見出し画像

『銀河系』のお話し (4)『銀河系鉄道の夜』はないが、『天の河鉄道の夜』はありえた?


「銀河のお話し」の続編です。状況設定はそのままです。
 カバーの全天写真は「2ミクロン・オール・スカイ・サーベイ」の成果です。 https://www.ipac.caltech.edu/2mass/gallery/images_misc.html

銀河の語源は?

『銀河系』という言葉。これは、いつ、誰が生み出したのか? そして、なぜこの言葉が受け入れられ、使われるようになったのか? 自分たちの住んでいる銀河の名前のことなのに、これらの問いについて明快な回答を見つけることができなかった。神田神保町に住んでいるメリットを活かし、明治・大正時代の天文学の教科書を可能な限り買い込んで調べてみたものの、それでもわからなかった。天文部員の星影輝明も月影優子も、ほとほと疲れ果てた感じだ。ということで、今日は部室で雑談モードになっていた。

「さて、『銀河系』問題は放っておいて、何か楽しい話をしようか。」
輝明の言葉に優子が反応した。
「基本的な質問で恥ずかしいんですけど、なぜ『銀河』って言うんですか?」
「銀河は中国語だよ。特に夏から秋の季節だけど、夜空を見え上げると帯状に明るいところがある。白っぽく光っているので銀色。そしてそれが河のように見える。だから銀河ということだね。日本では、河よりは川の方が普通だけど、中国では河の方が普通なんじゃないかな。黄河がそのいい例だ。」

輝明はさらに続ける。
「銀河のことを銀漢とも言うよ。」
「ええーっ? 漢字の「漢」を使うんですか?」
「うん。漢はもともと川の名前だ。漢江。揚子江の支流で、長さは1500キロメートルを超える大河だ。ということで、漢だけで川を意味する言葉になっている。銀漢も銀河だけど、「天漢」、「星漢」や「雲漢」でも銀河を意味する。」
「うわあ、そんなにあるんですか。」
「「天河」や「天漢」という言葉は中国の游子六が1675年に著した『天経或問』「天漢」の章に書かれているそうだ。天河(てんが)や天川(あまかわ)という言葉は日本の天の河、天の川につながるね。」
「なんだか、歴史を感じます。賢治の童話として残ったのは『銀河鉄道の夜』ですが、ひょっとしたら『銀漢鉄道の夜』とか、『天河鉄道の夜』なんていうタイトルもありえたんですね・・・。」

優子は物思いにふけるように、上を向いた。なるほど、そう言われてみればそうだ。『銀河系鉄道の夜』にならなくてよかった。輝明は密かにそう思った。

天河、アマノガハ

「銀河という言葉は賢治の時代の天文学の教科書にも出てくるが、普通の人たちがどの程度、銀河という言葉に慣れ親しんでいたかはわからない。おそらくは、銀河よりは天の川の方が馴染みのある呼び名だったろうね。

今回、『銀河系』という言葉の起源探しで、明治・大正時代の天文学の教科書を見る機会があった。銀河系も出てきたけど、銀河の方が多かった。教科書なので、天の川は少なかったけど、書き方が「天の河」になっていた。十九冊中、六冊は「天の河」(「銀河系のお話し」(3)参照)だから、昔は「天の河」の方が普通だったんだね。」

「そういえば、松尾芭蕉の俳句に天の川を詠み込んだ有名な俳句がありますが、それでは「天河」になっていました。」

    荒海や佐渡によこたふ天河

「そうだったね。この句では、天の川でもなく、天の河でもなく、天河になっている。読みは「アマノガハ」だ。こうしてみると、賢治の童話のタイトルは『銀河鉄道の夜』じゃなくて、『天の河鉄道の夜』になっていたとしても、不思議はないね。」
「ちょっと、舌を噛みそうです。」
優子は首をすくめて言った。
「なるほど、舌を噛みそうだ。たぶん、文字数が多いせいだね。」
「文字数?」
「日本人は七五調が好きだ。俳句や和歌を思い浮かべればいい。俳句は五七五、和歌は五七五七七。」
「そうか、「銀河鉄道」なら「ギンガテツドウ」で七文字、「天の河鉄道」なら「アマノガワテツドウ」で九文字。「銀河鉄道」の方が私たちの耳には馴染むんですね。」
「そういうことだ。賢治も、そう考えたのかもしれないね。」

銀河駅じゃなく、銀河ステーション

「せっかく銀河鉄道が出てきたので、『銀河鉄道の夜』にまつわる話でもしようか。」
「優子、『銀河鉄道の夜』の第六節のタイトルを覚えている?」
「はい、“銀河ステーション”です。」
「そうだね。主人公のジョバンニは町外れの丘にのぼり、天気輪の柱の下でからだを休めた。すると、天気輪の柱が星の姿に変えながら青い鋼の板になり、すきっと立ち上がった。そのときのことだ。

