法で、「次の1年がどのような社会情勢になるか」を読み解く材料として古くから重視されてきました。そのうえで、春分図のアセンダント(ホロスコープの東の地平線がどの星座に位置しているか)がほぼ29年周期で一巡し、歴史的にもそのタイミングで日本社会に大きな変動が起きていると指摘しました。

牡羊座は「火の星座」であり、始まりを暗示するサインとして解釈されます。古代から伝わる伝統的な占星術の文献でも、「牡羊座は十二宮の先頭を切る活動宮(カーディナルサイン)であり、季節の変わり目を告げる星座である」とされています。ここでいう「季節の変わり目」とは、自然界の春だけを意味するのではなく、社会的なムーブメント、価値観、政治体制の切り替わりも象徴します。

こうした「火の星座」のエネルギーは、日本近代史を振り返るときにも象徴的な区切りとして観察できます。1920年代、1950年代、1990年前後はいずれも社会全体が大きく揺れ動く“発火”の4年間があり、その余波が約30年続いたと見ることができます。具体的な出来事を並べてみると、1920年代は戦後恐慌と世界大恐慌へと繋がり、その後の昭和初期には国内外の経済混乱が続いた果てに、第二次世界大戦という国際的な大規模紛争へ入りました。1950年代は、朝鮮戦争特需による好景気が訪れ、日本国内では高度経済成長と呼ばれる長期的な繁栄期の幕が上がります。そして1990年前後には、あのバブル景気とその崩壊が起こり、そこからは失われた30年とも呼ばれる長い停滞期が訪れました。いずれの時期も「経済」「社会構造」「政治体制」を揺るがすインパクトがあり、政府や企業、あるいは個人の暮らしを大きく変えたことは周知の事実です。

こうした29年周期における節目を、自説「アセンダント・サインの巡回周期」として紹介しました。これは筆者の占星術的な見方であって、社会学的・経済学的には別の観点があるでしょう。興味深いのは、転換が「ほぼ30年ごと」に訪れている点です。統計的な厳密性を問うまでもなく、“世代交代”が1回か2回進むと、それまでの常識が根底から変化する*という見方は、社会学者も指摘している通りです。占星術でいうところの「土星の公転周期(約29.5年)」と重なる点についてはもはや説明不要でしょう。

※ マンハイム(Karl Mannheim)の世代論やアルヴィン・トフラー(Alvin Toffler)の未来学的視点

さて、現在の社会変革の兆しを見たとき、多くの専門家が着目しているのが「AIデジタルインフラの根本的な再構築」です。近年の大規模言語モデルや生成AIの登場は、その範囲がビジネスや学術、さらにはエンターテインメントや日常生活にまで及ぶという点で、過去の技術革新よりもずっと早く波及します。なぜならAIの媒体はスマートフォンやPCです。導入にあたり新たな機器を購入する必要がありません。この点でテレビやネットの黎明期とは異なり、AIが生活に入り込む下地は完了しているのです。
占星術的な表現では…「火の星座」である牡羊座がもたらす積極的かつ急進的なエネルギーが、テクノロジーの革新という現実的なエンジンと結びつき、社会全体を巻き込んで“大いなる再編”を促し始めている…と言えるでしょう。

火が燃え広がるプロセス」とは、単に目の前で炎が上がるイメージだけではありません。秩序が一旦壊され、新しい枠組みが勢いよく構築されるまでの一連の動きそのものを示唆します。今後の日本社会においては、高齢化や人口減少など、すでに課題を抱えていますが、そうした閉塞感を一気に破る“火種”としてAIやデジタル変革が加速すると筆者は予測しています。また同時に、新技術が旧来の産業や雇用を無慈悲に焼き払うような衝撃の形で現れる可能性も否定しません。

まとめると、1920年代や1950年代、1990年頃と同様に、2023年から始まる約30年は“火の星座”が象徴するエネルギーが社会を大きく動かすという見立てが成り立ちます。過去3回の転換期が、いずれも日本の社会・政治・経済を変えてきたように、ここから数十年先、私たちはAI技術やデジタルインフラが一気に浸透する新たな社会秩序に向かうことになるでしょう。その道のりで、肯定的な発展もあれば、痛みを伴う混乱もあるかもしれません。いずれにしても、「旧来の常識を覆し、新たな仕組みを生み出す」という点で“火”がもたらす変化が、これからの日本で大切なキーワードになりそうです。

第3章:日本社会におけるAIとの親和性~なぜ日本は有利なのか

1. 新しもの好き

日本人は何か新しいデバイスが出ると、行列してでも手に入れようとする層が一定数います。電化製品やビデオゲームなどの消費文化を振り返ると、この“新しいモノをとにかく試してみる”気質は他国と比べても顕著でしょう。AIサービスやアプリへのアクセスも、少なくとも若年層を中心にかなり積極的な姿勢がみられます。こうした新しいものへの順応性と好奇心の高さは、島国という地勢と新たな思想や技術を外部から受け入れ、積極的に改造してきた歴史的背景が関係していると考えられます。

2. 個人趣味の徹底追求

職業ではなくとも、趣味を極限まで深める「職人的」こだわりが日本文化に根付いています。AIをツールとして活用する際も、「どうやって精度を上げるか」「どうやって面白い使い方ができるか」といった“こだわり”が新しいサービスの開発やユーザーコミュニティの盛り上がりにつながりやすい土壌があります。海外滞在経験がある人なら気づく「日本人の娯楽と食へのあくなき探究心」をAIは補完します。また、こうした卓越した趣味人の入力が増えるほどAI側のレスポンスとデータ蓄積も増えますから、AI企業側も入力リソースとして日本市場に注目する理由となる可能性があります。

3. ロボットへの肯定的なイメージ

欧米の物語では、ロボットやAIが人類を支配・淘汰するというディストピア的シナリオが頻出します。一方、日本では「鉄腕アトム」や「ドラえもん」といった作品のように、ロボットが人間と共生する姿が描かれるケースが多く、子どもの頃から“ロボットは頼りになる相棒”という潜在イメージを抱いて育つことが多いです。したがって「AIを全面的に拒絶する」よりも「どうやって共存するか」を考えるのが自然という、他国にはない空気感があります。

4. 産業的背景と今後の展望

日本企業は長らく“ものづくり”を得意としてきました。FA(ファクトリーオートメーション)や産業用ロボットの分野では世界的に高い競争力があります。これからAIがよりインフラ化するとき、ロボットのハードウェア・ソフトウェア両面で存在感を発揮しやすい立場にあるといえます。クリーンルームや精密加工などのノウハウが、AI時代の新しいニッチを切り開く鍵になるかもしれません。

5.政策

日本政府の態度は重要です。AI政策に限っては、よく言われる日本独特の「遅さ」「慎重さ」「従来方式への固執」が皆無です。柔軟的な姿勢は先進国のなかでもトップクラスと言えるでしょう。

第4章:AIインフラが引き起こす社会変容

1. 労働市場の再編

AIの進歩は人間の労働を一部代替し得るため、ホワイトカラー層を中心に「自分の仕事が消えるのでは」という恐れが生まれています。しかし、過去の産業革命やインターネット普及を見ても、新技術は往々にして“古い仕事の消失”と“新たな仕事の創出”を同時に進めるものです。確かに定型的な翻訳・ライティング・データ分析はAIに任せる方向へ進んでいます。予測の結論を言えば、従来通りの仕事のやり方は消えます。同時並行してAIをアシスタント化した仕事が増えます。
実は90年代のPC/Mac登場時、これと同じ体験をした職種がたくさんありました。そこでは何か起きたでしょう。テクノロジーに順応した人たちが市場に新しく生まれ、また従来の仕事のやり方を変えた人たちが生き残りました。その過程で、従来方法に固執した人たちは「あんなものは俺たちの仕事に通用しない」と批判し「完成度の低下」を嘆きました。果たして彼らの言葉の半分は当たっていました。品質の低下は確かに起きたのです。でも、市場は大量に提供される安価なサービス提供者を選びました。AIはこれと似た形の変容をさらにドラスティックにもたらします。
また、依然としてAIによって増加する情報量を整理・活用し、新たな商品やサービスを設計する“人間ならではの力”は必要とされます。これは新しい職種を生み出します。

2. ブロック経済と市場再編

大国間の政治・経済対立が続く中、AI技術の独占や規制を巡ってブロック経済化がさらに強まる可能性があります。日本市場は「信用が厚く、製造業に強みを持つ」という特性を背景に、AI関連の投資が集中するシナリオもあり得ます。実際に海外からの工場移転や投資が動けば、長らく停滞してきた日本の物作り産業と志向性が息を吹き返す可能性を否定できません。

3. 情報格差から意欲格差へ

大規模言語モデルが普及すると、誰でも容易に専門的な知識や翻訳にアクセスできる環境が整います。すると、情報を得ること自体が“希少価値”でなくなり、「得た情報をどう生かすか」という意欲や行動力が格差を生む時代に突入します。今後は“情報を知っている人”ではなく、“情報を使いこなす人”が成果を上げ、社会的に重宝されるケースが増えていくでしょう。