するとどこかで、ふしぎな声が、銀河ステーション、銀河ステーションと云ふ声がしたと思ふといきなり眼の前が、ぱっと明るくなって、まるで億万の蛍烏賊の火を一ぺんに化石させて、そら中に沈めたといふ工合、またダイアモンド会社で、ねだんがやすくならないために、穫れないふりをして、かくして置いた金剛石を、誰かがいきなりひっくりかへして、ばら撒いたといふ風に、眼の前がさあっと明るくなって、ジョバンニは、思わず何べんも眼を擦ってしまひました。
気がついてみると、さっきから、ごとごとごとごと、ジョバンニの乗ってゐる小さな列車が走りつづけていたのでした。 
(『【新】校本 宮澤賢治全集』第十一巻、135頁、筑摩書房)」

「ジョバンニも、びっくりしたでしょうね。」

「この文章に“銀河ステーション”という言葉が出てくる。明らかに銀河鉄道の駅の名前だ。この駅はいったいどこにあるのだろうか? 賢治の生まれた花巻? 中学校、高校時代を過ごした盛岡? それとも?」
「花巻じゃないかな・・・。」
優子が自信なさそうに言う。
「病気のお母さんが家にいたり、町の時計屋さんが出てきたり、なんとなくローカルな香りがします。」
「なるほど、そう言われてみればそうだね。それにしては、駅名がずいぶん現代風だ。なぜ、駅ではなくステーションなのか? そして、天の川じゃなく、銀河が使われている。」
「現代的というよりはミスマッチ感のある名前でしょうか。例えば、東京駅。駅名として、私たちは東京駅を使います。東京ステーションとは、あまり言いません。ところが、ホテルの名前にしようとすると、ステーション・ホテルになっちゃいます。さすがに駅ホテルとはしません。」
「つまり、“銀河ステーション”は日本語と英語が混在しているわけだ。銀河駅、あるいはギャラクシー・ステーションの方が、統一感のある使い方になっているということだね。」

「賢治はなぜ“銀河ステーション”にしたんでしょうか?」
優子は頭をひねった。
たしかにそうなのだ。今から百年も前に、“銀河ステーション”と言う洒落た名前を童話に使う人がいたとは・・・。

しかし、輝明は知っていた。“銀河ステーション”の成り立ちを。

天の河ステーション

「どうも、岩手山登山のときの出来事がきっかけになっているみたいだ。
賢治は1922年の秋、花巻農学校の生徒たちと岩手山登山を楽しんだ。この登山に同行した宮澤貫一の思い出話が残されている。

この名称(銀河ステーション)は岩手登山に皆で先生に連れられて行った時、種々星の話、天の河の話など、先生がされて居った。自分等も勝手な想像や、その時々の感じをおしゃべりしたもんだ。その時、小田島治衛君だったと思ふ。「先生、天の河の光る星、停車場にすればいいナッス」さうしたら先生は喜ばれた様に「さうだ。面白いナッス」と言はれた。さうして皆で天の河ステーションなんてふざけてさわいだもんだ。 (『宮沢賢治覚え書』小田邦雄、弘学社、1943年)

なんと、このときの会話に“天の河ステーション”が出てくる。しかも、提案したのは賢治ではない。花巻農学校の生徒の一人だったのだ。」
「花巻農学校の生徒さんは垢抜けていたんですね。」
「たぶん、賢治先生の影響だと思うよ。なぜなら、賢治は童話や詩で、駅という言葉をほとんど使っていない。駅長が2回、駅長室が1回だけ。あとは停車場(ていしゃば)が30回以上使われている。」
「停車場は、今の時代、もう死語ですね。」
「まったくだ。じゃあ、ステーションはどうか?」
「たくさん使われているんですか?」
「うん、そう思ったんだけど、逆だった。なんと、ステーションは『銀河鉄道の夜』だけに出てくるんだ(なお、ステーションは【新】校本の索引ではもれている)。」
「ええーっ! それは、なぜ・・・?」
輝明にとっても驚きの結果だったが、優子もそう思ったようだ。

「ひょっとして、『銀河鉄道の夜』は何か特別な童話なのかもしれませんね。」
この優子の言葉に、輝明は何か突き動かされるものを感じた。
「少し調べてみようかな。」
「?」
「賢治はどうやって『銀河鉄道の夜』の構想を練ったのか。なんとなく気になってしまった。一日、時間をもらうよ。」

また、輝明の調査癖が始まったようだ。明日の報告を楽しみに待つしかない。

<<<これまでのお話し>>>

『銀河系』のお話し(1) 僕たちの住んでいる銀河は,なぜ『銀河系』と呼ばれるのか?
https://note.com/astro_dialog/n/n45824f0b6272

『銀河系』のお話し(2) 宮沢賢治は,なぜ『銀河系』という言葉を知っていたのか?
https://note.com/astro_dialog/n/nfcea0e50e032

『銀河系』のお話し(3) 『銀河系』という言葉はいつから使われていたのか?https://note.com/astro_dialog/n/ne316644c6000

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?