第5章:AIがインフラ化することへの批判的評論


終章の前に、AIが社会インフラとして組み込まれていくことへの反論を述べなければなりません。

  1. 「AIは完璧」への誤解
    私たちはテクノロジーに期待するとき、しばしば「新技術は完全に正しいことができる」と錯覚します。しかし、AIモデルは大量のデータを学習することで推測能力を鍛えています。データの偏りや誤った入力があれば、生成されるアウトプットも誤りを含む可能性が高い。AIが社会インフラとなった場合でも、データ収集過程のバイアスや、アルゴリズム開発時の設計ミスによる深刻なトラブルが起こり得ます。現状では、AIが出す結論や提案を「常にチェックし、訂正する」人間の姿勢が不可欠ですが、それが十分に行われないと、社会的に重大な誤判定が広範囲に共有されるリスクがつきまといます。

  2. プライバシー・セキュリティの問題
    社会インフラとしてAIを活用するには、膨大な個人情報や企業の機密データを一元的に集約・解析することになります。これによって利便性は飛躍的に高まる一方で、情報流出の危険性が増大します。もし大規模なデータ漏洩事件が起きれば、その影響は一自治体や一企業に留まらず、国レベル、世界レベルの混乱を招きかねません。また、ダークウェブ(特殊なブラウザでのみ閲覧できるネット)では倫理規程を解除され、法律に抵触する要望に答える生成AIのサブスクリプションが始まっています。AIインフラが安全に稼働するためには、セキュリティ体制や倫理規定を徹底する必要がありますが、そこには莫大なコストと絶え間ないメンテナンスが必要です。技術の進歩に追いつけない法整備や監視機構が存在する限り、社会的リスクは常に潜んでいます。

  3. 産業格差・国家格差の拡大
    AIインフラを構築するには巨額の資本と高度な技術が不可欠であり、それを持つ国や企業がリードする構造になります。一部の先進国や巨大IT企業がAI産業を独占し、途上国や中小企業がその恩恵を十分に受けられない格差拡大シナリオは容易に想像できるところです。AIが社会の基盤を握るほど浸透すれば、インフラを担うプレイヤーの力がより強大化し、結果的に“テック覇権主義”のような様相を呈する恐れがあります。人間同士の対等な競争から、AI開発資本を擁する巨大組織VSその他という構図が強まれば、公共の利益より独占利益が優先される懸念があります。

  4. 人間の創造性や自律性の衰退
    AIがあらゆる面倒な業務を代替し、人間は「より高度な創造的業務へ専念できる」と言われます。しかし実際には、創造的作業や複雑な問題解決をAIがこなせるようになるでしょう。すると「人は何のために働くのか」「自分のスキルや知識が必要とされる場はどこなのか」という問いが深刻化します。社会全体がAIに大きく依存し始めると、人間が本来もっていた学習意欲や問題解決能力を失う恐れもある。適切な教育改革や“AIに頼らなくても自力で判断する力”の鍛錬を続けない限り、最終的には人間の存在意義そのものを揺るがす事態に直面するかもしれません。

  5. 責任の所在が曖昧になる問題
    AIが社会インフラとして標準化されると、何か問題が起きたときに「どこに責任を問えばいいのか」が不透明になります。アルゴリズムを作った企業か、データを提供した組織か、それを使う行政や個人か。技術のブラックボックス化が進むほど責任逃れが横行しやすくなり、被害者救済も遅れがちになるでしょう。人々がAIインフラを利用する以上、社会全体で「責任をどのように共有し、どうマネジメントするのか」をはっきりさせる必要があります。

終章:つぎの30年のテーマ「人の創造性の引出し方」

私たちは電気・電波・ネット・スマートフォンといったインフラが整うにつれ、過去に考えもしなかった形で生活や仕事を営むようになりました。そして今、AIが社会インフラとなる可能性を目の前にしています。筆者は日本において、2023年からの約30年を変革のエネルギーを必要とする期間と捉えていますが、そこに新たなチャンスとリスクが併存しているのは明らかです。
日本にはロボットや機械を前向きにとらえる文化、個人趣味を徹底的に極める気質、そして熟練の製造業など、AIを発展させやすい背景があります。一方で、AIを社会の基礎に組み込むには、プライバシー、セキュリティ、格差拡大、責任所在といった課題を慎重に見極めなければなりません。
今後30年、AIをめぐる「大闘争」は、世界が複雑に分断・融合していく中で確実に起こるでしょう。ですが、私たち一人ひとりがAIをどう活かすかは自由です。
30年前、インターネット登場時はユートピア的な楽観論と、従来型の仕事が失われる危機論が併存していました。最終的には、それらを社会や文化に溶け込ませる柔軟な行動力を発揮した人々が新しい価値と機会を生み出してきたのです。AIインフラに関しても、「どうすれば私たちの創造性を引き出せるか」を探求する姿勢こそが、次の時代を形づくる鍵になるのではないでしょうか。筆者自身はこの問に答えることは、日本人にとって比較的得意とするところと考えています。



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